昨晩の予告通り本日は、大坂夏の陣後に天下普請で再築された大坂城にスポットを当てます。

 

その前にちょこっと豊臣大坂城について触れておきたいことがあります。近年、オーストリアにあるエッゲンベルグ城で、慶長期(豊臣期)大坂城を中心にした大坂の街並みが描写された屏風が見つかったことで話題になったことがあります。

 

というのも、以前から琵琶湖内に浮かぶ竹生島にある宝厳寺唐門が、豊臣大坂城天守北側にあった極楽橋唐門の遺構ではないかと伝わっていましたが、それとほぼ同じ形の絵が、前述の屏風に描かれていたからです。

 

そして、同じ竹生島にある都久夫須麻神社にも、秀吉ゆかりの伏見城の遺構が移築されて再利用されていることからしても、その唐門も秀吉

ゆかりのモノである可能性が高いと思います。

 

以前に竹生島に行った際には、大坂城や伏見城の遺構とはつゆ知らず写真を撮ってこなかったことが悔やまれます・・・・

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、現在ある大阪(大坂)城は、お城を良く知っている方以外は、豊臣秀吉のお城と思っている人が

大半だと思います。なんと言っても、大阪人は「大阪は太閤はんの街やー」と思っています。

 

大阪の解説書見ても、大概は秀吉の説明文が目に付くので、大阪人を始め、関西人、はたまた日本人でも遠方から天守閣を見に来る人は、そう勘違いしてしまうのでしょう。

 

多分、今大阪城に押し寄せている韓国や中国からの観光客もそう頭にインプットされているのでしょう。

 

その天守閣ですが、豊臣大坂城の上にすっぽりと土を被せ、その上に盛り上げた徳川大坂城天守石垣の上に、豊臣時代の絵図を基にした

フォルムで作り上げた復興天守閣なんですよねー

 

復興天守(望楼型天守が良く分かる、西の丸から)

豊臣時代の大坂城(夏の陣屏風より)第四師団司令部建物 現MIRAIZA)

 

しかし、昭和6年にその時代の最先端工法鉄筋コンクリートの5層8階建てエレベーター付で造られた構築物であり、今年で御年87歳という、今まで建てられた3回(現在分含めて)の内で最長老の天守閣となりました。

 

復興天守鉄骨組み立て工事

 

初代は、大阪夏の陣で御年約20年で焼失、二代目は、落雷により御年40歳前後で焼失しましたので、三代目の現在天守閣が最長老ということになりますね。

 

天下普請で築城された大坂城は、城域面積は江戸城には及ばなかったですが、櫓の城郭建築物には目を見張るものがあったものと思います。

 

現在本丸を取巻く古写真が残っていますが、それは三階櫓が豪華に建ち並ぶ姿であり、取巻く三重櫓が10基あったようです。更に、北側に

も三重の伏見櫓がありましたので、全部で11基も備えていたようです。

 

大阪(大坂)城を訪れる人の大半が、三代目の天守閣に向かいますが、そこまでに至る道すがらにある、大手門(高麗門、渡櫓門、多聞櫓)と桜門ぐらいは潜り抜ける際に、目を見張る方もいらっしゃるでしょうが、殆どの方が通過でしょうねー

 

大手二ノ門(重文、桝形内から、高麗門)

渡櫓門と多門櫓

本丸桜門-明治20年(1887年)に陸軍大阪鎮台によって再建

 

我々、お城ファンとしては勿体ないの一言です。さらには、その周辺に江戸時代から残る城郭建築物は10軒残り、それらが重要文化財に指定されていますし、その中には、日本では唯一しかない焔硝蔵や金蔵もあるので、是非見学して帰ってもらいたいなーと思います。

 

これら遺構については、明日以降に紹介しますねー

(明日は、学生時代のゼミ会旅行で、一泊しますので、お休みにさせていただきます。 _(._.)_ )

 

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