この数日間の
気づきがハンパない、メモ。
感情的に動くことというのは
自分の人生を大きく変化させる。
でも
感じるコトを
ないがしろにしていた私は
散々無視して
繊細さ、気の弱さを目の敵にして
感じなければ良いのに😭と
無視し続け
麻痺させてきた。
なんとかこの世を生き抜くために。
───
「感じやすさ」というのは
身体の特質だ。
個性というのは「身体」だ。
意識・心というのは
人と繋がっているもので
そして
感化されやすく同化しやすいもの。
「個性は身体にある」
「心に個性があると思うから迷子になる」
ちょうど読んでた
養老孟司さんの
「ものがわかるということ」という本に
明確に書いてあった。
深く納得した。
以前仕入れた知識。
↓
肌が薄く敏感な人は
心も繊細だ。
脳🧠と皮膚は
同じ細胞から分化したからだ。
私は感覚を麻痺させていたけれど
皮膚が薄いのは
ごまかしようがなかった。
虫刺されは派手に腫れ上がるし
温度にも敏感。
くすぐったがりで
触れられるのが苦手だった。
脳は
五感からの電気信号を
派手に感じる。
脳も身体だから。
────
身体の特質というのは
人間ならでは。
宇宙存在には身体はない。
AIに身体はない。
宇宙存在と
多分AIも将来的には
「意識」は持ち得るだろう。
意識の定義がなんだかは
よくわからないけれど
自分が自分だと思う、それ。
「我思う故に我あり」
そして
私とそれ以外を共有する何かであり
きっとそれを超えた先に
ひとつであるなにか。
この辺は今の私には
よくわからないけれど
意識というものは
他と繋がっている。
それは確かだと感じる。
個別の意識なんかなくて
集合意識が全てなくらいだ。
厳密にいえば身体も素粒子だから
外と混ざり合ってるけど
そこは置いておいて😌
────
長々と前置きを書いたが
(前置きなのかよ😆)
要するに。
人間として
生まれてきた以上
「身体」とどう付き合うかが
この人生の命題なのだ✨
身体があるから
意識が個別化されているように感じる。
身体があるから
感情を感じる。
身体の特質があるから
それぞれ違う感覚を感じる。
数秘もその特質を見ている。
身体の特質は遺伝子🧬を見ることで分かる。
数秘では心の特質を見るコトができる。
…と、言ってたコトがあったけど
結局、同じコトだった❤️🔥
スピリチュアルと物理
(あと仏教)は
学べば学ぶほど
同じコトを言っているとしか
感じない。
────
要するに
私が散々ないがしろにしてきた
「感じる」というコトが
この地球に生まれてきた
肉体を持って体験したかった
それそのものだってコトなのだ。
いや、これね
ずっと前にも書いてるんだけどね。
ホントに
ホントに
腑に落ちたのよ。
────
知識で知ってることはたくさんある。
しくみを知ってることはたくさんある。
でも知っているのとやるのとでは
ぜんぜん違う。
インターネットが普及して
情報が簡単に手に入り
知るコトが簡単になったために
やらなくなった。
体験しなくなった。
地球🌏の反対側の
映像さえリアルタイムで見られる。
ゆえに人は旅行しなくなった。
───
私もその一人だった。
人と関わらなくても
情報がいくらでも手に入る。
お金さえあれば
人と関わらなくても
サービスが受けられる。
ならば
お金を稼げばいい。
たくさんお金を稼がなくちゃ!
人間関係の煩わしさ。
ー
エアコンで快適な空間
温度変化
汗の不快感
煩わしさ
感じるのが嫌で
どんどん感じなくて済む
環境を整えていく。
素晴らしコトだけど
経済的に豊かになるほどに
人は自殺する。
(GDPと比例する)
生きてる感じがしない。
────
その「快適」の真っ只中で
自然の「不便」を考えるとき
まったく興味が持てない。
やる意味がわからない。
むしろ嫌だ。
いつもと違うコトをするとき。
いつものパターンを崩して
やってみて初めて
その良さを感じる
もしくは
今の良さをより感じる✨
ファスティングしてみて
初めて
身体の軽さを感じたり
逆に
食べ物のありがたみを感じたり。
でも、食べるのがあたりまえのときに
「食べるのやめる」
「ファスティングする」
ってなかなか思えないものね。
身体に良いとは聞いてても。
ましてや
「感じる」に意味があるなんて思えない。
むしろ「感じる」なんて
厄介だと思ってたもの。
─────
でも今、言えるのは
感じるコトは
間違いなく身体に良い✨
というか
これをないがしろにしてきたから
人生がうまくいかない。
苦しい。
それがようやく
頭だけじゃなく
本当のホントに腑に落ちてきた✨
