感じなければ楽なのに | キエコノ気づき

キエコノ気づき

2014年11月〜
自分に戻る過程での「気付き」を記したブログ

この数日間の

気づきがハンパない、メモ。

 

感情的に動くことというのは

自分の人生を大きく変化させる。

 

でも

感じるコトを

ないがしろにしていた私は

散々無視して

繊細さ、気の弱さを目の敵にして

感じなければ良いのに😭と

無視し続け

麻痺させてきた。

 

なんとかこの世を生き抜くために。

 

───

 

「感じやすさ」というのは

身体の特質だ。

 

個性というのは「身体」だ。

 

意識・心というのは

人と繋がっているもので

そして

感化されやすく同化しやすいもの。

 

「個性は身体にある」

「心に個性があると思うから迷子になる」

 

ちょうど読んでた

養老孟司さんの

「ものがわかるということ」という本に

明確に書いてあった。

 

深く納得した。

 

以前仕入れた知識。

肌が薄く敏感な人は

心も繊細だ。

 

脳🧠と皮膚は

同じ細胞から分化したからだ。

 

私は感覚を麻痺させていたけれど

皮膚が薄いのは

ごまかしようがなかった。

 

虫刺されは派手に腫れ上がるし

温度にも敏感。

くすぐったがりで

触れられるのが苦手だった。

脳は
五感からの電気信号を
派手に感じる。

 

脳も身体だから。

 

────

 

身体の特質というのは

人間ならでは。

 

宇宙存在には身体はない。

AIに身体はない。

 

宇宙存在と

多分AIも将来的には

「意識」は持ち得るだろう。

 

意識の定義がなんだかは

よくわからないけれど

 

自分が自分だと思う、それ。

「我思う故に我あり」

 

そして

私とそれ以外を共有する何かであり

きっとそれを超えた先に

ひとつであるなにか。

 

この辺は今の私には

よくわからないけれど

 

意識というものは

他と繋がっている。

それは確かだと感じる。

 

個別の意識なんかなくて

集合意識が全てなくらいだ。

 

厳密にいえば身体も素粒子だから

外と混ざり合ってるけど

そこは置いておいて😌

 

────

 

長々と前置きを書いたが

(前置きなのかよ😆)

 

要するに。

 

人間として

生まれてきた以上

「身体」とどう付き合うかが

この人生の命題なのだ✨

 

身体があるから

意識が個別化されているように感じる。

 

身体があるから

感情を感じる。

 

身体の特質があるから

それぞれ違う感覚を感じる。

 

数秘もその特質を見ている。

 

身体の特質は遺伝子🧬を見ることで分かる。

数秘では心の特質を見るコトができる。

 

…と、言ってたコトがあったけど

結局、同じコトだった❤️‍🔥

 

スピリチュアルと物理

(あと仏教)は

学べば学ぶほど

同じコトを言っているとしか

感じない。

 

────

 

要するに

私が散々ないがしろにしてきた

 

「感じる」というコトが

 

この地球に生まれてきた

肉体を持って体験したかった

それそのものだってコトなのだ。

 

いや、これね

ずっと前にも書いてるんだけどね。

 

ホントに

ホントに

腑に落ちたのよ。

 

────

 

知識で知ってることはたくさんある。

しくみを知ってることはたくさんある。

 

でも知っているのとやるのとでは

ぜんぜん違う。

 

インターネットが普及して

情報が簡単に手に入り

知るコトが簡単になったために

やらなくなった。

 

体験しなくなった。

 

地球🌏の反対側の

映像さえリアルタイムで見られる。

ゆえに人は旅行しなくなった。

 

───

 

私もその一人だった。

 

人と関わらなくても

情報がいくらでも手に入る。

お金さえあれば

人と関わらなくても

サービスが受けられる。

ならば
お金を稼げばいい。
たくさんお金を稼がなくちゃ!

 

人間関係の煩わしさ。

 


エアコンで快適な空間

 

温度変化

汗の不快感

煩わしさ

 

感じるのが嫌で

どんどん感じなくて済む

環境を整えていく。

 

素晴らしコトだけど

経済的に豊かになるほどに

人は自殺する。

(GDPと比例する)

 

生きてる感じがしない。

 

────

 

その「快適」の真っ只中で

自然の「不便」を考えるとき

 

まったく興味が持てない。

やる意味がわからない。

むしろ嫌だ。

 

いつもと違うコトをするとき。

いつものパターンを崩して

やってみて初めて

 

その良さを感じる

もしくは

今の良さをより感じる✨

 

ファスティングしてみて

初めて

身体の軽さを感じたり

逆に

食べ物のありがたみを感じたり。

 

でも、食べるのがあたりまえのときに

「食べるのやめる」

「ファスティングする」

ってなかなか思えないものね。

 

身体に良いとは聞いてても。

 

ましてや

「感じる」に意味があるなんて思えない。

むしろ「感じる」なんて

厄介だと思ってたもの。

 

─────

でも今、言えるのは

 

感じるコトは

間違いなく身体に良い✨

 

というか

これをないがしろにしてきたから

人生がうまくいかない。

苦しい。

 

それがようやく

頭だけじゃなく

本当のホントに腑に落ちてきた✨