フランダースの犬読後感 | グルコサミン博士のブログ

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ベルギー旅行がきっかけに「フランダースの犬」(村岡花子訳)を読みました。画家になることを夢見る貧しい少年ネロと、彼と共に育ち、生涯を共に生きたフランダースの犬パトラシュの悲しくも胸を打つ物語です。短いページ数なのに、情景を思い浮かべて涙があふれてしまいました。 


とっても意味深いのは小説のタイトルにあります。パトラッシュの役割はたしかに重要だけど、主役はネロなのだし、「フランダースのネロ」とか、「アントワープのネロ」とか、いっその事「ネロとパトラッシュ」とした方が一般的です。けれども、小説は全体的にパトラッシュの心情を軸に物語が進んでいるのです。犬を飼っている同士が感じるかもしれませんが、それがこの作品の魅力となっていて、不思議な読み心地を与えてくれます。パトラシュの心情が描かれていなければ、この作品はただ暗く悲しい思いだけを重く心に残す作品になっていたと思います。


もうひとつは「死」についての描写。普通、「死」というのは、「永遠の決別」として、愛するもの同士を引き裂くものとして描かれるけれど、この物語ではまるで反対なのです。作家は、「死によって、もう、ネロとパトラッシュは何者にも引き裂かれることはない」と物語を結んでいるというふうに感じました。彼らは、「物体」としては簡単に離すことができるけれど、「魂」はもう誰にも決して引き離すことができない、死とはそういう一面もあるのだと作家は描いているからです。村人の仕打ちがいかに冷酷で、それに対して、少年と犬の「死による永遠の融合」がいかにそれを告発しているか、それが作者の訴えであると、私は感じました。


そして村岡花子さんの翻訳効果もあると思います。分かりやすいながらも品があり、凛とした文章が胸に迫ります。久々に素晴らしい翻訳本を読むことができました。


意外にも、『フランダースの犬』という小説は舞台となったベルギーでは無名の作品だったにもかかわらず、現地を訪れる日本人観光客があまりにしばしばそれについて言及することもあって、あらためて「日本のトヨタ」が出資して現在はその碑がアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に作られていました。





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