今回を以て岡田莊司氏の寄稿を終えます。
◎過去記事
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◎出雲国造は大和に居住?
仁徳前紀に奇妙な記事が見えます。
━━額田大中彦皇子(ヌカタノオオナカツヒコノミコ、応神天皇皇子)は「倭の屯田(みた)」と「屯倉(みやけ)」を自身の直轄地にしようとし、屯田司の出雲臣の祖である淤宇宿禰(オウノスクネ)に、「この屯田はそもそも山守(*「山守部」と「大山守命」の二説有り)のものなので、私が治めることにしよう」と言った。淤宇宿禰は菟道稚郎子(ウヂノワキイラツコ、紀では皇太子)に相談を持ちかけると、大鷦鷯命(後の仁徳天皇)に言ってはどうかと諭される。そして大鷦鷯命に、額田大中彦皇子の邪魔が入り治められない旨を申し上げた。すると大鷦鷯命は倭直(やまとのあたひ)の祖、麻呂に尋ねた。「倭の屯田が元々は山守の土地だと言っているが、それはどういうことだ」と。すると弟の吾子籠(アゴコ)だけが知っていると答えたので、派遣先の韓国(からくに)へ淤宇宿禰を急いで向かわせ連れ帰るように命じた。帰国した吾子籠に淤宇宿禰が問うと、「伝え聞いたところでは、垂仁天皇の時世に太子の大足彦尊(後の景行天皇)に倭の屯田を定めさせたが、その時に倭の屯田はすべて天皇のものであって、たとえ天皇の子であっても管理できないと言っていたから、この土地は山守の土地ではありません」と答えた。大鷦鷯命は吾子籠を額田大中彦皇子の元へ遣わしこの事を伝えたが、特に赦する事はなかった━━
*「山守」に就いては「山守部」と「大山守命」の二説あるとしましたが、うち「大山守命」は額田大中彦皇子の同母兄。
*出雲臣の祖であるという淤宇宿禰。出雲国には意宇郡(おうのこほり)があります。出雲東部であるここが発祥地とされ、後に西部の出雲郡へ進出したと見られます。意宇郡に鎮座するのは熊野大社、出雲郡に鎮座するのは杵築大社(出雲大社)。
「大和・倭・ヤマト」の語源は「三輪山」の山麓(山跡、ヤマト)とも言われ、「磯城(しき)」「纏向(まきむく)」の地が「大和」の出発地になっていたという説も有り。
この記述で留意されるのは、出雲臣の祖である淤宇宿禰が出雲ではなく、「倭の屯田」在住であったこと。ここからも天つ神から天穂日命が遣わされたという神話と一致するとしています。
◎鎮花祭
紀の神代の神話に於いては、出雲大己貴神の「幸魂・奇魂」は「三輪山」に住みたいと言い、ここに宮殿が造られました。これが神話に見える大神神社の祭祀の始源。
花びらが散る時期に疫神が分散して流行病を起こすことから、これを鎮遏(ちんあつ)するために大神神社と狹井神社(狹井坐大神荒魂神社)にて行われていたと「令義解」(平安時代の律令の註釈書)にあります。即ち「大宝律令」に定められた国家祭祀であったということになります。
[大和国城上郡] 狹井神社(狹井坐大神荒魂神社)
大物主神の荒魂が鎮座します。◎「伊勢祭祀」と大和
大和「三輪山祭祀」を核に、律令祭祀は「伊勢━━大和━━出雲」の東西軸を形成したと、岡田莊司氏は本稿の冒頭より説いてきました。残るは「伊勢祭祀」。
天照大神祭祀の起源は、天照大神が手に宝鏡を持ちそれを天忍穂耳尊に授け、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、吾を視るが猶くすべし。ともに床を同じくし殿を共にして、斎鏡と為すべし」(紀 神代 第九段 二、本稿のままに読み下し文掲載)と言い、「宝鏡奉斎」「同床共殿」の神勅が皇孫に伝えていかれました。
そこで天照大神は豊鋤入姫命に託して「倭笠縫邑」に祀られ、垂仁紀では「五十鈴川上」鎮祭されたとあります。
以来「同床共殿」は完結しない状況が続き、天皇は遥拝の作法を以て祭祀を務めてきました。
出雲神話は「復奏儀礼」(祭祀)の順守により、循環性は確保されたものの、天皇宮中祭祀では祟りへの予防は続いており、伊勢への行幸・祭祀は明治以前までは禁忌のなかにあり、「同床共殿」は遂に完結されることはなかったとしています。
ここから先は…我々がなかなか知り得ず踏み込みにくいところ。
天皇祭祀のもう一つの場である「賢所(かしこどころ)」(内侍所)は、伊勢の「御代宮」(禁秘抄)とされていて、なお、神話と歴史の中で未完が継続しているとしています。
「賢所」は宝鏡を皇居外に遷し祀ることになったのを受けて、宮中でその分身を祀ることとなり、分身をあらためて鋳造させ、それを祀っている所。
「恐所・畏所・威所・尊所・貴所」とも表記されるのが、そのものものしさを表しているかと思います。
ここでは神話と歴史に於いて、循環性の限界を理解することが重要であると。
出雲神話に於いて大己貴神と少彦名命の二神が国作りを進め、大己貴神は「吾等が造れる国、いはんや善く成れりと謂はんや」(紀 神代 第八段 第六)との問いに、少彦名命は「或は成れるところも有り、或は成らざるも有り」と返答。この談りは「幽深」なことだと記されていると。
最後にまとめとして以下が記されます。
未完こそが歴史の中で現代まで問いかけ続けられている神話ともいえよう…と。
これで完了。
長々とお付き合い頂き
ありがとうございました。






