『夜になるまえに』 ~キューバの赤い自由 | ☆Dancing the Dream ☆

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「夜になるまえに」ボンボン役のジョニーデップ^^
ビクトル中尉との2役。


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「夜になるまえに」の監督、ジュリアン・シュナーベルは、
新表現主義の画家でもある。この絵は、ゲーリー・オールドマンを描いた絵。


これだけでも、
この映画を観たくなる。

そして、
「自由」について知りたいなら、
「自由」への、血のように赤い情熱を感じたいなら、
この映画を観なくっちゃ。





『夜になるまえに』トレーラー 『バスキア』のジュリアン・シュナーベル監督作


「夜になるまえに」フルムービー


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レイナルド・アレナスReynaldo Arenas
(1943年 - 1990年)キューバの小説家、詩人。
極貧の幼少時代、カストロに熱狂したキューバ革命をへて、20歳で作家デビュー。
カストロ政権の元で、同性愛者であること、また反政府的な言動があるとされ、
作品はすべて発禁となる。
当時、カリブ海の小さな島国、キューバが、アメリカという大国に盾突いたことは、
生命の高揚だったのだ。キューバは、もともと、性差による仕切りはなく、
欲望だけが強烈な国柄だった。そして、さらに、革命のエネルギーが、
アナーキーな性的高揚、同性愛の高まりを盛り上げた。
しかし、この性的解放をキューバ政府は容認しなかった。
大国と闘って民衆を貧困から解放しようとする理想主義体制であれ、
独裁政権であるかぎり、表現者は窮地に追い込まれる。
作家は自ら作品を破棄し、同性愛者は強制収容所に送られ、迫害された。
しかし、アレナスは危険を顧みず書き続け、2作目「めくるめく世界」は、
キューバから持ち出されフランスで出版され、メディシス賞を獲得する。
これによって彼の名は世界に知れ渡り、カストロ政権の反逆子として、
反政府的な言動や同性愛者であることが当局からマークされ、
家宅捜査、作品没収、脅迫など容赦ない迫害を受ける。
1973年、ついに、アレナスは、不当逮捕され、投獄される。
ゴムタイヤに乗って島から逃れようと脱獄を計るが失敗。
再逮捕され、レイプ犯、殺人犯などを収容した悪名高いモロー刑務所に収監される。
「自己批判」して刑務所を出たアレナスは、1980年に船でアメリカに亡命する。
カストロが、この年、精神疾患者、同性愛者、犯罪者が、出獄することを許可したのだ。
アレナスはニューヨークで執筆活動を続けていた。
1987年にエイズ発症。最後まで、反カストロ運動を続け、多くの短編、詩、
エッセイ、戯曲を書いた。
1988年、下に掲示した「カストロへの手紙」を世界に公開した。
この公開状は、88年12月27日のヨーロッパ、ラテンアメリカ、アメリカの新聞紙
上に掲載され、その署名者には8人のノーベル賞受賞者を含む163名の著名な作家・芸術家・政治家たちが名を連ねた。
映画人にはフェリーニ、ルイ・マル、デヴィッド・リンチ、バーベット・シュローダー、ベルトラン・タヴェルニエ、ネストル・アルメンドロス、エクトル・バベンコ、イヴ・モンタン、ジャック・ニコルソン、ジェラール・ドバルデュー、イザベラ・ロッセリーニらがいる。

その数週間後、アメリカの上院議員28名による同様の手紙がカストロ宛に送られ、
続いて議会の47名からも同様の打診があった。
しかし、予測されたようにカストロは、この国民投票への要求を無視した。

1990年に睡眠薬を多量に摂取し自殺とされる。享年47歳。
1933年、『夜になるまえに』が英語で出版されその年の最優秀図書になった。
2000年、自伝『夜になるまえに』が、ジュリアン・シュナーベル監督により、
ハビエル・バルデム主演でに映画化された。
ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別グランプリと男優賞を受賞し、アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされた。



 ========= 公開された「カストロへの手紙」 =========


キューバ共和国元首
フィデル・カストロ・ルス殿

1989年の1月1日であなたが政権を担当して30年になりますが、
この間、今日現在にいたるまで、あなたが共和国元首・国家評議会議長・閣僚評議会議長・国軍最高司令官の職務に就きつづけるのをキューバ国民が望んでいるのかどうか、
それを明らかにするための選挙は行なわれていません。
15年の独裁政治の後、国民が自国の政治的将来に対して自由に意見を表明すること
のできたチリにならい、わたしたちは、あなたが引き続き権力の座にいることに「賛成」
か「反対」か、それを国民が自由な無記名投票によって決定しうる国民投票がキューバ
で行なわれるよう本状をもって要請します。
その国民投票が公平に実施されるためには、以下の点が実現されることが必要不可欠
です。

1.亡命者たちがキューバにもどることができ、そして他の反対勢力とともに
あらゆるメディア(新聞・ラジオ・TV等)を通してキャンペーンをすることが
  許されること。
2.すべての政治犯が釈放され、国民が自由に意見を述べることを阻んでいる
  法律が一時停止されること。
3.キューバにおける人権委員会が合法化されること。
4.国民投票を監督する中立の国際委員会が創設されること。

「反対」が勝利をおさめた場合、議長閣下、あなたは民主的な開放プロセスに道を譲り、
キューバ国民がみずからの政権担当者たちを自由に選びうるよう、できうるかぎりすみ
やかに、選挙の公示をしなければなりません。

ネストール ・ アルメンドロス(スペインの映画カメラマン、撮影監督)、
ヴィクトリア ・ アブリル(スペイン出身の女優)、
フェルナンド アルバル(スペイン出身の映画監督、小説家、脚本家)、
ソール ・ ベロー(アメリカの小説家・劇作家/ノーベル賞、ピューリッツァ賞)、
カルロス カスタネダ(ペルー出身のアメリカの作家・人類学者)、
カミロホセセラ(スペインの作家、ノーベル賞)、
ギジェルモ ・ カブレラ ・ デ ・ ボルボーン(キューバの作家)、
フェデリコ ・ フェリーニ(イタリアの映画監督、アカデミー賞名誉賞)、
ビセンテ · モリーナ フォワ(スペインの映画監督、作家)
ファンゴイティソロ、ユージンイヨネスコ(スペインの小説家、パリへ亡命)
デビッド リンチ(アメリカの映画監督)、
チェスワフ・ミウォシュ(ポーランド人詩人、フランスに亡命、ノーベル文学賞)
オクタビオ・パズ(メキシコの詩人)
Herberto padilla(キューバの詩人)
パロマ ピカソ(画家パブロ・ピカソの末子)
マヌエル ・ プイグ(アルゼンチンの作家)
デイヴィッド ・リーフ(アメリカの評論家)、
イザベラ ・ ロッセリーニ(女優、映画監督のロッセリーニとイングリッドバーグマンの娘)
エルネスト ・ サバト(アルゼンチンの作家)
バーベット・シュローダ(イラン生まれフランス国籍のスイス人映画監督)
スーザン ・ ソンタグ、(アメリカの作家、映画製作者、運動家)
ルネ ・ タヴェルニエ(フランスの作家、詩人、雑誌「Confluences」の創設者)
マリオ ・ バルガス ・ リョサ(ペルーの小説家 ノーベル文学賞)
エリ・ヴィーゼル(ルーマニア出身アメリカのユダヤ人作家、ホロコースト体験者、ノーベル平和賞)
――他・全163名署名


   ============= 原文 =============

Reinaldo Arenas
Orlando Jiminez Leal
New York City

Mr. Fidel Castro Ruz
President of the Republic of Cuba:

On January 1, 1989, you will have been in power for thirty years without having, so far, celebrated elections to determine if the Cuban people do wish you to continue as President of the Republic, President of the Council of Ministers, President of the Council of State and Commander-in-Chief of the Armed Forces.

Following the recent example of Chile, where after fifteen years of dictatorship, the people were able to express their view freely on their country’s political future, we request by this letter a plebiscite so that Cubans, by free and secret ballot, could assert simply with a yes or a no their agreement or rejection to your staying in power.

In order to guarantee the impartiality of this plebiscite, it is essential that the following conditions be met:

1.That all exiles be allowed to return to Cuba and, together with other sectors of the opposition, permitted to campaign using all means of communication (press, radio, television, etc.).
2.The freeing of all political prisoners and the suspension of laws that curtail the free expression of public opinion.
3.The legalization of human rights committees within Cuba.
4.The naming of a neutral international commission to oversee the plebiscite.

Should the no prevail, it would be incumbent upon you to respect the will of the majority by giving way to a period of democratic openness and promptly calling an election where the Cuban people could freely elect its leaders.

Nestor Almendros Victoria Abril, Fernando Arrabal, Saul Bellow, Carlos Castañeda, Camilo Jose Cela, Guillermo Cabrera Infante, Federico Fellini, Vicente Molina Foix, Juan Goytisolo, Eugene Ionesco, David Lynch, Czeslaw Milosz, Octavio Paz, Herberto Padilla, Paloma Picasso, Manuel Puig, David Rieff, Isabella Rossellini, Ernesto Sabato, Barbet Schroeder, Susan Sontag, Rene Tavernier, Mario Vargas Llosa, Elie Wiesel


この公開状は88年12月27日にヨーロッパ、ラテンアメリカ、アメリカの新聞紙
上に掲載され、その署名者には8人のノーベル賞受賞者を含む163名の著名な作家・
芸術家・政治家たちが名を連ねた。
映画人にはフェリーニ、ルイ・マル、デヴィッド・リンチ、バーベット・シュローダー、ベルトラン・タヴェルニエ、ネストル・アルメンドロス、エクトル・バベンコ、イヴ・モンタン、ジャック・ニコルソン、ジェラール・ドバルデュー、イザベラ・ロッセリーニらがいる。

その数週間後、アメリカの上院議員28名による同様の手紙がカストロ宛に送られ、
続いて議会の47名からも同様の打診があった。しかし、予測されたようにカストロは、この国民投票への要求を無視した。


キューバ革命で政権を握ったカストロ国家評議会議長は、
1976年に元首となり、党、政府、軍の全権を掌握した。
ソ連からの豊富な援助をまず医療、教育に充て、そのすべてを無料とする画期的な福祉社会をつくり上げた。
しかし、ソ連型の社会主義で経済は行き詰まり、官僚主義もはびこり、
ソ連の崩壊で援助が途絶えると深刻な経済危機に陥った。
91年には外資の積極的導入や直接選挙制採用など、政治・経済改革に踏み切った。
経済がどん底まで落ちた93年、ドル所有の合法化、個人営業の制限緩和、農産物の自由市場の再開など、自由化政策を打ち出した。
94年には公共料金を値上げした直後、亡命を求める市民と警官が衝突し、いかだで米国を目指す難民は3万人を数えた。
しかし、95年に経済はプラス成長に転じた。個人営業のレストランなどが出現し、活気が出る一方、富める者と貧しい者との差が出てきた。
経済危機が深刻化するなか、革命の求めた平等な社会の原則をいかに守るかが問われた。
カストロ議長は2001年6月、首都ハバナ郊外での集会の演説中に一時的に気を失うなど、
高齢による体力の低下が目立つ。これに伴って後継問題が注目されたが、すでに実弟のラウル・カストロ国家評議会第一副議長兼国防相が1986年の共産党第3回党大会で後継指名されている。03年4月には反体制派市民75人を一斉摘発し、即決裁判にかけて投獄したほか、フェリーを乗っ取った3人を処刑するなど強権弾圧を行った。このため人権を重視する欧州連合(EU)との関係悪化を招いた。
06年7月にはカストロが入院し、権力は弟のラウルに移った。