【古事記神話】本文
(~その96 国譲り編 12)
「国譲り神話」の舞台となったという出雲。
昔は必ず年に1~2回は出雲へ乗り込み、
多くのお社を奉拝したものでした。
熊野大社への参拝は必須であり、
かつては崇敬会にも入っておりました。
最近は数年に一度ほどと
ずいぶん遠のいたものです。
掲載する写真は14年も前のものも…。
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【読み下し文】
是以て此二神 降到出雲國伊那佐之小濱 [伊那佐三字以音] に降り到りて 十掬劔拔きて浪穗に逆さに刺し立て 其劔前に趺み坐て 其大國主神に問ひて言わく 天照大御神 高木神の命以て問の使せり 汝之宇志波祁流 [此五字以音] 葦原中國に我御子の
知らさむ所の國と言依さし賜へり 故汝が心奈何に 爾に答へて白さく 僕は得白さじ 我子八重言代主神 是白すべし 然れども鳥遊び魚獲り爲し 而して御大の前に往きて未だ還り來ず
【大意】
武御雷神と天鳥船神の二神は出雲国の「伊那佐之小濱」に降り到り、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜き、波上に逆さに刺し立て その切先にあぐらをかいて座り 大国主神に「天照大神と高木神に命じられ使いとして来た。汝が領る(うしはける)葦原中国は我が御子の治めるべき国だと仰せ言があった。汝の心はいかに」と問うた。大国主命は「僕は敢えてお答えしません。我が子の八重事代主神が申すべきところですが、鳥や魚の猟をしに御大前(美保岬)に出掛けてまだ帰ってきておりません」
【補足】
天孫族による葦原中国の「国譲り」神話ですが…
「譲る」なんてものではなく「強奪」されたも同然。
「汝が心奈何に(いかに)」などと、口では聞く耳を持つふりはしてますが、何しろ建御雷神は波上に(紀では「地に」)剣を逆さに突き刺し、切先の上にあぐらをかいてるわけですから。
これはもう雑魚チンピラのやり方ではなく、本物の反社組織の恫喝そのもの。
◎二神の派遣
記ではこのように、建御雷神に天鳥船神が副えられて派遣されたとしていますが、紀を始めとした各種文献により建御雷神(武甕槌命)、経津主神、天鳥船神(鳥之石楠船神と同神か)、稲背脛(イナセハギ)、天夷鳥命(アメノヒナトリノミコト)のいずれかから二柱が伴って派遣されたということになっています。
これらの神々はすべて同一の神であるとする説があります。また建御雷神を除いてすべて同一神とする説なども。
当ブログに於いては「建御雷神(武甕槌命)=経津主神」であろうとしています。
それ以上に、天鳥船神や稲背脛、天夷鳥命といった神々には、未だほとんどアプローチできておらぬため、同神か否かに就いて自身が多くを語られる段階にはありません。
そもそも建御雷神は、剣で斬った際の「雷」のような轟音を神格化したのではないかと。また天鳥船神は移動交通手段の船を神格化したものとみて良いかと。そして経津主神は剣で斬った際の「フツ」という「音」を神格化した神ではないかとするのは広く知られるところ。稲背脛は「イナセ」が「否諾」の意味があるというものも。
そうするとすべて於いて、実体の無い観念的な神々ばかり。このシーンに登場する神々はすべて同一神であり、すべてが特定の側面のみを捉えた神名であるという可能性があることになります。
現状自身が語られるのはここまで。数年後にはもっと多くを語られるレベルにありたいものです。
◎「領く(うしはく)」
「土着の神がある地域を占有支配すること」を、古くは「領く(うしはく)」と言いました。
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故爾に天鳥船神を遣はし 八重事代主神を徴し(召し)來て 而して問ひ賜ふ時 其父の大神に語りて言はく 恐 此國は天つ神之御子に立奉りたまへ 即ち其船を蹈み傾け 而して天の逆手を青柴垣に於て打ち成し 而して隠りたまへる也 [訓柴云布斯]
【大意】
そこで天鳥船神を遣わし八重事代主神を召して問うた。父の大神(大国主神)に「恐れ多いことです。この国は天つ神の御子に献りなさい」と言った。そして船を踏んで傾け、逆さに手を打ち青柴垣(あおふしがき)に作り成してその中に隠れた。
【補足】
◎八重事代主神
「事代」は「事を知る」と解釈し、神託を司る神として知られますが…ま…神名からそういった類いの神であろうということは容易に察せられます。ところがそれ以上のこと、この神の本質に就いては非常に難解。
未だ自身でも把握しかね、また完全に納得の得られる先達の見解に出会ったこともありません。
この出雲に於いての「国譲り神話」に於いては、非常に重要な役割を果たしています。大国主神の子として登場するも、「国譲り」を受け入れるかどうかのもっとも重要な全権を委ねられています。
ところが事代主神が出雲の神でないことは明白。この神を祀る総本社的な存在が大和国葛上郡の鴨都波神社。また「事代主神=大物主神」とするなら大和国城上郡の大神神社と、いずれも大和国。そしてカモ族が奉斎していた様子も窺えます。
事代主神の娘であるという姫蹈鞴五十鈴媛命と五十鈴依媛命の姉妹は、それぞれ神武天皇と第2代綏靖天皇の皇后となっています。このことも事代主神が大和の神であることの証の一つ。
一方で「出雲国風土記」にこの神名はまったく登場せず、また出雲国内では主だったところでは、「国譲り神話」所縁の美保神社のみといった具合。事代主神が出雲の神でないことは明白。ただしカモ族が出雲から大和へ移遷してきたとするなら、遥か遠い昔、弥生時代中期以前には出雲に居たのかもしれません。
従って大国主神の子とするのは、記紀編纂時に系譜を繋げて神話が創作されたと解して良いかと考えます。
◎「青柴垣(あおふしがき)に隠れる」
船を踏んでひっくり返し、逆さ手を打ち「青柴垣」を作って、事代主神はそこに隠れたとあります。「青柴垣」とはおそらく「神籬(ひもろぎ)」の類いにものかと思われます。
(Google Mapよりスクショ)
今回はここまで。
事代主神を一気に終え、
次回は建御名方神へと進みます。
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