裁判官の心証がすべて決まる日本の裁判所 | グルコサミン博士のブログ

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私は、弁護士は「正義の味方」、裁判所は「科学的に公正な判断を下す場所」だと信じていました。少なくとも、そうであってほしいと願っていました。しかし、アラレの死をきっかけに裁判を起こす決意をし、その現実に真正面から向き合ったとき、その幻想は音を立てて崩れ落ちたのです。

 

まず最初に突き当たった壁は弁護士探しでした。飼い主として動物病院の責任を問いたくても、動物病院の顧問弁護士ばかりが目に入ってくる。つまり、多くの弁護士が病院側の味方なのです。そもそも彼らにとって、安定的に毎月顧問料が入ってくる仕事は魅力的でしょう。対して、個人の飼い主からの依頼は、仮に勝訴しても経済的なリターンは小さく、労力に見合わない。そうか!と私は思いました。
弁護士は、正義の味方というより、金銭の味方なのかもしれない、と。

 

裁判所もまた、私が思い描いていたような場ではありませんでした。

科学的根拠に基づいて丁寧に事実が解き明かされ、社会的に弱い立場にある者を守ってくれる。そんな期待は、無残にも裏切られました。
 

裁判官たちが重視しているのは、自分の評価に直結する処理件数。だから、どれほど納得いかなくても、後遺症のない和解を強く、時に一択のように押しつけてくるのです。
 

私は被害者であり、声を上げるためにここに来たのに、司法の場では、早く終わらせることが何よりも優先される。そんな裁判所の実態を知ったとき、私は一市民としての無力感に打ちのめされました。
これは本当に民主国家なのか?とすら、考えてしまったのです。

 

知人から、「こんな立派な資料を作れるなら、司法試験を受けてみたら」と冗談交じりに言われたこともあります。でも私は、司法の世界にはまったく魅力を感じません。自分の良心に反するような仕事は、たとえ能力があってもやりたくないのです。

 

私は生物学研究者として、正確なデータをもとに、科学を通して社会の役に立つことに誇りを持っています。だからこそ、科学的でもなければ、人を守る姿勢も見えなかった裁判所の現実には、心の底から失望しました。

 

そして何より、アラレに対する申し訳なさは、今も、これからも、ずっと私の心に重くのしかかっています。