あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。
「塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。
また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。
また、「供侍(ともざむらい)」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。
お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。
本日は「金沢城(後編)」(石川県金沢市)です。「日本100名城」に選定されています。
城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください
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城内の城郭建造物は多数あります。まず現存のモノは「石川門」「三の丸菱櫓」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」がありいずれも重要文化財に指定されています。また「切手門」も移築現存されています。
更に復元のモノといえば、「石川門」を潜ると前面の広場に横たわる「五十間長屋」、右端に「二の丸菱櫓」と左手には「橋爪門続櫓」が付随しています。また広場の右手には「河北門」、「橋爪門続櫓」の下には「橋爪門」が建っています。
「橋詰門」を潜ると、現在「二の丸御殿」が復元工事が進んでいます。
「玉泉院丸」には御殿風の休憩所「玉泉庵」が建ち、2020年には「金谷出丸」との出入口に「鼠多門」が復元されています。また「金谷出丸」跡に現在建つ「尾山神社」の神門には「二の丸御殿唐門」が移築されています。
以上の様に、「城郭建造物」が多々ありますが、本日はこれ以外の「城壁・土塀」「橋」の「後編」です。
昨日のブログは「河北門」桝形を構成する「土塀」までを紹介しましたので、本日は、「五十間長屋」の南端にある復元「橋爪門」へ進みます。「橋爪門」も桝形を形成していて、その周囲は「土塀」で囲われています。
「橋爪門一の門」である「高麗門」脇の復元「土塀」は、今までの門と同様に「鉛瓦」が乗った「海鼠壁」で、「桝形」周囲は桝形内から見ると「唐破風付出窓」が美しいピンクがかった「戸室石」の「切込接・布積み」石垣上に築かれて格式を挙げています。
「河北門」桝形内の「土塀」は全く装飾がなかったのに比べて、当門枡形内は格式があります。
復元「橋爪門続櫓」、復元「橋爪門一の門」の袖塀 ↓
復元「橋爪門一の門」の枡形を形成する「袖塀」 ↓
復元「橋爪門一の門」の袖塀の裏側 ↓
復元「橋爪門」の「桝形」内から ↓
復元「橋爪門」の枡形を形成する「海鼠壁塀」と「出窓」 ↓
復元「橋爪門」の枡形を形成する「土塀」(鶴丸曲輪から、奥は復元「橋爪門続櫓」) ↓
更に、「橋爪門」から東に位置する「鶴丸曲輪」沿いに東へ向って掘られた「堀」沿いにも復元「城壁」が延びていて、同じ形式で築かれています。
「鶴丸曲輪」側に延びる復元「城壁」(手前は「橋爪門桝形」) ↓
「鶴丸曲輪」側に延びる復元「城壁」(奥に見えるのは「鶴丸倉庫」) ↓
「鶴丸曲輪」側に延びる復元「城壁」(「鶴丸曲輪」内より、奥に見えるのは「五十間長屋」) ↓
「二の丸」跡と「本丸附台」跡の間に深い「堀切」があり、それに架かっているのが「極楽橋」です。「金沢城」の前身「金沢御堂」があった時に、参詣する人は朝に念仏を唱えながら渡り、夕方に日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったといわれています。
「極楽橋」 ↓
「玉泉院丸」跡に復元された「玉泉院丸庭園」内には、池泉回遊式庭園内の池を渡る擬宝珠付きの「木橋」も見られます。
「玉泉院丸庭園」内に再現された「橋」 ↓
更に「玉泉院丸」跡には2020年に「鼠多門」が復元され、「金谷出丸」跡へ渡る立派な「鼠多門橋」が木橋で復元されています。
復元「鼠多門」から「金谷出丸」跡へ渡る立派な「鼠多門橋」 ↓
最後に、「石川橋」を渡ると「兼六園」が拡がっていますが、その東端には「成巽閣(せいそんかく)」が建ちます。この建物は、13代藩主「前田斉泰」の母「真龍院」の隠居所として「竹沢御殿跡」の一隅に造営された建物ですが、「兼六園」との境界に建ち、「赤門」から続く「塀」は風情が感じられます。
「成巽閣」の「赤門」に続く「塀」 ↓
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