賢治の詩、原体剣舞連は、詩集「春と修羅」に収められている。
岩手南部地方には、さまざまな地域で剣舞が残っていたらしい。
かつて、剣舞を踊るものたちは、下層の人々の子供たちだった。
冒頭からdah-dah-dah-と、太鼓の音。
これは、太鼓を買えない貧しい子供たちが、
その音を模して、ほとばしらせた声かもしれない。
貧しい蝦夷の地の子らが、剣をかざして踊る。
この踊りはまがまがしい鬼たちの踊り。
しかし、鬼たちは、子らに乗り移り、銀河と森をたたえて踊るのだ。
古の蝦夷の酋長、悪路王ことアテルイは、
私たちの祖先らに滅ぼされ、首を撥ねられ、塩漬けにされた。
そして、今も鬼となってこの世に暴れ出る。
人々は、宇宙に息づく命のエネルギーをもつ鬼の霊を畏れ祀った。
この踊りの独特の歩き方「反閇(へんばい)」は、
修験道、陰陽道の鎮魂の呪術だという。
大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清めると同時に、
御霊や怨霊を慰め、往生させる念仏でもある。
銀河鉄道の「鳥捕り」。。
この妖しき人物は、蝦夷の鬼だ。
命を屠る生業の・・。
鳥捕りは、北方の猟に出て帰らないジョバンニの父の影でもあるのではないか。
また、蝦夷から、ベーリング地峡を超えて行ったアメリカインディアンもその血脈だ。
インディアンらも銀河を翔けて鳥を捕る。
銀河鉄道の舞台・・鳥捕りと、インディアンの衣装は、
鬼剣舞のエッセンスをと考える。
生き物の生命を狩り、血飛沫を受ける者を蔑み忌み嫌いながら、
生き物の生臭さが抜かれ、乾いたものに変えられた、
菓子のように甘く旨い食べものを食すことへの畏れと恥ずかしさ。。
無惨にアテルイら異人を殺したこと、
鳥の命を菓子のごとく食味の楽しみにすること、
自らの煩悩をみるとき、それは鬼となって現れる。
鬼は煩悩の化身。
しかし、鬼は、銀河と森の子なのだ。
打つも果てるも火花のいのち、
打つも果てるもひとつのいのち。。。
原体剣舞連(はらたいけんばひれん)
こんや異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
鴾いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる気をふかみ
楢と椈(ぶな)とのうれひをあつめ
蛇紋山地(じやもんさんち)に篝(かがり)をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
肌膚を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗(あら)び
月月に日光と風とを焦慮し
敬虔に年を累(かさ)ねた師父(しふ)たちよ
こんや銀河と森とのまつり
准平原の天末線(てんまつせん)に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
Ho! Ho! Ho!
むかし達谷の悪路王(あくろわう)
まつくらくらの二里の洞(ほら)
わたるは夢と黒夜神(こくやじん)
首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかゞりにゆすれ
青い仮面このこけおどし
太刀を浴びてはいつぷかぷ
夜風の底の蜘蛛をどり
胃袋はいてぎつたぎた
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
さらにただしく刃(やいば)を合はせ
霹靂(へきれき)の青火をくだし
四方の夜の鬼神をまねき
樹液もふるふこの夜さひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲と風とをまつれ
dah-dah-dah-dahh
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋りの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻萱穂(いなづまかやぼ)のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah