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戦死の知らせとともに届いたのは

三郎さんの遺骨、遺品ではなく

死んだであろう土地の

枝とか土とか石とか…




「もうなんにんもなくなっていた」




そう聞きました。





数年前にこんな冊子が見つかりました。






これは昭和43年に

当時の町長をはじめとした

いろんな方々が有志で

太平洋戦争だけでなく

その前の日清、日露戦争などで

戦死した英霊の記録をすべて

丁寧にまとめたものです。




約3年もかけて

作り上げたようです。





小さな町の中でも

こんなにも多くの人が戦地に出向いて

帰らぬ人になったのかと

驚くばかりです。




ちなみに私、個人的にすごく

大東亜戦争時代のことや

史実を知るのが好きで

(好きっていうと語弊があるけど)




手元で少女漫画の原稿を描きつつ

耳で聴く形でずっと戦争のことを

調べてしまいます。

調べていた「歴史」が

この冊子を開くと「現実」として

押し寄せてきます。





三郎さんのページが

しっかりとあります。






機械に強かったらしく、

この文章の中にある

『一級機関免許』というのが

一目置かれて

海軍に抜擢されたとか。





鉄砲の腕前も良く、

鳥を撃ち落とすなどの狩りを

していたようです。

ですが「そんな殺生をしていると

いつか自分に返ってくるぞ」と

親には言われていました。





あと小学校は卒業しているのですが

「文字が書けない人だった」と

聞いています。





結婚や家族のことでも

ゴタゴタもあったそうですが

そこは割愛しましょう。

ただ、自分の子も他人の子も

関係なく育ててやったらいいと言う

優しい人だったようです。





上海特別陸戦隊。

行年三十一歳。





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ピンピンころばぬ在宅介護1話目