Harper Lee(ハーパー・リー)という女流作家が、自分の体験をもとに、
1960年に出版され、マイノリティの公民権運動が盛んだった時代を背景に
アメリカで大ベストセラーとなり、
ピューリッツアー賞を獲得した作品である。
原題は、 『To Kill a Mockingbird』。
舞台は、ハーパーの故郷、
大恐慌直後の1930年代のアメリカ南部アラバマ州の田舎町モンローヴィル。
アメリカで黒人の人権が認められるようになったのはまだ半世紀前、
弁護士の主人公Atticus Finchは、妻に先立たれ、長男のJemと妹のScout、
二人の子供と暮らしていた。
Scoutは作者のハーパーの子供時代の分身で、彼女の目を通して物語は語られる。
後に『冷血』を書き上げる作家、Truman Capote(トルーマン・カポーティー)が、
語り部の少女Scout、隣人の幼馴染の少年デイルのモデルであった。
すなわち、カポーティーは、ハーパーのごく親しい幼馴染だったのだ。
そして、後年も彼らの友人関係は、執筆活動とともに近しく続いて行くことになる。
カポーティーは、
1924年、怪しげな実業家の実父アーチ・パーソンズと、
上流社会に憧れる精神的に幼い母の間に、
南部ルイジアナ州のニューオーリンズに誕生する。
父は常に家を空け、母はその夫を追って息子たちを置いてまま、NYに行ったきりとなる。
両親に捨てられた少年カポーティーは、アメリカ南部の親類縁者を頼って、
転々として暮らすこととなるのだ。
そのうちの、3年間を、アラバマ州モンローヴィルに住む
母方のいとこジェニー・フォークの家で生活するのである。
ハーパーは、その家のごく近所に住んでいた少女で、
この時期に、二人は仲の良い幼年時代を過ごし、
彼女の小説に登場することとなるのである。
母は、後にキューバ人実業家カポーティーと再婚し、
NYに息子たちを呼び寄せるが、53年、義父が文書偽造と重窃盗罪で有罪となった。
詐欺まがいの行為を繰り返し社交界の有名人たちとのつき合っていたのが、
カポーティ家の実態だったのだ。
母は夫が投獄されたショック、崩れ去り砂上の城となった生活に絶望し、
54年、睡眠薬を多量に服用して自殺した。
高校卒業後、雑誌ニューヨーカーの出版社のメッセンジャーボーイとして就職し、その間、
46年短編小説「ミリアム」、48年初の長編小説「遠い声、遠い部屋 Other Voices,Other Rooms」50年2作目の小説「草の竪琴」を書き上げ、
52年映画「悪魔をやっつけろ」の脚本執筆。
母の死は、文筆活動が波に乗っていた時の出来事であった。
両親が憧れ、カポーティ自身も身を置き、巧みな話術のトリックスターとして持て囃された
上流社会の醜い内幕を事実を交えて書いた遺作となった長編「叶えられた祈り」。
この作品は彼が懇意にしていたセレブリティからの反発を招き、未完に終わった。
母の死に落ち込んだ彼は、小説から遠ざかり、
ルポルタージュの世界に足を踏み入れる。
56年ガーシュインのミュージカル「ポーギーとベス」のソビエト公演旅行に同行し、
冷戦の中のソビエトのルポを書き、
また、57年には、マーロン・ブランドへのインタビューを行い「お山の大将」をまとめ、
これらのルポものは、雑誌ニューヨーカーに掲載され大好評となった。
そして、59年に実際に発生したカンザス州で起きたばかりの殺人事件のルポルタージュを書くことになったのだ。
それが、カポーティ最後の長編小説『冷血(In Cold Blood)』である。
晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、
1984年8月25日にロサンゼルスの友人ジョーン・カーソン(『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』で30年間司会を務めた人気司会者。1992年の降板後、司会をジェイ・レノに引き継いだ。)のマンションで心臓発作で急死。
享年60歳。

Clutter family
このカンザスのホルカムという田舎町の農場主 Clutters 一家惨殺事件は、
家族全員をロープで縛り上げたうえショットガンで至近距離から撃ち殺すという
残虐な殺害方法だった。しかし、農場主は、温厚で誠実な人柄として知られ、
怨恨を買うような人間関係は存在せず、強盗目的の通り魔にしては、
性的暴行を受けた痕がなく、被害者宅からはほとんど金品が奪われていないなど、
不自然な点が多く、捜査は難航した。
しかし、通報された有力情報により、Perry Smithと、Richard "Dick" Hickock の
2人が犯人として逮捕された。
カポーティは、村に自ら赴き現地での取材を開始する。
幼馴染のハーパーに銃を持たせて同行させた。
ハーパーは、1960年に出版された『アラバマ物語To Kill a Mockingbird』を書くにあたって、この取材同行で得た経験を生かしたと言われている。
そればかりか、一説には、ピューリツァー賞まで受賞することになった『アラバマ物語To Kill a Mockingbird』の執筆には、カポーティが大きく関っており、
彼の筆によるものではないかというものもある。
カポーティのゴーストライター説が浮上するほど、カポーティとハーパー、また、
『アラバマ物語To Kill a Mockingbird』と『冷血(In Cold Blood)』という作品は、
濃密な関係があると言えるのだ。
カポーティは、特異な記憶力と社交術で、地域住民への取材を行い、
メモやレコーダーを使わず、彼らの警戒心を解いて捜査陣も舌を巻く取材能力を発揮した。
そして、犯人と接見し、また手紙のやりとりを行い、
特に、女性的で繊細で気弱な青年Perry Smithが、自分の生い立ちを語りだすにつれ、
次第に感情移入していく。
語られるペリーの幼少期に、カポーティ自身の幼少期の体験が重ねあわされ、惹きつけられて行ったのだ。ペリーもカポーティを理解者として頼り、彼らの間には、特異な共振関係が生まれていった。
ペリーは、1928年ネバダのエルコ郡の今は放棄された村で生まれた。
父は荒くれ者のロデオ乗りで、ペリーは、インデアンのチェロキーとアイリッシュのミックスだった。
父は密造酒を作って暮らし、常に妻と子供たちに酷い虐待を加えていた。
母は、夫の暴力に耐えかねて、子供を連れてサンフランシスコに逃亡する。
こうして、ペリーら兄弟姉妹は、アルコール中毒の母親の元で育ち、
彼が13歳の時にアルコールが元で母親は死んでしまう。
その後、彼らは、カトリック系の養護施設にあずけられ、
今度は教育者の修道女に肉体的、精神的虐待を受け、
これによって、慢性的な夜尿症となってしまう。
その後、救世軍の孤児院にあずけられ、そこの世話人の一人に性的虐待を受ける。
別れた父と再会し、彼と暮らすようになるが、ストリートギャングに関わり、小さな犯罪を犯す。
父親は、自殺未遂を繰り返すが、その前に健康を害して死す。
ペリーは、16歳で商船に乗り、その後、46年、朝鮮戦争の兵士となる。
彼は戦友とともに、車の塗装工となる。得た金でモーターバイクを購入し、大事故に合い、
6か月間入院し、永久に足は不具となり、生涯足の痛みに悩まされることになる。
そのため、夥しい量のアスピリンを常用していた。
やがて、1959年、世間を震撼させる殺人事件を犯すことになる。
ペリーとディックは、カンザスの刑務所で出会った。
彼らは、その刑務所で、以前 農場主Clutters家の農夫として働いていた同房の仲間から、
この家には$10,000の金庫があるという話を聞いていた。
男性的なディックと女性的なペリーは、ホモセクシャルに近い関係であった。
犯行を計画し殺害の意志を持ち、レイプさえしようとしたのはディックの方だったが、
殺意はなく、レイプに嫌悪感をもったというペリーが、殺害の実行犯だった。
ディックは、いざ殺人の段になって、臆病風に吹かれ、躊躇してしまう。
そこで彼らの間に、奇妙な倒錯が起こる。
殺意のあったディックに代わって、殺意のなかったペリーが殺人を犯すのだ。
ペリーは、少しでも拘束が家人を痛めないようにクッションを背に挟み、
姿勢を直してやり、異常な状況の中、奇妙な心配りをみせて、一家全員を射殺する。
死刑囚となったペリーは、被害者に対し謝罪と後悔の念を語り、
小学校しか出ていないが、芸術、音楽と文学に強い興味を示し、広く読書をし、
他の受刑者のために詩を書き、家族の写真を渡され肖像画を描いたという。
1965年4月14日、彼らの死刑は執行された。享年37歳。
カポーティは、ペリーを称して、
「僕らは同じ家の中で育ったような気がする。
彼は裏口から出て、僕は表玄関から出た」と述べた。
作品は、ほぼ完成していたが、本を出版するにあたり、
出版社は、ひとつの皮肉な条件を提示していたのだ。
出版は話題作りのため、二人の犯人の死刑が執行された後のタイミングで
行うというものだった。
つまり、彼らが死刑にならなければ、小説は出版されないのだ。
ペリーは、唯一の理解者、寄る辺と思っていたカポーティ―に、
良い弁護士を見つけてくれるよう頼んだ。しかし、カポーティは、彼らと友情を深めながら、内心では作品の発表のために死刑執行を望んでもいたのだ。
カポーティは、彼の要望を放置し、旅先で遊び回り、あげく、自身の本質の一部である冷血に対峙させられ、酷く落ちこんでベッドから起きれなくなっていた。
「その後来てくれなかったことも恨んでやしない。
死刑に立ち会って くれなくても構わない。感謝している。」
カポーティーは、意を決して、彼らの死刑執行に立ち会う。
死刑を目の前に控えた犯人たちは、意外なほど静かであった。
透き通った湖水面のような顔で、ペリーは感謝の念を述べた。
「俺があんたなら、こんなところなんか来ないのに、よくまあ 来てくれたもんだ。」
むしろ恐怖を感じ、取り乱したのはカポーティのほうであった。
「弁護士をちゃんと選んでやればよかった。
もっと何か出来たはずなのに、本当に 申し訳ないことをした。」
静かな湖面のようなペリーの顔は、鏡のように、目前に立つものの真の姿を映し出す。
カポーティの冷血を。
カポーティは、『Conversations With Capote(カポーテイとの対話): Lawrence Grobel』の中で、こう述べている。
「この経験の結果、私は人生をより悲劇的にとらえるようになった。
もともと私には悲劇的な人生観がある。
そのためかえって私は極端に軽薄に見えてしまう部分を持ってしまう。
その軽薄なほうの私 はいつも暗い廊下に立っていて、悲劇や死をあざけっている。
私がシャンパンを愛し、 リッツホテルに泊まるのはそのためだ。」
こうして、1965年、カポーティの『冷血(In Cold Blood)』は、出版され、
だれも試みたことがないノンフィクション・ノベルの先駆となった。
一方、事件の取材直後、1960年には、ハーパーの『アラバマ物語To Kill a Mockingbird』がすでに出版された。
1963年の暮れには、映画『アラバマ物語』が公開され人気を博し、
アカデミー賞では作品賞を含む8部門の候補となり、そのうち主演男優賞、脚色賞、美術賞の3部門で受賞した。
そして、グレゴリー・ペック演じるフィンチは、アメリカ人が最も好むヒーロー像となった。
しかし、
トルーマン・カポーティ、ハーパー・リー、両者とも、
以降、一編の長編小説を書くことはなかった。
===============================
マイケルジャクソンも、
実際の少年犯罪に目を向けていました。
『Bad』は、エドモンド・ペリー事件にヒントを得て作られた作品です。
■Edmund Perry エドモンド・ペリーの事件
1985年6月12日、ハーレムの住人、17歳のエドモンド・ペリーは、私服警官によって射殺された。彼が、優等生で、奨学金でスタンフォード大学に在籍して通っていたことが明らかになった時、ニューヨーク市で一時期、抗議の嵐となった。しかし、証言者は、ペリーと、彼の兄弟は、この警官を襲おうとしていたと主張し、この射撃は、正当であると判決を下された。
また、ラビ・シュムリーによるMJテープにも
このようなエピソードが、残されています。
バルガー事件について
ロバート・トンプソン&ジョン・ヴェナベルズの場合
1993年、イギリス。
2歳の幼児ジェームズ・バルガーを白昼の人通りも多いショッピングモールから連れ去り、
人気の無い墓地の裏手路地でその幼児を殴り、下半身を脱がせ頭部にかぶせ、
その上から石を投げ、痛めつけた後に殺害。
死体を列車の線路まで運んでレールの上に放置した。
2歳の幼児の死体は列車にはねられバラバラになってしまった。
この犯行を行ったのは、当時なんと10歳の少年二人組。
少年らを乗せた裁判所に向かう車が群衆に囲まれ石を投げつけられたりの騒動で
逮捕者まで出し、検事がテレビで市民に冷静な行動を呼びかける事態にもなった。
彼らは正式に殺人罪で起訴され、共に懲役20年の判決を受けた。
幼児を誘拐し惨殺した動機も特に無く、ジョンの供述では「I just wanted to do it.」
「ただそうしたかっただけ。」ただの面白い遊びだったと供述した。
2001年4月、名前を変更し、二人とも釈放されている。
激しい抗議行動が起きているが、裁判所命令により、一切の報道が禁じられている。
~~~~~~~~↑ MJ touched ~~~~~~~~
マイケルは、バルガーへのお悔やみのメッセージを送った。
2歳のジェームス・バルガー君はマイケルのファンだったのだ。
《以下・ラビ・シュムリーMJテープより抜粋》1999年~2001年/約30時間のテープ
S: リサは、一緒に子供たちを訪問したり、彼らを特別な気持ちにさせるには、
ピッタリな人で、全てうまく行っていたんだね?
MJ: 全てうまく行っていたよ。
でも、彼女自身の子供たちに関しては、よく議論していた。
彼女の子供たちは、彼女の最大の関心事で、
僕は、「違うよ、全ての子供たちが僕らの関心ごとだ」と言っていたんだ。
彼女はぼくがこういうのを嫌がっていた。怒ってたよ。
あと、喧嘩したのは、2人の小さい男の子がロンドンで別の男の子を殺して、
僕は、その子たちに会いに行こうとしたんだ。
なぜなら、エリザベス女王が無期懲役を言い渡したから。
10歳か11歳そこらの少年たちだったから、刑務所に行こうとしたんだ。
そしたら、彼女は「馬鹿なことを!彼らがやったことを称賛することになるのよ。」
と言うんだ。
僕は、「よくもそんなことが言えるね!彼らの人生を遡ったら、きっと、
彼らは両親がそばにいなくて、誰も愛してくれる者はいなかったんだよ。
彼らを抱きしめて目を見て「愛している」と言われたことないんだ。
彼らは無期懲役だったとしても、そういうことは彼らにとって必要なんだよ。
だから、僕は、愛していると言って抱いてあげたいんだ。」と言ったら、
彼女は、「間違ってる」と言い、僕は「君が間違ってる。」と言ったんだ。
S: その情報を聞いて、彼女は、あなたが正しかったと認めた?
MJ: いいえ。彼女は、僕が悪い子たちを称賛していると思っている。
==========================
カポーティの『無頭の鷹』という短編の
印象的な一文を引用しておきます。
「ああ、いったいなぜ彼は、自分の愛する者の中にいつも
自分自身のこわれた映像(イメージ)を見出さなければならないのか?」
つづく・・・