麻薬でハイになったり、幻覚や多幸感を得ることを、「トリップ」と言います
「麻薬」という日本語の表現じたいにも実は問題があるのでしょうが、ここではそれに触れません
しかし、麻薬と幻覚剤の違いを知らない人もいます
このトリップ感のみにフォーカスするのは、シャーマニズムと異なるのは誰しもわかることでしょう
トリップとは旅、つまり非日常性にあります。だから、旅行から帰ってくると、またいつもの日常に戻ります。「楽しかったね~」「いい体験をしたね~」「また行きたいね~」。
こうして日常は楽しくなくて、非日常の旅は楽しい。現実はつらくて、幻覚の世界は楽しい、という「分離」が起こります。本当は、日々の日常も非日常で、非日常も日常の延長にあるにも関わらず、エゴが「分離」の世界へ私たちを誘います
アヤワスカ体験の「トリップ」を素晴らしかったと評する人はたくさんいますが、その美しい体験を「日常」に落とし込み、あの非日常的な経験を、「日常」で持続できる人は限られています。そのため、「時間がたつとあの感動が薄れてきた」「美しい体験をしたが、もう元の自分に戻ってしまった、また飲みにいかなきゃ」という声をよく聞きます
面白いのは、スピリチュアルに興味がある人でも、この「トリップ感」を期待していることです。「スピリチュアル」の意味は、「精神的なもの=目に見えないもの」であるにも関わらず、五感で感じられるトリップやビジョン、幻覚性を求めているのです。つまり、目に見えない世界に興味があると言っているのに、目で見えるもの、五感で知覚できるものを求めている矛盾があります
私が学んでいた古神道の先生も、「覚醒体験を期待するな、もし何かが起きてもそれに執着するな」と言っていました。ヨガや瞑想でも同じことを言っています。クンダリーニの覚醒体験などが起きると、それが非日常的であるため、エゴが素早く反応し、日常と非日常の分離を促し、「すでにあるもの」から離れてしまうからです
結局、スピリチュアルだなんだと言ったところで、わかりやすく目に見える体感や幻覚が重視される傾向にあります。パワースポットを訪れて、ジンジンするとかエネルギーを感じるとかも同じです。それが悪いというわけではありませんが、それを先に求めるのは、トリップ感ばかりを得ようとするのと同じです
アヤワスカを飲んでも、何も起きないときも、起こらない人もいます。そしてがっかりして、「たいしたことなかった」「自分には向いていない」とマインドが判断を下しますが、果たして本当にそうでしょうか?
何も起きなかったこともすでに一つのメッセージで、これ以上に素晴らしいことはありませんし、「目に見えない」スピリットの次元では、何かが起きている可能性は多々あります
また、スピリット・メディスンの働きは、セレモニーという「トリップ」のなかでのみ起きるわけではありません。スピリットは、あなたの日常にもかけがえのないトリップ(非日常性)があることを知っているので、日常のふとした気づきや導きに、メディスンの力は、「目に見えない、五感の作用しない世界」で起きています
あとで自分の人生の蓋を開けるような機会があるのなら、「ああ、【日常で】あのときふと思い浮かんだ考えや導きは、あのときのメディスンのメッセージだったんだな」と、気づかされて涙することも多いと私は考えています
目に見えないし今は感じられないが、おそらくスピリットの世界では何か動いているんだな…というメディスンの一つがタバコです
今月はすでに定員に達しましたが、また次回以降のシャーマン・タバコのセレモニー情報をお知らせしていきます