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Василий Александрович Котарбинский (Wilhelm

 Kotarbiński 1848-1921), Танец, The Dance,  unknown date.

 コタルビンスキ『ダンス』。 ©Wikimedia.

 

 

 

 

 



 

【34】 『にごりえ』第5節の文体分析(続)

 


 『にごりえ』「第5節」に戻ります。「われわれは2人の女の発話を聞き、3人目の女としてヒロイン[お力]が登場」したところで中断していました。

 

 これまでの「2人の女」は、「ただ声のみを響かせ」て「……するもあり、……するもあるべし」という形で「地の文に着地するだけで終っており、〔…〕顔立ちや身なりなどの外面的描写をはじめいかなる個性化の試みも為されていないという点は注目に値し」ます。彼女らには、名前も与えられていないのです。

 

 

『ここに響いているのは、苦界に身を沈めた女たちのマグマ状の集合無意識から、泡のようにふつふつと立ち昇ってくる任意の2つの声でしかなく、その発話主体を個性的な「キャラクター」として造形することに作者は何の関心も払っていない。

 

 実際、名前を剝奪されることで声はかえって普遍的な広がりをもつことになる。それぞれに個別の事情を抱えているはずの女たちの不倖は、渾然一体となって複数の倍音を豊かに響かせ、そのすべてが「お力」という主人公の中に流れこんで、この「宿命の女」の実存の強度を高めることに貢献するのである。』

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,p.12.  

 

 

 つまり、ここには「言文一致体リアリズム」とは異なる表現の戦略があるわけです。

 

 2人の先行する「無名の遊女」の声の倍音によって高められた「お力」の〈宿命とのたたかい〉は、彼女が「お盆」の日の宴会を突然中座して街に彷徨 さまよ い出る行動によって「頂点に達し」ます。

 

 俗界と霊界の交通が開かれる「お盆」の時期は、本来は旧暦の 7月15日ですが、明治時代に太陽暦に改暦した際、東京ではそれに従って新暦 7月13-16日を「お盆」としました。ここでも、東京の新暦の「お盆」で、その夜は「銘酒屋」のような店では、賑やかな宴会が行われていました。「菊の井」で行われていた宴会に、「お力」も他の遊女たちとともに出ていたのですが、客から催促されて小唄を歌っている最中、彼女は突然中断して戸外へ彷徨い出てしまうのです:

 

 

『菊の井のお力とても悪魔の生れ替りにはあるまじ、さる子細あればこそ此処の流れに落こんで嘘のありたけ串談 じようだん にその日を送つて、〔…〕人の涕〔人間的な感情〕は百年も我まんして、我ゆゑ死ぬる人のありとも御愁傷さまと脇 わき を向くつらさ他処目 よそめ も養ひつらめ 非情サヲ身ニツケタロウ、さりとも折ふしは悲しき事恐ろしき事胸にたたまつて、泣くにも人目を恥れば二階座敷の床の間に身を投 なげ ふして忍び音 ね の憂き涕、〔…〕知る人はなかりき、

 

 七月十六日の夜 よ は何処の店にも客人 きゃくじん 入込 いりこ みて都々一 どどいつ 端歌 はうた の景気よく、菊の井の下座敷にはお店者 たなもの 五六人寄集まりて〔…〕

 

 力ちやんはどうした心意気を聞かせないか、やつたやつた〔歌え!歌え!〕と責められるに、〔…〕

 

 我恋は 細谷川の丸木橋 わたるにや怕 こわ し 渡らねば〔当時はやった小唄〕

 

 と謳 うた ひかけしが、何をか思ひ出したやうにああ私は一寸 ちょツと 無礼 しつれい をします、御免なさいよとて三味線を置いて立つに、何処へゆく何処へゆく、逃げてはならないと坐中の騒ぐに てー ちやん高さん〔「菊の井」の同僚遊女〕少し頼むよ、直 じ き帰るからとてずつと廊下へ急ぎ足に出 いで しが、何をも見かへらず店口から下駄を履いて筋向ふの横町の闇 やみ へ姿をかくしぬ。』

にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,pp.104-105. .  

 

 

Jan Ciągliński, Sketch for the painting “Love”, National Museum

 in Warsaw, 1895. ©Wikimedia.

ヤン・チャングリンスキ『絵画「愛」のための習作』1895年。

 

 

 ↑ここまでのところは、作者が語る〈地の文〉と、登場人物の言う〈セリフ〉とが明確に分かれています。松浦氏が注目するのは、これに続く「お力」の心理描写です:

 

 

『お力は一散に家を出て、(C)行かれる物なら此 この ままに唐天竺 からてんぢく の果までも行つてしまいたい、ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない処へ行 ゆ かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時 いつ まで私は止められてゐるのかしら、これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だと道端の立木へ夢中に寄かかつて暫時 しばらく そこに立どまれば、渡るにや怕 こわ し渡らねばと自分の謳ひし声をそのまま何処 カラ ともなく響いて来るに、仕方がないやつぱり私も丸木橋をば渡らずはなるまい、父 とと さんも踏かへして落ておしまいなされ、祖父 おぢい さんも同じ事であつたといふ、どうで幾代もの恨みを背負 せおう て出た私なれば為 す るだけの事はしなければ死んでも死なれぬ 不幸ヲナメツクスマデハ、シヌコトサエデキナイ のであらう、情ないとても誰 た れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商売がらを嫌ふかと一ト口 ひとくち に言はれてしまう、ゑゑどうなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう、人情しらず義理しらずかそんな事も思ふまい、思ふたとてどうなる物ぞ、こんな身でこんな業体 げうてい で、こんな宿世 すくせ で、どうしたからとて人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦労する丈 だけ 間違ひであろ、

にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,pp.105-107. .  

 

 

『この独白には、何か名状しがたい衝迫力が漲っている。『にごりえ』のこの箇所は、一葉『22篇の小説群〔…〕を通じて最も強い言語の形姿が露出している場所だと言ってよい。〔…〕

 

 一葉の文章の力は「混淆」の力であるとひとまずは言える。〔…〕 一葉は「雅」と「俗」を絶妙に「折衷」し、文学的な品格を保持しつつ、かつ同時代の社会の現実のもっとも野卑にして俗悪な側面までをもなまなましく包摂しうる豊かな文体を刻み上げた。〔…〕

 

 しかし、一葉の「混淆」の力はそこにとどまるものではない。 彼女は話者と視点を自在に変移させ、「地の文」と登場人物の発話とを溶融させながら、ある比類のない「圧縮」と「持続」のエクリチュールを創り出した。それは、ひとたび「近代小説」の諸制度が確立し〔…〕硬直した規範と化し〔…〕た時点以後にはもはや不可能となった「圧縮」であり「持続」である。〔…〕

 

 

吉原大門」跡。旧「遊郭」内方向を望む。

 

 

 だが、一葉はさらに先へ行く。「お力は一散に家を出て」から始まる〔…〕モノローグ(C)には、もはや「折衷」も「混淆」もない〔俗語体に近い・おそらく作者の脳裏に出たままの文体である――ギトン註〕。ただ単に、言葉がこれほど裸になりうるのかと読みながらふと恐ろしくなるほど赤剥けになった言葉の、途切れることのない音響の流れがあるばかりである。〔…〕『にごりえ』が発表された明治28年〔1895年〕当時、日本では、小説言語の革新のための多種多様な試みが繰り広げられ〔…〕近代小説の諸制度が徐々に生成しつつあったのだが、この「お力」のモノローグには、それら多様な試行『歴史的文脈から不意に逸脱し、漂流し〔作中の「お力」の行動がそうであるように――ギトン註〕、それといっしょにわれわれ読者の意識をも、どことも知れぬどこか、いつとも知れぬいつか〔その後現実化した「日本近代」以外の――ギトン註〕へ向けて引き攫 さら ってゆくような恐ろしい力が孕まれている

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.13-15. .  

 

 

 

【35】 「お力」のモノローグ ――

突発的に「噴出する内面」の言語態

 


 『にごりえ』「第5節」における「お力のモノローグ」…… その言語態の特異さとその――「言文一致」運動さえも覆しえたであろう歴史的――意義について、前節での松浦氏の説明は、十分に解りやすくはなかったと思います。少なくとも私はまだ納得していません。

 

 そこで松浦氏は、さらにここで説明を重ねていきます。

 

 じつは、一葉は『にごりえ』〔1895[明治28]年8月2日脱稿,9月発表〕と並行して、「孤独な女のモノローグ」形式の小説を2篇書いています。『軒もる月』〔同年3月末脱稿,4月発表〕と『この子』〔同年12月22日脱稿,96年1月発表〕です。前者は文語体、後者は口語体ですが、いずれも一人称で、「我れ」/「私」が語る形式です。内容も共通しており、「家庭を顧みない夫への不満と幼い我が子への愛をめぐって、妻として、また母として〔…〕切々と思いを語る不倖な女というモチーフを共有して」います。

 

 おそらく一葉は、『にごりえ』創作のための実験的習作として『軒もる月』と『この子』を書いたのでしょう。一方は「雅文体」で、他方は「俗文体」で通してみて、両文体の限界を試してみたものと思われます。

 

 そうすると、『この子』の俗文体は、「俗にくだけた[言文一致体]」で書かれた『にごりえ』の「お力のモノローグ」に近いことになります。が、「お力のモノローグ」に「漲っている異様な衝迫力は、『この子』の比ではない」のです。この違いは、どう説明されるでしょうか?

 

  まず、内容ないし作者の表現意識からアプローチすると、相違が生じた理由は、「登場人物に対する作者の心情的な共感の深浅の差にある」と、一応言うことができるでしょう。一葉は、「家庭の主婦」よりも「新開地の私娼」に、より強い実存的共感を抱いたということです。「一葉は明らかに〔…〕お力の一人語りに〔…〕自分自身の実存的な何かを投影しており、それがこの娼婦の人物像に、」『この子』の孤独な母よりも「はるかに複雑な陰影と重い存在感を賦与しているのだ。」

 

 

Jan Ciągliński, Evening in Bordighera. From the journey

  to Italy, 1894.-National Museum in Warsaw. ©Wikimedia.

ヤン・チャングリンスキ『ボルディゲラの夕暮れ』1894年。

 

 

  しかし他方で、作者の心情ではなく、「作品の形式」およびそこで「採用された言語態」からアプローチしてみると、「お力のモノローグ」で・まず目につくのは、「モノローグ」の開始の・戸惑うほどの唐突さです(『明治の表象空間 上』,pp.16-17.)。(ただし、ここでの引用は、分析のための記号や網掛けをつけているので、あまり唐突な感じがしないかもしれません。リンク先の「青空文庫」で原文を読まれれば、この「唐突さ」をよりよく体験できるでしょう。)

 

 

『お力は一散に家を出て、(C)行かれる物なら此 この ままに唐天竺 からてんぢく の果までも行つてしまいたい、ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない処へ行 ゆ かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時 いつ まで私は止められてゐるのかしら、これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ〔…〕

にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,pp.105-106. .  

 

 

 「お力は一散に家を出て」という・客観的な〈三人称〉の叙述で始まるので、読者は、このまま「お力」の行動の叙述が続いていくものと予想します。ところが、いきなり現れるのは、「唐天竺の果てまでも行」く(行きたい)という非現実話法であり、あたかも、「お力」の「一散」な行動が、「唐天竺の果てまでも行ってしま」うという非現実を引き寄せているかのようです。実は、この時点ですでに人称も〈一人称〉構文に転換しています。が、読者がそれを確認するのは、数行先で「いつまで私は…」と〈一人称〉代名詞が現れた時なのです。

 

 〈一人称〉構文に転換したことが、まだハッキリとは分からないうちから、「言葉は一気に彼女の内面の深みに潜ってゆく。第5節の始まり以来ずっと続いていた語りの位相の不安定な揺れが消え、視点も人称も単一化し、言葉は」目的も用途も受け取り手(対話相手)さえいない「細い一筋の流れとなり、〔…〕ひょっとしたら意味さえないかもしれない〔…〕記号の連なりと化して」、ただ「一散に」流下してゆくのです。「ああ嫌だ嫌だ嫌だ、〔…〕つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい心細い〔…〕これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」という・意味を表象するはずの言葉としてはあまりにも無内容・無意味な記号の連なりが「われわれを引き攫 さら ってゆく」のです。つまり、「そこで語られる内容」とは、「虚無的な悲傷の内部をひたすら垂直に沈降してゆく意識の・救いのない失墜感」がすべてと言ってよい。「読者はまるで、[細谷川の丸木橋]から不意に足を踏み外し、[お力]とともに谷底に真っ逆さまに墜落してゆくような眩暈を覚え」るのです。つまり、ここにあるのは、正常な意味作用によって現実を再現する〈言葉〉ではなく、エクリチュールそのもののナマの衝迫力なのです。

 

 さまざまな人称・視点の転換と再転換,さまざまな感情価の濃淡、雅俗さまざまな文体の「[混淆]によって騒ぎ立っていたページ面が」ここで一挙に単相化し、「白々しく静まりかえる。このいきなりの静けさが恐ろしい。」「人の声も聞こえない、物の音もしない、静かな静かな、自分の心も何もぼうっとして物思ひのない処」という「お力」の非現実話法の願望が導いてゆく先は、「虚無の深淵」なのか? あるいは「タヒ」そのものなのか? それは想像したくないような恐ろしい「静けさ」なのです。

 

 「モノローグ」の言語態の「垂直に墜落してゆく衝迫力」をさらに強めているのが、 この小説の最初から・自己の内奥の心情を一切見せず・一貫して「はぐらかし」韜晦してきたお力が、とつぜん唐突に、怒涛のように「内面の開示」を始めるという「出来事」です。この「出来事」は、テクストの内部で起きています。テクスト外部の現実世界や想像された世界の因果連鎖で起きているというよりも、むしろテクストそのものの偶然の行きがかりから、お力の「内面の開示」という事件が発生しているのです。「唐天竺の果てまでも行ってしまいたい‥‥」という「内面」噴出の衝動は、その前の「一散に家を出て」というテクストによって、あるいはもっと前の「我恋は 細谷川の丸木橋 渡るにゃ怕し 渡らねば」という小唄の言葉に強迫観念的に反応して、起きていると言わざるを得ません。

 

 

『第5節なかほどのこの箇所まで、「お力」の人物像を表象するものは、外見の描写を除けば、彼女の口にする同僚相手の余所 よそ 行きの言葉でなければ、世辞や媚態まじりの客あしらいの言葉以外になく、』読者は、『彼女の鎖 とざ された内面世界のとば口で足踏み〔…〕を強いられていたのだ。ところが、予想もしていなかった瞬間にそれがいきなり一挙に開かれて、読者は彼女の内面のもっとも密かな部分に誘いこまれ、その虚空を彼女といっしょに墜ちてゆくことになる。

 

 

Сергей А. Виноградов, Дети пасут телят, Children herding calves, 1895.

セルゲイ・A・ヴィノグラドフ『仔牛を放牧する子供たち』1895年。

 

 

 このいきなりの出来事性がわれわれを打つ、〔…〕エクリチュール〔※〕への・こうした偶発事の出来 しゅったい がもたらす衝撃こそ、西鶴にも源氏にもない近代文学の体験にほかならない。奇妙なことに、日本の小説言語に「近代」を開いたとされる逍遥四迷鴎外も、この種の衝撃を〔…〕導入する才能を〔…〕欠いていた。〔…〕あらかじめ設定された趣向や主題やプロットの自然な展開を裏切って、エクリチュールの水準でこんなふうに未知の何事かが出し抜けに出来するといった瞬間は〔…〕『浮雲』にも『舞姫』にも〔…〕ない。そしてこれは〔…〕一葉が「雅俗折衷文体」で書いたからこそ実現しえた出来事性なのだとも言える。

 

 というのも、この出来事とは、「雅俗折衷文体」が〔…〕いきなり俗文体にシフトする〔…〕衝撃と本質的な関係を持っているからである。』

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.18-19.  

 註※「エクリチュール」: 書き言葉による言語活動。ただし、モーリス・ブランショにおいては、「本質的にタヒを含む言語活動」を意味し、松浦寿輝氏もしばしば、「タヒ」「破滅」へと導くエクリチュールの本質を意識してこの語を用いている。

 

 

   「お力のモノローグ」が唐突に現れたことによって、「[雅俗折衷文体]の[折衷]が〔…〕不意に掻き消え」、「[俗]を外から鎧い、その頽落をかろうじて堰き止めていた[雅]の被覆」――良識ある観察者としての・作者の・まるで他人行儀な解説と描出、読者が伝統の保護のもと安全に鑑賞することを保証するしくみ――「が剝 はが れ落ち」る。その結果は、「[俗]によって表象される傷つきやすいひ弱な内面世界が、よるべない孤立感とともに一挙に開示され、〔…〕エクリチュールに」亀裂が走る瞬間なのです。(『明治の表象空間 上』,pp.18-19.)

 

 

 

 

 


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