前回のブログでは、『現在の大阪城に見る秀吉時代の「大坂城」の面影』というタイトルで投稿しました。
この角度からの復興「天守」の姿が一番好きです!
「秀吉」時代という表現よりも「豊臣家時代」と言った方が良かったかもしれませんねー
「大坂夏の陣図屏風」等は、「秀吉」が亡くなってから勃発した「大坂夏の陣」を描いた図ですし、「豊臣秀頼・淀殿ら自刃」も「秀吉」逝去後のことですから。
正面からの復興「天守」は重量感が一杯!
「極楽橋」の「唐門」についてもご意見がありました。
「竹生島」の「宝厳寺唐門」は、以前より「大坂城」から「豊国廟」へ移築して利用され、その後「竹生島」へ再移築されたモノという文献がありましたが、オーストリアの「エッゲンベルク城」から発見された「大坂屏風図」に「極楽橋」と思われる橋の前に「宝厳寺唐門」とほぼ同じ形のものが描かれていたことからビジュアル的には裏付けができたとされていました。
しかし一方で、関ケ原の戦い後の江戸時代初期から江戸幕府の城郭等の作事に関わり、大工頭として活躍した「中井家」の図面には、「廊下橋」として「極楽橋」は描かれていないので、単なる木橋であったとのご意見もありました。また、その図面は、「豊国廟」に移した後の図面だったので描かれていないのかもしれないとの意見もありました。
現在の極楽橋
これらの説については、専門家の方々で今後も議論をしていただければ良く、お城ファンの一人としては、色々と想像を膨らます夢があった方が当時のお城の姿を思い描けることができますし、訪城する楽しみも沸きあがってくるので、例え「唐門」が豊臣家時代の「大坂城」の遺構でなかったとしても、それはそれでいいかなーと思っています。
さて、「豊臣家」の「大坂城」については、まだまだ現在の「大阪城(大坂城)」の中に潜んでいると思いますが、現在目にできる大半が「徳川家時代」のモノで、見所が一杯あります。
全国で唯一現存の重文「御金蔵」
全国で唯一現存の重文「焔硝蔵」
特に、昭和6年に再建された復興「天守」に注目がされて大阪観光に来られる方の多くは、日本人でも外人でもこの「天守」に登って次の観光地へ行かれることが多いと思います。
しかし、「天守」以外にも、10数軒の重要文化財に指定された城郭建造物が残っていますし、日本最高の30mにもなる高石垣や、二の丸南面に現存する「六番櫓」を東側から見た時の「横矢掛り」の美しい石垣、幅が広い堀など見所が満載です。
重文の「千貫櫓」と「大手門渡櫓」
本丸跡東面の高石垣
二の丸跡南面の横矢掛り
重文「六番櫓」と横矢掛り
それについては、一昨年に投稿しました「ブログ」と「ユーチューブ」のURLを貼り付けますので、是非ご覧いただいて、「徳川家」時代の「大坂城」を堪能してみてください。
ブログ
前編 https://hama-sush-jp.pro/highhillhide/entry-12368170296.html
中編 https://hama-sush-jp.pro/highhillhide/entry-12368944219.html
後編 https://hama-sush-jp.pro/highhillhide/entry-12369192901.html
ユーチューブ(約15分間です)
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