動物医療に問われる法と倫理 ― 命をどう守るのか | グルコサミン博士のブログ

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アラレを失った裁判を通して、私は動物医療の現場に横たわる大きな課題に直面しました。
それは「動物の命が、法律上は軽く扱われている」という事実です。

日本の民法では、動物は「物」として位置づけられています。
そのため、たとえ医療事故で命が奪われても、人間の医療過誤と比べれば、扱いは驚くほど小さなものにとどまります。
裁判所が下す判断も、飼い主が感じる「かけがえのない命の重さ」とは、埋めようのない隔たりがあるのです。

 

しかし、現代の社会において動物は「家族」です。
犬や猫をはじめとする伴侶動物は、単なる財産ではなく、人と深い関係性を結び、精神的支えにもなっています。
欧米の一部ではすでに、法律上「動物は物ではない」と定義される国もあり、命の尊厳を認める方向に制度が動き始めています。
日本も、いずれはその流れに追いつかざるを得ないでしょう。

動物医療の倫理面にも、課題は山積しています。
医療事故が起きても責任が曖昧にされ、再発防止策が十分に共有されない現状。
閉ざされた体質の中で、飼い主の声はしばしば軽視されます。
しかし、そこに「透明性」と「説明責任」がなければ、信頼は生まれません。

私は裁判で痛感しました。


個々の飼い主がどれほど準備をしても、現行の法制度の枠の中では、動物の命を十分に守ることができないのです。
だからこそ必要なのは、制度そのものの見直しです。
動物を「命」として扱う法改正。
医療事故が起きたときの情報開示と検証の仕組み。
そして何より、動物医療に携わる人々が「命に向き合う専門職」であるという倫理観を持ち続けること。

命に軽重はない。
動物の命を「人間より軽い」と見なしてしまう仕組みを変えることが、これからの社会に問われているのだと思います。

アラレを守ることはできませんでした。
けれど、この経験を通して見えた課題を声にすることが、アラレが遺してくれた使命だと感じています。
そしていつか、動物の命が正しく扱われる社会になることを願ってやみません。