※この投稿は私の備忘録です
ヴィパッサナー瞑想は、人それぞれの「経験/体験」。
行くつもりの方は読まないほうが良いかと思います。
人の体験が前提になり、結果、妨げになるかも。
ーーーヴィパッサナー瞑想とは何か?ーーー
前投稿でも書いたように
ヴィパッサナー瞑想は
誰にでもできるけれども
やるにはタイミングや信念が必要な
そして、やり続けるには忍耐が必要な
なかなかの【修行】
そして
【経験/体験】だった。
「ヴィパッサナー瞑想とは何か?」
協会のHPには、こう書いてある。
https://www.jp.dhamma.org/ja/vipassana/
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ヴィパッサナー (Vipassana) は、物事をありのままに見る、という意味です。
インドの最も古い瞑想法のひとつで、2500 年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見され、
普遍的な問題を解決する普遍的な治療法、 生きる技として、多くの人に伝えられました。
宗教とはかかわりをもたないこの技は、あらゆる心の汚濁を取り除き、
解脱という究極の幸福を目指しています。
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行く前に読んだ時には
ちんぷんかんぷん。
要するに
25世紀前にゴータマ・シッタッダ(釈迦)が
再発見した解脱への技。
そして。
宗教とは無関係。
ん?
行ってみて私は、今まで
ブッダに対して
大いなる誤解をしていたことに
気がつく。
ええ。
ブッダは
「仏教」を作った人だと
思ってましたよ!!
ーーー私のブッダ・仏教の認識ーーー
さて。
ここで私の【宗教観】を
つらつらと。
私の家は、曹洞宗で
私は自動的に仏教徒なはずなのだが
まったく、仏教も仏陀も
理解していなかった。
仏陀は
お釈迦様で
ゴータマ・シッダールタ?
とか、いう人のことだと思っていたし
その人が作ったのが
仏教なのだと思っていた。
仏教とは
お釈迦様や如来ご先祖様を敬い
感謝し、祈りや供物を捧げるもの。
人は死んだら、閻魔様に裁かれて?
地獄や天国にいくのだから
良い行いをして?
まあ、そんな認識。
さらに
宗派が山ほどあってよくわからない。
うちは、曹洞宗で禅宗だけど
禅なんて、まったく知らない。
その上
うちが檀家になってる寺が
半ば強制的に寄附を募り
毎日の鐘撞を自動化したり
檀家内でのいざこざもあったりで
葬式の時に和尚を呼ぶか否か?
になったこともあったりで
まあ、宗教は
冠婚葬祭での形ばかりのモノで
実態は(住職の在り方とか)
なかなか良い印象のないものだった。
それでも、子供の頃から
お盆や葬式
そういう時には
仏教の様式でやるもんだ
うちは仏教らしいから。
とやっていた。
まあ、ひどい認識である。
それでも
寺や仏像は好きで
昨年夏に訪れた
鎌倉の長谷寺なんかは、
本当に素晴らしいと思う。
ーーーブッダ・解脱とはーーー
ともかく。
ひどい偏見を持っていた仏教。
実は
ブッダが作ったものではなく
ゴータマさんの教えを
受け継いだ人が作っていったもの。
しかも
ブッダ=ゴーダマさん
ではなく
ブッダ=解脱した者
つまり、人ではなく
その【あり方】だと知った。
だから、解脱した者は
みなブッダと呼ばれる。
【解脱】とは
あらゆる苦悩や迷妄の束縛から開放されて
完全に自由になること。
悟ること。
まあ
人間として生きていれば
ごくあたりまえに抱いてしまう
人間らしい苦しみ(渇望/嫌悪)から
解き放たれること。
ですかね。
仏教とは、宗派とは
ゴーダマさん死後500年くらい後
その教えの部分だけが
知識として広まり
それを有り難がる人々が
開祖を崇めたて
(開祖は仏陀なあり方の人だったのかもしれないが)
組織されていったものらしい。
↑この辺、門外漢なので、ざっくりで不確かでご容赦。
ーーー自分を拠り所にするーーー
当のゴータマさんといえば
宗教には関係なく
解脱のための方法を説き続けた。
ゴータマさんの解脱は
ゴータマさんだけのもの。
人は、一人一人
解脱しなければならない。
誰かや、神?を
拠り所にするのではなく
自分を拠り所にする。
その道は、歩み続けさえすれは
誰でも至ることかできる。
その方法が
ヴィパッサナー瞑想だというのだ。
ーーーヴィパッサナー瞑想の方法ーーー
その方法は
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ヴィパッサナーは、自己観察による自己変革の方法です。
この瞑想法では、心と体が互いに影響を与えている深いレベルに焦点を当てます。
体の感覚は、肉体の生命を形作り、同時に精神の生命と途切れることなく関わってそれを条件付けます。
その身体感覚に注意を定めることで、心と体の相互作用を直接に体験することができるのです。
この自己観察に基づく自己発見は、心と体の深いレベルまでたどっていくことで
心の汚濁を取り除き、愛と慈悲に満ちた、バランスのとれた心へと導いてくれます。
思考や感情、判断力や感覚を管理する科学法則は、鮮明になります。
自らの経験を通じて、生まれては消え去るという自然の特質、
苦悩を生み出し苦悩から自由になるための方法を理解します。
明確な気づきを得てまやかしが消えるとき、自らを律する力は増して、
人生は安らぎに満ちたものとなるでしょう。
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と、協会のHPに書いてあるけど。
まあ、ちんぷんかんぷん。
要するに。
瞑想で
身体感覚をありのままに観察することで
心と体の深い部分にアクセスし
心が浄化され、苦悩から自由になる
……と、いうコトなのだけど……。
まあ、体験してみるまでは
私も全然わからなかった。
さて。ここまで
ヴィパッサナー瞑想
全般のコト。
ーーーS.N.ゴエンカ氏指導のヴィパッサナー瞑想ーーー
ここからは
今回参加した
S.N.ゴエンカ氏指導の
ヴィパッサナー瞑想の話。
その瞑想法は
ゴーダマさん以前にもあったもの。
それが失われていて、ゴーダマさんが
25世紀前にインドで再発見した。
しかし、500年後に
またインドでは失われる。
それが、そのまま、受け継がれていたのが
ミャンマー。
1950年ごろ?
統制の厳しかったミャンマーで
商人の家に生まれ富を築いた
ゴエンカさんが
ひどい頭痛を紛らせるために
モルヒネを5年間使用していた。
モルヒネ中毒になるのを避けるために
世界中の名医を訪ねても治らず
ミャンマーに戻り、友人に勧められて
受けたのがヴィパッサナー瞑想だった。
ゴエンカさんは
インド系ミャンマー人で
敬虔なヒンドゥー教信者だった。
それを超える葛藤というのは
宗教、よくわからん的な
私には想像もつかないけれど。
とにかくそれを超えて
ブッダの教えの門を叩いた。
その時の指導者は、ウ・バ・キンさん。
頭痛を治すために……という
ゴエンカさんに
その動機では、受けられないという。
この瞑想法は
体の症状を治すためのものではなく
心の浄化を促すもの。
それを承知して受けた
ゴエンカさんは
その恩恵を受け
(副産物的に、頭痛は治り)
その時からの、第二の人生で
その瞑想法を世界に広めるために
尽力したらしい。
ーーー宗教にとらわれないーーー
ヴィパッサナー瞑想のコースを
受けるのに
仏教徒である必要はない。
もともとこの瞑想法を伝えていた
ゴータマさんはそもそも
人々の解脱のためにしていたのであって
仏教なんて作ってないので
当然といえば、当然。
ヒンドゥー教だろうが
キリスト教だろうが
富めるもの、貧しいもの。
誰でも受けられる。
それが
ヴィパッサナー瞑想。
なにしろ
受けるのに一銭もかからない。
全ては、受けた人の
寄付で賄われている。
本当にやろうとさえ思えば
誰でも参加できる
それがヴィパッサナー瞑想なのだ。
(つづく)
