表現者としての覚悟


写真撮影も、お茶選びも、選択の連続。




なにに魅力を感じるのか。
何を残して、何を省くのか。
その人の何を、どう魅せたいのか。


光、構図、表情、色
ひとつひとつ選んで、「写真」というカタチにしていく。

自分の選択に責任をもって生きることは、
⁡𝗌𝖺𝗌𝖺𝗆𝖺𝗋𝗒がお茶屋の活動を通してずっと大切にしていること。


その人の一瞬を、写真として残す。


その時、その場で、撮れることは二度とないから、やり直しがきかない一発勝負。一球入魂。





初めての場所。
初めての世界観。
いつも撮影は新しい挑戦。
だけどキヨさんの撮影では、不思議なくらい怖さはなかった。

ずっと𝗌𝖺𝗌𝖺𝗆𝖺𝗋𝗒のお茶を飲んでくれていて、私の文章や写真を「好き」と伝えてくれている人だから

何を大切にしているのか。
どんなものに心が動くのか。

価値観が似てる、そんな安心感が土台にある。
これまで積み重ねてきた関係性。


どう撮ったら正解なんだろう。
⁡じゃなくて、彼女自身の覚悟を表現することに集中できた。


いくら関係性があると言っても、私が好き勝手に撮っていいって話じゃない。(当たり前)

撮影までのやりとりで衣装やイメージをすり合わせていく、その時間も楽しすぎた。






強さ。
美しさ。
静かな反骨心。

「知性を纏う」そんな覚悟。


感性と感性のぶつかり稽古(?)をしながら
一枚ずつカタチにしていく。


こういう撮影がしたかった、と思える。
ただただ、楽しくて夢中な時間。



誰かにとっての正解じゃなく、感じたもの、受け取ったものを、選んで表現していく。



お互いの感性が重なって、はじめて生まれるものでもある。
ただ綺麗なだけじゃ、つまらない気もする。



表現者としての覚悟(2回目)
撮影をしながら、𝗌𝖺𝗌𝖺𝗆𝖺𝗋𝗒が大切にしている“選ぶこと”“覚悟” に戻ってくる。


「好き」を選ぼう。