自己分析するとしたら
あなたはどんな人ですか?
どんなきっかけで
そう思うようになりましたか?
こんにちは。
リアルライフコーチ きくま ひろこです♪
自慢して言うことではないけれど、
ガサツでテキトーな方です。
あ、いや、
ちょっとくらいなら
猫でもトラでもかぶりますが(笑)
そういうのは長続きしませんし、
若い頃ならいざ知らず、
いまとなっては猫を被る理由もないです。
(何のために? 誰のために?/笑)
そんな私が
モノの扱い方に気を遣うことを覚えたのは
茶道と華道を習ったおかげと思っています。
茶道では
「重いものは軽々と扱う」
「軽いものは重みを持たせて扱う」
常にそのように言われました。
具体的には、
釜や水差しのような
重いものを持ち上げる時、
それらを軽々と持つことで
洗練されて見えます。
お茶入れ、お茶杓のような
ごく軽いものを持つ時には
重みのある扱いをすると品よく見えます。
もちろん
真の目的は
「そう見せること」ではないです。
そのような所作が
茶道の本質に近づくこと
・・・なんだと思います。
20年以上習いましたが、
残念なことに
私は本質を極めることは出来ませんでした。
というより、
本質を極めるなどということは
私などには恐れ多いことです。
そんな
軽いものではないですからね。
それでも
ふとした時に
茶道での癖のようなものが
無意識に出ることがあります。
習慣になっているのです。
華道でお花を扱う時に
私が苦手だったのは
多くの枝を切り落とすことでした。
1本の線を活かすために
それ以外のものを削ぎ落すということ。
かわいそう・・なんて言い方は
とても幼稚なことですが、
それでもやっぱり
落とされる枝や花に悲しさを感じました。
自分が
地味で平凡で、面白味もなく
つまらない存在だと自覚があって、
だから
削ぎ落される存在に対して
私自身を重ねてしまったんですね。
たった1本の
優れたもののために犠牲になるもの
・・という解釈をしてしまって。
美しさを追求し、表現することは
時に厳しさを伴うものでもあります。
ストイックな美しさ
みたいなものでしょうか。
どちらが正しいとか
間違っているとか
そういうことではなくて、
自分の考えだけにこだわっていると
見えるはずの美しさに気が付かないし、
他の可能性を見失うことにもなります。
自分の解釈を
別の視点で、別の角度から見直すことを
何度も何度も繰り返した気がします。
お茶も、お華も
どちらも離れてからずいぶん経ちますが、
今頃になって
思うこと、感じることが増えてきました。
ざっくり言ってしまえば、
経験によって身についたことが
後々、人生に影響したり、役立ったり、
何かのきっかけになることがある
・・・ということです。
いまになって思うのは
モノだけでなく、
心を扱う時にも
同じようなことが考えられる、と。
知識だけではなく、
選択の幅があるかどうか、
可能性の拡がりがあるかどうかが
道を分けることがあります。
ある意味
人生を変えることにもなります。
ぶっちゃけ
茶道も華道も誘われて断り切れなかった
というのが本音だったりします。(笑)
(そういうところがガサツでテキトー/笑)
それでも、ですね。
それらの経験が
運命のいたずらだったとしても
いまの私に
とても深く影響していますし、
とても意味のあることだったと感じます。
ガサツでテキトーな私が
すべき経験だったのでしょうし、
私の考え方や感性が
カタチづくられるために必要なことだった。
それは
私自身のセルフイメージにも
大いに影響しているところです。
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いまさらですが
2025年の新年会しませんか?
初めての方も
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ご遠慮なくお申込みくださいね。
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あなたがあなたを超えて
豊かに生きられますように♪








