前回のつづき
子供の頃
私はひどく泣き虫な子供だった。
泣き虫な私に
「泣くんじゃない」
と怒ってくる母にさらに泣いた。
「早くしなさい!」
「のろま!」
早くできるならそうしてる。
泣かないでいられるならそうしてる。
「わかってもらえない」
「わかってほしい」
彼にぶつけてたそれは
そのまんま
ダイレクトに母につながる。
ーーーー
数秘に出会って
人はこんなにも違うのだと知って
ある意味、諦めがついた。
思考では納得した。
でも私の
「わかってくれない」
「わかってほしい」
の体感は
そのまま蓋をされ
さらに熟成され
現実を作っていった。
ー
まず私は不倫で
自分がそれをやりまくった。
でも、結局
わかってもらえなかった。
自分に向かうということで
その状況からは抜けたけれども
「わかってくれない」
「わかってほしい」
それは未消化のままだった。
相手にいくらぶつけても
感じてないので
抜けてはいなかったのだ。
(ぶつける=自分からは分離してる)
ー
そしたら
今度は私の目の前に
私に
「わかってほしい」
という人が現れるのだ。
そう
不倫してた頃の私と
まったく同じことをやる演者が。
もう
いたたまれない。
恥ずかしい。
なんなら気持ち悪い。
過去の自分。
「人のこと見てる場合じゃない」
「自分に向き合え」
「自分が世界基準」
「わかってほしい」のは
自分が自分をわかって
あげてないから。
その理屈は十分にわかるし
その通り。
「そうしたくてもそうできない」
のを知ってるのは
誰よりも私なのに。
自分に向かうのは
大切なのはわかった上で
でもその前に
「わかってほしい」を感じる。
そこをちゃんと感じない限りは
その先に進めない。
ああ
これ感じるやつ。
ーーーー
「そうしたくてもできない」
・比較がやめられない
・自分軸になれない
頭でいくら思ったところで
できないものはできない。
自分で人一倍経験したくせに
私はそこに優しくなれない。
自分が克服したものに人は厳しい。
でもそれは「克服」という
まだ未消化な状態で。
どうでもよくはなっていない。
過去の自分に
そんな人に
優しくしたいのに優しくなれない。
私にはそれが
「そうしたくてもできない」
コトだ。
そこには感じたくない
過去の愚かで
「恥ずかしさと落胆」の体感が
あるからだ。
あああ。
もう二重構造だよ。
●「わかってほしい」の体感覚
それを解消しようとして
やっちまった
過去の愚かな「できてなかった」
●「恥ずかしさと落胆」の体感覚
それ感じるために
「嫌な気分になってもいい」
そう伝えながら、できてない自分。
「ポジティブ転換」しないで
一発目を感じよう!
そう伝えながら、できてない自分。
それが起こった(多分)
この2つに
直面してちゃんと感じたら
私はきっと
もっともっと
自分に人に優しくなれそうだ✨

