志疑神社


河内国志紀郡
大阪府藤井寺市3-9-16
(駐車は下部写真参照、近隣はやや狭小道路多いので要注意)

■延喜式神名帳
志疑神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
素盞嗚尊 菅原道真


「大和川」に「石川」が合流する左岸、志紀郡の旧「大井村」に鎮座する社。かつて河内国府があったとされるのは東方すぐの地。北側に合流した「大和川」が西へ流れますが、これは江戸時代に付け替えが行われたことによるもの。かつては北方へ流れていました。

◎創建年代、由緒ともに不詳。式内比定社であることから、延長五年(927年)までには創建がなされていたことが窺えます。
◎社名、地理的要件から、当社を志紀県主が奉斎した社とみるのが有力。東方500mほどに式内大社で志紀県主の氏神とされる志貴縣主神社と、同じく志紀県主が奉斎したとされる式内社 黒田神社が南北に隣接して鎮座します。
◎志紀県主は「新撰姓氏録」に、「河内国 皇別 志紀県主 多朝臣同祖 神八井耳命之後也」、「河内国 皇別 志紀首 多朝臣同祖 神八井耳命之後也」とある氏族。
ただし饒速日命を始祖とする物部氏系統と2系統存在するという説も。ところが凋落した物部氏ではなく、神八井耳命に系図を仮託したという可能性も考えています。
◎そもそも「志疑(しぎ)」を「志紀(しき)県主」からの転訛とみてのことかと思われますが、根拠としては心許ないところ。
「シギ」となると水鳥の「鴫(シギ)」が思い浮かばれるも、古代に於いて神聖視されたような形跡は管見する限り見られず、スズメが如くごくありふれた鳥といった見方がなされていたように思われます。従ってとりわけ社名となる根拠も考え難いかと。そうするとやはり志紀県主が奉斎した社として落ち着くのでしょうか。「河内国式神私考」や「神社覈録」といった辺りがこの説を採っています。
◎江戸時代に「天王」と称していたとのこと。現在の御祭神はこのことから導き出されたものと思われます。
明治には黒田神社に合祀されたものの、戦後すぐに復社し現状に至るようです。

*写真は2018年1月と2024年8月撮影のものとが混在しています。


境内に駐車できるも閉じてあるため、いつもこのように頭を突っ込んで停めています。






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