Konstantin Korovin, In the Country, Auf dem Lande, anagoria, 1895,
Tretyakov Gallery. ©Wikimedia.
コンスタンティン・コロヴィン『田舎の家で』。1895年。
【36】 「お力のモノローグ」:沈降する
エクリチュール,テクストの孤独
『一葉の文章の力がまず第1に「混淆」に存している〔…〕点についてはすでに触れた。』「銘酒屋」と遊女の世界を「地獄」の比喩をまじえつつ描く『「雅」と』、遊女みずから独白的に内面を吐露する『「俗」とが、身体的な欲動の波動とぴたりと合致したなまなましい息遣いによって〔ギトン註――相互に融合しつつ〕自在に交替してゆく。その「混淆」の呼吸が彼女のエクリチュールの非凡な魅力を形づくっているのだが、「行かれる物なら此ままに唐天竺の果てまでも」とともに・われわれが「お力」の内界に落下しはじめるや、この「混淆」自体が突然消える。もはや〔…〕テクストのテクスチュア〔織り物〕は、ただ一本の単色の繊維だけに、ひたすら沈降してゆく「お力」の声だけに還元される。作者は「混淆」の〔…〕豊饒なポリフォニーの〔…〕富を棄て、あえて貧しい単数性の側に付く。そこに稀有の持続が出現する。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.19-20.
なるほど一葉の小説は、『にごりえ』にしろ『たけくらべ』にしろ、「[雅俗折衷]という技法」を用いて「鮮烈な効果をあげ」ている点を言えば、「逍遥の小説文体論の〔…〕忠実な実作版と」言えなくもない。しかし、一葉の小説における「折衷」とは、単に〈地の文〉を「雅文体」で、〈セリフ〉を「俗文体」で書く「雅・俗」の平面的な使い分けではなく、両文体が、「文章の進展につれて刻々その表情を変え錯綜の度合を深めてゆく・あくまで動的な変容の実践としてあ」るのです。「そこには、逍遥的な[写実]の理想の埒外へと」大胆に はみ出てゆくものがあります。」すなわち、「単に現実の過不足のない転写ないし似姿を」、現実と隔てのない「[写実]的表象を作成する」ことだけが、一葉が「雅俗折衷」によって実現しようとした目的ではなかった。そのことは、「お力のモノローグ」における・「雅」を消し去った「細く貧しい〔…〕内なる声の〔…〕持続 に漲るダイナミックな出来事性」を見れば明らかです。
『〔…〕ああ嫌だ嫌だと道端の立木へ夢中に寄かかつて暫時 しばらく そこに立どまれば、渡るにや怕 こわ し渡らねばと自分の謳ひし声をそのまま何処 カラ ともなく響いて来るに、仕方がない矢張 やつぱ り私も丸木橋をば渡らずはなるまい、父 とと さんも踏かへして落ておしまいなされ、祖父 おぢい さんも同じ事であつたといふ、どうで幾代もの恨みを背負 せおう て出た私なれば為 す るだけの事はしなければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰 た れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商売がらを嫌ふかと一ト口 ひとくち に言はれてしまう、ゑゝ何 ど うなりとも勝手になれ、勝手になれ、〔…〕』
『にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,pp.105-107. .
↑ここで「やっぱり私も丸木橋をば渡らずはなるまい」と、「お力」が決意する・「丸木橋を渡る」行為とは、何を意味するかについて、さまざまな見解が唱えられてきました。いわく、「タヒ」という異界への飛翔の決意である、いわく、「源七」との愛を成就する決意である〔心中まがいのタヒという・この小説の結末から〕、いわく、「このまま新開地の私娼にとどまる覚悟の確認である」、等々。しかし、テクスト外の(架空の)人の心理などという不可視〔しかも不存在〕の領域を探ってみたところで、決して結論には達することがないでしょう。
Alphonse Osbert, Solitude, 1895. ©Wikimedia.
アルフォンス・オズベール『孤独』、1895年。
書かれたテクストの連なりを、書かれた「時間経過に沿って素直に追ってい」くならば、「[混淆]や[折衷]の豊かさを失」ってなお止めどなく流れる・このか細い「エクリチュールの運動」こそが、「[細谷川の丸木橋]を渡る行為として感受されないわけにはいかない」。「頼りない丸木橋に足を踏みしめ〔…〕こわごわ進んでゆく、その行為の無謀さとは」、作者のエクリチュール〔モノローグを書き綴ってゆく言語行為――ギトン註〕の「危うい運動につきまとう無謀さとまったく同一のものにほかならない。」
「やっぱり私も丸木橋をば渡らずはなるまい」とつぶやく「私」とは、作者一葉その人である、という解釈はあまりにも恣意的だ、と言うなら、この「私」は、「お力」でも作者でもなく、「今現に書かれつつあるテクストそれ自体だ」としてもよい。「言葉は自身に向かって、[つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい心細い〔…〕ああ嫌だ嫌だ]と呟きつつエクリチュールの丸木橋を渡ってゆく、〔…〕それは、作者一葉の身体に内在する息遣いのリズムをひとたび踏み外すや、ただちにタヒの奈落に転落」する――つまり筆は中断し、何も思い浮かばなくなってしまい、テクストはタヒを迎える――「危険な行程である。」
「言葉はここで、異様に裸で、かつ孤独である。」「雅文体」の豊かさに支えられることも、「本歌取り」や「王朝文学」の断片の数々から新たな発想が沸き出てくることもない。それに代わる「言文一致体」の〈近代文学〉の仕組みはまだ出来上がっておらず、ないしはまだ移植されていない。細く貧しい「俗文体」の私娼の言語以外に、作者が当てにできる源泉は存在しない。つまり、いかなる「文化的記憶の厚みの裏付けもない」のです。のみならず、「モノローグ」の性格上、言葉は自らを差し向けるべき名宛て人、「[意味]の受け取り手」さえ欠いているのです。
「ここで言葉が耐えているのは、」作中人物の「お力」や一葉自身の心理的孤立感を超えた「いわば存在論的な孤独である。」「エクリチュールは何ものによっても支えられず、定位されず、正当化されず、目的地も見定められないまま、ただ、かろうじて自身が渡れるだけの幅しかない隘路を渡ってゆくほかはない」。それが、紫式部も西鶴も馬琴も体験しなかった〈近代文学〉というものの宿命であり特性なのです。
しかしながら、そのことをもって、社会派サイドの文芸批評家が、「一葉は前近代的な文芸美学」から離脱して「同時代の現実に目覚めた」といった言い方をするのは、いささか一面的な把え方でしょう。なぜなら、一葉の文章がわれわれに突き付けてくるものは、明治日本の「同時代的現実の表象」であり活写である以上に、超時間的かつ超場所的実存の時空、といったものだからです。たとえば「お力のモノローグ」が「われわれを誘いこむのは、〔…〕時間の記憶を欠き場所の記憶も失ったアムネジア〔amnesia: 記憶喪失,健忘症〕の心的時空といったものである。ここでの[お力]は今がいつでここがどこだかほとんどわかっていない」かの「ようだ。彼女は時間錯誤」と「空間認識の失調」のなかにいる。じっさい、その場所は、一葉が住んでいた「丸山福山町」でも、草稿段階で記されていた「小石川柳町」でもなく〔一葉は、清書段階ですべての地名を抹消した〕、どこの特定の場所でもない「新開地」なのです。 (『明治の表象空間 上』,pp.21-24.)
Anna Gerresheim, Spielende Kinder in einer Boddenwiese, um 1895.
アンナ・ゲレスハイム『入江の草原で遊ぶ子供たち』1895年頃。 ©Wikimedia.
『彼女〔お力――ギトン註〕はいわば、ブランショ的概念としての errance〔彷徨 さまよい〕のただなかにいる。内的独白の続くあいだじゅう彼女が身を置いている「横町の闇」とは、〔…〕errer〔「過ちを犯す」と「彷徨する」2つの意味がある――松浦註〕という行為が展開される虚構空間であり、errance〔さまよい〕は erreur〔過誤〕を招き寄せずにおかない。〔…〕その「闇」の中では、〔…〕何が「正」で何が「誤」か判然としなくなってしまう。』お力は、『「分からぬ」「分からぬ」と〔…〕強迫的に繰り返し』たあげく、『最終的にその「非知」を、「分からぬなりに菊の井のお力を通してゆかう」という主体的な投企へ、くるりと反転する。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,p.24. .
お力の「さまよい」は、「同時代の東京の現実空間に定位されるわけではな」く、現実の地理・歴史とは無縁な「別の次元へ思い切り逸脱しようとする遠心的力学に衝き動かされた運動である。」が、それと同時に、「絶対的な[非知]に取り憑かれたこの errance〔さまよい/過誤〕によって、『にごりえ』が紛れもない[近代文学]たりえているのもたしかである。」
お力が自ら「気違ひ(狂気)」と呼んでいるのは、「この errance = erreur に取り憑」かれ「た[非知]体験の禍々 まがまが しさを指して」であろう。
【37】 モノローグの「闇」から三人称世界への帰還
――「お力」の告白と「狂気」の妄執
前回から引き続き検討してきた「お力のモノローグ」を終え、それに続く部分へと移ります。
『〔…〕ゑゝ何 ど うなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう、人情しらず義理しらずかそんな事も思ふまい、思ふたとて何 ど うなる物ぞ、此様 こん な身で此様 こん な業体 げうてい で、此様 こん な宿世 すくせ で、何 ど うしたからとて人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦労する丈 だけ 間違ひであろ、
ああ陰気らしい何だとて此様 こん な処に立つてゐるのか、何しに此様 こん な処 とこ へ出て来たのか、馬鹿らしい気違じみた、我身ながら分らぬ、もうもう皈 かへ りませうとて横町の闇をば出はなれて夜店の並ぶにぎやかなる小路 こうぢ を気まぎらしにとぶらぶら歩るけば、行 ゆき かよふ人の顔小さく小さく擦れ違ふ人の顔さへも遥 はるか とほくに見るやう思はれて、我が踏む土のみ一丈も上にあがりゐる如く、がやがやといふ声は聞 きこ ゆれど井の底に物を落したる如き響きに聞 きき なされて、人の声は、人の声、我が考へは考へと別々に成りて、更に何事にも気のまぎれる物なく、人立 ひとだち おびただしき夫婦 めをと あらそひの軒先などを過ぐるとも、唯 ただ 我れのみは広野 ひろの の原の冬枯れを行くやうに、心に止まる物もなく、気にかかる景色にも覚えぬは、我れながら酷 ひど く逆上 のぼせ て人心のないのにと覚束 おぼつか なく、気が狂ひはせぬかと立どまる途端、お力何処へ行くとて肩を打つ人あり。』
『にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,pp.106-107. .
ここが、『にごりえ』「第5節」の末尾です。「行きかよふ人の顔」以下の「心理状態を、前田愛〔男性、文芸批評家〕は解離性の離人症と診断して」います。「[横町の闇]から出るとは、言葉が内的独白から離脱し、三人称的客観世界に帰還することにほかならない」。とはいえ、いったん始まった errance は容易に収束しない。「他者の行き交う三人称世界にまで浸透」して「それを[非知]と[狂気]で磁化させずにはいない。」
Wilhelm Marc, Sohn Franz beim Holzschneiden, um1895.
Franz Marc Museum, Kochel. ©Wikimedia.
ヴィルヘルム・マルク『木工細工をする息子フランツ』1895年頃。
まもなく「お力」は結城朝之助に肩をたたかれて我に返り、「菊の井」の店に戻って結城と向かい合い自己の身の上を語り始めますが、こうして「モノローグ」の孤独から脱した後も、「お力」の告白の語りは、「[狂気]の主題」に「何度も執拗に回帰」するのです。「[狂気]は[お力]のオブセッション〔強迫観念〕である。」「お力」は、自分は3代続く「狂気」の遺伝を受け継いでいると固く信じており、7歳の時に買ってきたばかりのコメを「どぶ」に落としてしまった「頃から気が狂ったのでござんす」と語り、「気違ひは親ゆづりで折ふし起る」とも言います。
注目すべき点は、「お力」の苦悩が、自身に時々起こる「離人症」の症状そのもの以上に、「それが血筋によって予め決定されている」――彼女がそう信じている――点に向けられているということです。つまり、彼女を苦しめているのは、その「決定論」であり「決定論への屈服」にほかならないのです。
同様の「決定論への屈服」は、『たけくらべ』の「美登利」にも指摘できるでしょう。「美登利」もまた、「吉原の芸妓となるべく」運命づけられていたと言えます(それは、物語の一つの解釈にすぎないのですが)。
しかし、『にごりえ』の場合には、「その[決定論]が唐突に[狂気]の次元に移し替えられている」点に特異さ――松浦氏によれば「不透明性」――があります。
『〔…〕仕方がない矢張 やつぱ り私も丸木橋をば渡らずはなるまい、父 とと さんも踏かへして落ておしまいなされ、祖父 おぢい さんも同じ事であつたといふ、どうで幾代もの恨みを背負 せおう て出た私なれば為 す るだけの事はしなければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰 た れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商売がらを嫌ふかと一ト口 ひとくち に言はれてしまう、ゑゑどうなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう、〔…〕』
『にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,p.106. .
「[お力]の[狂気]とは、決定論に屈服せざるをえない者が、その予定された運命を改めて主体的意志で選び取ろうとしつつ、しかしその意志自体が主体をなおいっそう破滅へと引き寄せずにはおかないという裏切りの構造のうちに孕まれたもののように見える。」松浦氏は「裏切り」と呼んでいますが、別の言い方でいえば、「欺瞞」ないし「ごまかし」なのでしょう。「自らの運命に屈服するのではなく、むしろポジティヴに〈主体的〉に引き受ける/選び取る/投企する」などと言えば聞こえは良いが、実のところ「屈服」とどこが違うのか? 強大な者,まがまがしい者に屈服させられることの問題性から眼をそむけるためのレトリックにすぎないではないか?
しかし、他面において、この「屈服」の構造は、「エクリチュール」――書き言葉による言語活動――というものが本来的に孕んでいる〈破滅への運命〉というべき必然的 errance〔さまよい〕を示唆しているのです。そのことを、朝之助の前で「お力」が語る彼女の祖父の生涯は明らかにしています:
『祖父 ぢぢい は四角な字〔漢文――ギトン註〕をば読んだ人でござんす、つまりは私のやうな気違ひで、世に益のない反古紙 ほごがみ をこしらへしに、版〔出版――ギトン註〕をばお上 かみ から止められたとやら、ゆるされぬとかにて断食して死んださうに御座んす、〔祖父は〕十六の年から思ふ事があつて、生れも賤しい身であつたれど一念に修業して六十にあまるまで仕出来 しでか したる事なく、終 おはり は人の物笑ひに今では名を知る人もなしとて父が常住歎いたを子供の頃より聞知つておりました、〔…〕』
『にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,p.112. .
『にごり江』上演時の舞台装置の模型。 ©樋口一葉記念館.
蜷川幸雄・演出、1984年、日生劇場。
『ここで語られているのは、読むことと書くことは人を破滅へ導かざるをえず、それは運命の必然であり、その決定論の残酷さに対抗するには人は「狂気」をもってするほかないという命題にほかならない。
エクリチュールが「横町の闇」へ侵入した瞬間、それは予め設定された趣向や主題やプロットの自然な展開から一挙に逸脱し、とめどもない errance へと迷いこむ、そこでは、 正常と異常,正義と過誤,真理と誤謬の差異が消滅し、「分らぬ」「分らぬ」という反復される呟きの反響が自分とも他人ともつかぬ声に乗って伝わってくるばかりだ。〔…〕異様なのは、この逸脱と errance が』、遺伝によって、『未生以前から「決定されているという点だ。〔…〕
言葉を自分の好きなようにどうにでも操れると思いこんでいる「作家主体」には実は、自身の「決定」した趣向や主題やプロットの自然な展開から逸脱する自由は禁じられている。他方、「横町の闇」への侵入とともにエクリチュールが errance へ導き入れられるという偶然事は、そんなちゃちな主体的「決定」よりもはるかに決定的な「決定」によって運命づけられた出来事である。
エクリチュールの主体として身を持しつづけること自体を危うくされながら、人はただ、「仕方がない矢張り私も丸木橋をば渡らずはなるまい」と自分に言い聞かせるしかない。その出来事のただなかで、人は「気違ひ」になる。
それは、抗 あらが いがたく運命づけられた errannce への逸脱に屈服せざるをえない者が、その残酷きわまる決定論を改めて主体的意志で選び取ろうとしつつ、〔…〕そうしようとする意志自体が、「書くこと」の主体をなおいっそう破滅へと引き寄せずにはおかないという裏切りの構造のうちに孕まれた「狂気」にほかならない。
樋口一葉は、この「狂気」を〔…〕真正面から引き受けた最初の近代作家であった。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.30-31.
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!







