「今朝がた言うてはりましたが福井県の
宮津市言うて、あれ京都府でっせ?」
「さよか。けどそんなんどうでもええがな
京都市民が京都いう時はな、あくまで市内。
あとはどうでもええねん。もう亀岡なんか
ひと山越えて隣やろ?それでももう京都と
ちゃうねん。長岡京市はもともと京都に
なるとこやった。だから亀岡とか山科と
ちょっと距離感が違うねん。もう園部
から向こう、福知山とか、宮津、舞鶴。
天橋立とかな。こっちで言うたらアレやな
世田谷とか狛江市とか、あと町田市な
町田市なんか完全に飛び地やろ。
なんちゃって東京言われとる。
あれとだいたい同じやな」
「なんかそれものすごい差別意識ですね」
「差別とはちゃうわ。これが京都の現実や
ー番わかりやすい例がヤクショやろなぁ
京都市役所行ってみ?いかにも市内の人
いう感じやろ?あれほとんどが市内の人。
京都府庁舎。あそこに居る人ほとんどが
市外の人。あの碁盤の目みたいな条里の
外側から通うてはる人や。ほんまやで」
「しかし京都市って人口140万くらいちゃう?」
「そんなところやな。その外側に出ると
人口はガタンと落ちる。しかし京都市民に
とってはなくてはならん後背地でもある
山城国言うくらいやからな」
「単なる田舎と都会の関係とは違うと?」
「まさにその通りやな。市民の生存のため
に必要な土地。それだけやったら
言ってみれば植民地やんか?ちょっと違う
山城国・・、いうのは偽りはないんやな
半分山国の価値観いうものが、平安京の
始まった時からの文化の基層にあるんや」
「何や難しい話になりましたな」
「いやいやわかりやすい話やねん。関西
の文化圏。ちょっと引いてみた時に誰でも
そこにグラデーションがあるのが
わかるはずや。大阪、奈良、京都、
基層にある文化が少しずつ違うんやな。
今のNHK大阪のあたり、その昔天智天皇が
難波宮の造営してはったあたりなんやな。
瀬戸内海を内海もしくは前庭として
大陸文化にじかに接する。しかも平野に
暮らす人たちの価値観や美意識やら。
それをみんな持ち寄って造られた。
海の外からもいろんなところからも
力ネも物も大量に集まってくるところや。
そういう価値観は今の大阪まで続いとる」
「それはまあわかりますわ。奈良、つまり
平城京はどうなんです?」
「川伝いで山の中やろ?これはあの頃の
典型的な東アジアの都の造り方や
朝鮮も中国も今でも内陸の川っぷちやんか?
まだ戦乱続きで安定にはほど遠かったからな
ヨーロッパでもロンドンやパリがそうや」
「大阪とどこが価値観が違いますねん?」
「それは最初から制限がつくわな。
海から運ぶんと川と陸路から運ぶのでは
初めから量が全く違うとる。しかし
それはもはや変更できん境界条件やから
価値観でコントロールするしかないわ」
「そしたら京都はそれを、さらにずっと
進めた・・いうことになりますのやろか?」
「だいぶわかってきたな。その通りや
平安京・京都は大阪・奈良に比べたら
ずっとずっと厳しい条件付きの所や。
何事もやり直しがきかんさかいな。
物惜しみする。単にケチというの違うて
有限なもの、希少なものを慈しむ心
それが京都の文化精神の基層やし
その精神を肯定共感できるものが
そこに残って、長い平和を元手に
文化を熟成させていこう。その線で
1000年。少なくとも東アジアには
そういう場所は京都だけや。違うか?」
「まぁ言われてみりゃそうですなァ」
「隣の朝鮮半島は、李氏朝鮮時代が400年間
あれでもまだ長いほう。それなりに文化熟成
は進んだ。ところが中国は王朝創立から
130年ちょっとで、だいたい大反乱や。
それから持ち直しても百年ちょっとで滅ぶ
こういうところでは文化の熟成が難しい」
「確かに中国文化いつでもギラついてますな」
「そうや。しょっちゅう作り直しとるからや
山の民の、有限な自然、資源を大切にする心
それをベースに熟成させる。ポイントは熟成や
だから後背地として、山奥の郡部とその人ら
の参加がどうしてもいるんやな」
「それみんな嵯峨野線・山陰線沿線ですね」
「京都駅を中心に、東海道線やら、奈良線やら
近鉄線やら。その中で嵯峨野線がSの字で
日本海側へつながっとるわな?日本海側と
太平洋側の人もの文化。メビウスの輪に
なっとる。その結び目が京都なんや
それやから、京都の田舎のほうの人いうても
それほど引け目は感じておらん
京都いう所はそういうとこなんや」