アラレの裁判は、不本意な和で幕を閉じました。
先日、法律事務所に勤めている友人と会い、この裁判のことを話したのですが、彼はこう言いました。
「一部の動物病院は、飼い主をどこか馬鹿にしている。だから事故が多発しても体質が変わらない。でも、あなたの行動は、少なくとも意識の高い飼い主がいるという警鐘を病院に鳴らしたのだと思う。」
その言葉に、少し救われる思いがしました。
そして、noteに投稿した記事には、こんなコメントもいただきました。
「和解で終わったことをアラレちゃんに対して申し訳なく感じていらっしゃるお気持ち…切ないです。でも私は決して「負け」ではないと思います。声をあげ、裁判という形で闘い抜かれたこと自体が、どれだけ大きな意味を持つか。アラレちゃんママは本当に立派だと思います。
私もいま、愛犬を亡くして動いていますが、結果として真実にたどり着けず、幕引きのような形で終わるかもしれません。それでも私は全然構わないと思っています。黙って見過ごすことのほうが、ずっと悔いになるからです。 アラレちゃんママの姿勢を拝見して、私も後悔のないように歩み続けたいと改めて感じました。」
この言葉をいただいたとき、胸の奥に静かに温かい灯がともるようでした。
たとえ結果が思い描いたものと違っても、声をあげたこと自体に意味がある。
その思いを共有できる方がいることは、私にとって大きな励ましです。
実際、私の記事を獣医療関係者も読んでくださっているようです。
少しでも獣医療のレベルが上がり、アラレのように不幸な子が一匹でも減ってほしい、その一心で、私は裁判に挑みました。
けれども裁判の限界に阻まれ、今の形で声をあげ続けるしか道は残されていません。
「アラレママ」と呼んでいただくことに、もちろん違和感はありません。
少しでも誰かのお役に立てているのなら、それはアラレの供養そのもの。

