雨上がりの空を見上げると、

雲の形から、いろいろなものが浮かんでくる。


その雲からインスピレーションを受けて、一枚の絵を描いてみた。


こうして描いてみると、改めて思うこと。


同じものを見ていても、

人はきっと、それぞれに自分の見たいように見て、

感じたいように感じているのだと。


世界は、自分の心を映す鏡なのかもしれません。


だから私は、

自分の中にある美しいもの、

心地よいもの、

楽しいものを、これからも素直に表していきたい。


それを「好き」と言ってくれる人が現れたら嬉しい。

でも、現れなくてもいい。


誰かに認めてもらうためではなく、私が見ている世界を、私らしく描いていく。


それでいいのだ❤️





『ブレーメンの音楽隊』は、グリム童話のお話です。


年をとって役に立たなくなったロバが、飼い主に捨てられそうになり、「ブレーメンへ行って音楽隊に入ろう」と旅に出ます。



途中で同じように飼い主から見放されそうになった、犬、猫、雄鶏と出会います。ロバはみんなを誘い、4匹でブレーメンを目指します。


旅の途中、夜になって森の中に明かりのついた家を見つけます。そこには泥棒たちがごちそうを食べていました。

そこで4匹は、
ロバの背中に犬、犬の上に猫、猫の上に雄鶏と重なり、

「ヒヒーン! ワンワン! ニャー! コケコッコー!」

と一斉に大声をあげます。


泥棒たちは、恐ろしい化け物が現れたと思って逃げ出してしまいます。

4匹は家に入り、ごちそうを食べ、安心して眠ります。戻ってきた泥棒を再び追い払い、その家がすっかり気に入り、結局ブレーメンへは行かず、4匹で仲良く暮らしました。 


「もう役に立たない」と言われた者たちが集まり、それぞれの持ち味を合わせることで、新しい居場所をつくっていく物語。

そして彼らが結局ブレーメンへ行かなかったのです。



若い頃の社会では、「どこへ行くのか」「何になるのか」「何を成し遂げるのか」という目的地が重視されます。けれど、定年後の人生は少し違う。



会社や肩書きから離れ、「もう以前の役割では必要とされない」と感じることがあったとしても、そこで人生の価値がなくなるわけではありません。



ロバにはロバの声がある。
犬には犬の声がある。
猫には猫の声がある。
雄鶏には雄鶏の声がある。


若い頃のように、誰かの役に立つために自分を合わせるのではなく、それぞれが持っているものを、そのまま持ち寄る。

すると、一匹ではできなかったことが起こる。  


しかも彼らは、立派な音楽家になったわけでも、ブレーメンで成功したわけでもありません。


ただ仲間と出会い、力を合わせ、食卓を囲み、安心して眠れる場所を見つけたのです。


「役に立つ人間でなければ価値がない」という世界から降りて、
「私は私として、今日を面白く生きる」という世界。


人生の後半には、
目指していたブレーメンに着かなくてもいい。
途中で出会った仲間と、
自分の声で歌える場所を見つけたなら、
そこが私のブレーメンなのだから」


全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す







 


【お盆の最終日に 虚空蔵菩薩】


お盆の最終日。


ご先祖さまを想いながら、

虚空蔵菩薩を描きました。


「何もないのではない。

あなたの中には、もう十分にある。思い出しなさい。」


そんな言葉を、

静かに語りかけてくださっているように感じます。


虚空蔵菩薩の「虚空」とは、

どこまでも果てのない大空のような広がり。


そして「蔵」は、

尽きることのない智慧や福徳を

蔵しているということ。


私たちは迷った時、

つい外に答えを探しに行きます。



虚空菩薩は「あなたの命の中には、すでに受け継がれてきたものがある」

と教えてくださっているように思うのです。


この身体も、

この命も、

私一人でつくったものではありません。


父がいて、母がいて、

そのまた父母がいて、、、。


受け取った命を、私はどう生きるのか


を問い直す時間なのかもしれません。


ご先祖さまにできる一番の恩返しは、


笑うこと。

人を慈しむこと。

誰かの役に立つこと。

自分の命を粗末にしないこと。


私が今日という一日を

大切に生きること。



虚空のように果てしなく続いてきた命のつながりの中で、


今日も私は

「今ここ」を生きています。


ご先祖さま、

命をつないでくださって

ありがとうございます。


どうぞお帰りください。


また来年、

笑顔でお迎えできますように。


合掌🙏


全国古事記塾主宰

今野華都子絵と文記す




8月15日、終戦の日


不動明王を描いてみました。


「怒っているのではない。

お前は本当はどう生きたいのか、と問いかけている」



赤い炎。

青い身体。

金色の渦巻き。


不動とは頑なになることではなく、周囲で何が起きても、

恐れや迷いに飲み込まれず、

自分の中にある真理の場所から動かない。

大切なものを見失わない強さなのかもしれません。


けれど、不動明王は決して冷たい存在ではありません。


その厳しい表情の奥にあるのは、


「あなたを決して見捨てない」


という、揺るぎない慈悲。


怖さの奥にある、深く、強い慈悲です。


多くの命が失われた歴史を思う8月15日。

平和とは、ただ争いがないことではなく、

一人ひとりが恐れや憎しみに流されず、

「私はどう生きるのか」を問い続けることなのかもしれません。


不動明王の前で、

今を生きる自分自身にも問いかけます。


全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す


丸板にアクリル絵の具




〈十一面観音〉


十一のお顔であらゆる方向を見渡し、さまざまな苦しみを抱える人々を救う観音さまだという。


人の苦しみは一つではない。


悲しい人。

不安な人。

怒っている人。

迷っている人。


だから観音さまも、一つの顔だけではなく、さまざまなお顔をもって衆生を見つめてくださる。


その功徳には、災難から守られること、病を遠ざけること、衣食に恵まれること、人から敬愛されること、そして心の安らぎを得ることなどが説かれている。


けれど描きながら、私は思った。


観音さまの本当の慈悲とは、

苦しみを「無かったこと」にすることではなく、


どんなあなたも見落としませんよ。ということなのではないか、と。


十一のお顔は、沢山の人間の心


そのすべてを見つめながら、中央の観音さまは静かに目を閉じている。


どの心も追い払わなくていい。

どの自分も置いていかなくていい。


全部抱いて、静かなところへ還っておいで。


そんな声が聞こえてくるようだった。


お盆は、ご先祖さまをお迎えする時


私たち一人ひとりの命の後ろには、数えきれないほどの命がある。


みんなみんな懸命に生き抜いてくださって、今の私がいる。


私も一所懸命に生きていきます。この命を有難うございます🙏


合掌


全国古事記塾主宰 

今野華都子絵と文記す







「今野華都子・遊龍&いろのわ作品展」

おかげさまで、無事に全日程を終了いたしました。


最終日の昨日は、13時からのトークショーで椅子が足りなくなるほどの盛況ぶり。

会期中は、日本各地はもちろん、海外からもたくさんの皆さまにお越しいただきました。


遠くから足を運んでくださった皆さま、

作品をじっくりご覧くださった皆さま、

温かな言葉をかけてくださった皆さま、

本当にありがとうございました。


各賞の授与式も、笑顔いっぱいの楽しい時間となりました。


京都市長賞を受賞された

ジュリアーニ・ミアさん、野村皇生さん

おめでとうございます㊗️✨


そして15時から始まった撤去作業。


作品を壁から下ろす人。

一つひとつ丁寧に梱包する人。

それぞれの作品を分配する人。

美術館のリールを外し、元の状態へ戻す人。

備品を元の場所へ収納する人。


誰かが指示をし続けるわけでもないのに、

それぞれが今、自分にできることを見つけて動く。


それはそれは見事な連携プレーで、

なんと予定より2時間も早く撤去を終えることができました。


最後の最後まで、皆さんの笑顔と笑い声が絶えませんでした。


作品展は、作品を展示するだけではつくれません。


描く人がいて、

支える人がいて、

見に来てくださる人がいて、

喜んでくださる人がいる。


たくさんの人の心が寄り合って、

ひとつの場が生まれるのだと、改めて感じた三日間でした。


ご協力くださったすべての皆さまに、心より感謝申し上げます。


また、会場でお願いしておりました熊本地震への義援金にも、たくさんのお心をお寄せいただき、本当にありがとうございました。


皆さまからお預かりした義援金は、日本赤十字社を通じて寄付させていただきます。

集計後、確定した金額を改めてご報告いたします。


作品も、人も、笑顔も、想いも

 すべてがひとつになった、忘れられない作品展となりました。


皆さま、本当に本当にありがとうございました。

また笑顔でお会いしましょう✨


 #京都市立美術館#今野華都子遊龍いろのわ作品展#熊本地震寄付#古事記塾  






























「自分を知り尽くそうとしなくていい。まだ知らない自分に、出会い続ければいい。」


私の人生と私の絵は

「予測不能な自分を楽しむ」こと。


それは気まぐれに生きることではなく、自分を決めつけず、

まだ知らない自分が現れる余地を残すことだと思います。


人はつい、「私はこういう人」「私はこれが得意」「今さらこれは無理」と、自分自身に枠をつくります。でも本当は、自分の中にはまだ使っていない感性や、出会っていない興味や、思いがけない勇気がたくさんあります。


予測不能を楽しむためには


* 「私は何者か」より、「今日は何に心が動くか」を大切にする


* 上手くできることだけでなく、なぜか気になることを試してみる


* 失敗を「向いていなかった」ではなく、「自分を知る材料」として受け取る


* 過去の自分との整合性を取りすぎない。「前は嫌いだったけれど、今は好き」でもいい


* 予定通りにいかない時、「この先に何があるのだろう」と少し面白がってみる


そして一番大切なのは、自分自身の変化を裏切りだと思わないことです。


昨日の自分と今日の自分が違ってもいい。

思いがけないものに惹かれてもいい。

「こんな自分もいたんだ」と驚ける人生は、実はとても豊かです。


そんな作品展を開催中です。


京都市立美術館 別館

にて今野華都子・遊龍&いろのわの仲間たちの作品展ぜひご覧ください。


きっとあなたの未知の扉が開くかも


全国古事記塾主宰

今野華都子絵と文記す




「感情はあなたの一部で、全部ではない」


そう伝えた途端に呪縛から解かれたように楽になった人がいた。


私たちは、怒りや悲しみ、喜びや幸せといった感情を、そのまま「自分自身」だと思いがちです。


しかし感情は、自分そものではありません。


「私は怒っている」のではなく、

「今、私の中に怒りが起きている」


「私は幸せそのもの」なのではなく、

「今、私の中に幸せや喜びが満ちている」


そう捉えることで、感情に飲み込まれるのではなく、その感情を見つめる自分に立つことができます。


怒りや悲しみ、寂しさや恐れが生まれたときは、まずその感情に名前をつけます。


そして、起きた事実と、自分がそこに加えた解釈を分けて考えます。


そのうえで、


「なぜ私は傷ついたのだろう」

「何を恐れているのだろう」

「本当は何を望んでいたのだろう」


と、自分の内側に問いかけます。


すると、怒りの奥には「大切に扱ってほしかった」、悲しみの奥には「分かってほしかった」、恐れの奥には「安心したかった」という、本当の願いが見えてきます。


苦しい感情は、自分の傷や課題、大切にしているものを教えてくれます。


一方、喜びや幸せもまた、自分を知るための大切な使者です。


誰かに喜んでもらえて嬉しかったなら、自分は人の役に立つことを大切にしている。


家族と過ごして幸せだったなら、つながりや安心を大切にしている。


何かを表現して心が弾んだなら、自分の命を自由に表すことを望んでいる。


喜びの感情は、自分の本質や、これから進む方向を教えてくれます。


ただし、喜びにも執着しすぎないことが大切です。


「この幸せを失いたくない」

「もっと褒められたい」

「ずっと続いてほしい」


と握りしめると、喜びは不安や欲に変わることがあります。


苦しい感情も、嬉しい感情も、良い悪いで裁く必要はありません。


どちらも、自分の中に起きている大切な反応です。


その感情を相手にぶつけるのでも、抑え込むのでもなく、


「この感情は、私に何を知らせに来たのだろう」

「この出来事から、私は何を学べるだろう」

「私はここで、どのような人として応えたいのだろう」


と問い直します。


感情は、私の大切なものを知らせに来た使者です。


その声を丁寧に聞き、どう受け取り、どう行動するかを選ぶ存在が、本来の自分なのです。


全国古事記塾主宰

今野華都子絵と文記す




あるがままの自分を差し出せる人は強い


私たちは、つい人からどう見られるかを気にしてしまいます。


失敗したら恥ずかしい。

下手だと思われたくない。

いつもの自分と違う姿を見せたら、変な人だと思われるかもしれない。


そうやって自分を守ろうとするほど、心にも身体にも力が入り、本来の輝きは隠れてしまいます。


けれど、人は完璧な姿に心を動かされるのではありません。


上手でも下手でもなく、


夢中になって自分を解き放っている姿、


自分のすべてを惜しみなく差し出している姿に、


心を動かされるのです。


あるがままの自分を差し出すということは、何も飾らず、何も取り繕わず、「これが今の私です」と、勇気を持って自分を表すこと。


それができる人は強い。


なぜなら、自分を隠す必要も、誰かと比べる必要もなくなるからです。


笑われてもいい。

失敗してもいい。

上手にできなくてもいい。


心を込めて取り組んだことは、必ず誰かの心に届きます。


たまには、いつもの自分を振り切ってみる。


「私はこんな人だから」

「私にはできない」

「こんな姿は見せられない」


そんな自分で決めた枠を、一度越えてみるのです。


自分を振り切り、心から楽しめるようになったとき、その喜びは周りの人にも伝わります。


あるがままの自分を、惜しみなく差し出す。


それは弱さを見せることではありません。


自分の命を信じ、自分らしく咲こうとする、何よりも強く美しい生き方なのです。


全国古事記塾主宰

今野華都子記す


絵は杣栄二、杣裕美様より





葉月(八月)のおついたち参り。


月末にお掃除のご奉仕をしてくださった皆様とともに、伊勢神宮内宮へおついたち参りをさせていただきました。


昨日は、熊本震災で被災された方々へのお見舞いと、亡くなられた方々への鎮魂の祈りから始まりました。


厳しい暑さのため、お掃除は主に室内の手の届きにくい場所や、家の周りの蜘蛛の巣を取り除く作業などをしていただきました。草むしりは早朝4:30から、暑くならないうちに。皆様のおかげで、家も心も清々しく整いました。


お料理は、あえて買い物には行かず、冷凍庫に保存していた食材を使い切ることをテーマに献立を考えました。


真珠貝の炊き込みご飯、ローストポーク、筍・蕨・蓮根の煮物、ゴーヤと海老と卵のチャンプルー、お昼にはキャベツとラム肉焼き。そして、鳥羽「馳走」の中川料理長から差し入れていただいたトマトコンポートも、皆様に大変喜んでいただきました。


伊勢古事記塾では、初めてご参加くださる方もいらしたため、私たちが日頃大切にしている「やまと言葉」をはじめ、目に見えない世界と、体・心・魂の統一、そしてその生き方がどのように現実の人生に現れてくるのかについて、お話しさせていただきました。


暑い一日ではありましたが、祈りとご奉仕、そして学びに満ちた、ありがたい葉月の始まりとなりました。

今月もどうぞよろしくお願い致します💕🙏 #伊勢神宮 #おついたち参り #やまと言葉 #伊勢古事記塾