
神戸神社
(かんべじんじゃ)
伊賀国伊賀郡
三重県伊賀市上神戸317
(一の鳥居を過ぎて社前に舗装された駐車場有)
■延喜式神名帳
[合祀社 比地神社] 比地神社の論社
■旧社格
郷社
■祭神
大日孁貴命
元伊勢「穴穂宮」の伝承地の一つ。元々「穴穂宮」と呼ばれていたこと、御祭神、神宮の式年遷宮の際には伊勢神宮の風日祈宮の古材を拝領しも、同様に式年造替を行っていることなどから最有力かと思われます。
◎「木津川」(旧「暗崎川」)西岸畔、伊賀盆地南端に位置する肥沃な農村地帯。一の鳥居から田園の間を真っ直ぐ突き抜ける参道はとても美しいもの(冒頭写真)。
◎当社を何かと起点に記されることも多く、古代より重要視されていた一社かと思います。それは「高天山
(金剛山)」、「三輪山」、
熱田神宮を結ぶ線上に鎮座していることからも想像させられます。
元伊勢「穴穂宮」については、天照大御神の御霊が四年間鎮まったとされています。「倭姫命世記」の記述は以下の通り。
━━崇神天皇六十六年十二月朔日 伊賀国穴穂宮遷幸積四年奉斎 爾時伊賀国造 箆山葛山戸並地口御田 細鱗取渕梁作瀬等 進朝御饌夕御饌供進云々━━
これは「隠市守宮(なばりいちもりのみや)」から遷し祀られたもので、「穴穂宮」の次は垂仁天皇二年に「敢津都恵宮」に遷されました。
◎当社のすぐ側を流れる「木津川」の「岩鼻」(詳細地は不明)というところで、鮎を献上したという伝承も。それは現在にも引き継がれ、「初魚掛祭(はなかけまつり)」では神宮の月次祭に塩干の初鮎650尾が奉納されているようです。また神宮の神嘗祭には米俵を奉納、神宮の月次祭(六月・十二月)神酒二缶を奉納、神宮神田の田植え祭りに奉仕。その他礼典古儀等は悉く伊勢神宮に准じているとのこと。
◎元伊勢「穴穂宮」の候補地は当地以外にあと3箇所が挙げられています。猪田神社(猪田)、猪田神社(下郡)、常福寺。
◎かつては「穴穂神社」と称していたとのこと。明治四十一年に村内諸社30社を合祀し、「神戸神社」と改称したと伝わります。なお「伊水温故」は「神館ノ社(かんだちのやしろ)」と称されていたことを記しています。これは以下に示す「興福寺官務牒疏」の「伊賀国六箇所」にも。
◎「神戸(かんべ)」については、上野市上神戸・下神戸辺りに置かれた伊勢神宮の神戸(神社に属してその経済を支えた特定の民)。「大同元年牒」(新抄格勅符抄)に「伊賀廿戸」とあります。
◎御祭神については各古文献によりやや異なります。以下一覧を。
*「伊賀記」 … 倭姫命
*「伊水温故」 … 皇太神・倭姫命の二座
*「御鎮座本紀」 … 倭姫命 (摂社左 天児屋根命・右 天太玉命)
*「興福寺官務牒疏」 … (神館社) 皇太神・倭比咩命の二神
◎境内にはかつて「天之眞奈井」があったとされています。いつの頃からか場所すら分からなくなってしまったようで、近年それが再現されています。
これは口碑として、「丹波比治真名井」の水の置き処を「比地」と称し、今は「比土」と称しているとのこと。
◎この社は「式内社 比地神社」の論社。明治四十一年に当社に合祀されました。江戸時代は「高土大明神」と称されていたこととのこと。
天忍穂耳命を主祭神としていたとされますが、「伊賀国式社考」は正哉吾勝命、「伊賀国誌草稿」は古くは
大山祇命を祀り、後に正哉吾勝々速日天彦穂耳尊を祀るようになったとし、「神社覈録」は猿田彦大神、「神名帳考証」は火雷神としています。
*写真は2016年頃と2018年8月、2024年8月撮影のものとが混在しています。

北から南へ真っ直ぐ伸びた参道から左手(東側)へ。

社殿は南面しており、南北に流れる「木津川」(旧「暗崎川」)に沿うように鎮座。



2016年頃の写真と記憶しています。

2024年8月の写真。2016年以降に式年造替があったように思います。

こちらが「天之眞奈井」。




境内にひときわ大きい巨樹が2体あるとされますが、江戸時代初頭に伊勢・伊賀両国の大名となった藤堂高虎の御手植えと伝わります。従って樹齢四百年余りとなります。

三重県に多い山神の集合体。

祖霊社
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。