その中に6つの疑問が書かれていたので、チャンちゃんなりに考えられることを書いておきます。
2.なぜ結婚や出産後女性は仕事を辞めるのか。
3.なぜ茶碗の大きさや箸の長さに男女差があるのか。
男女の関係については、文化の基礎に関わることなので、以下から語らざるを得ません。
中国や韓国などは、儒教思想を取り入れて 「父系の血統主義」 に基づく家族制度を敷いています。日本は父系とも母系ともいえないのが実態ですね。中国や韓国では、妻は結婚して子供を生んでも夫の姓にはなりません。つまり夫婦別姓は、男女平等だからという理由でできた制度なのではなく、「父系の血統主義」に則して女性を男性の血統から区別・差別しておくためにできた制度なのです。
男女別姓は、男女平等を意味するというのは全く間違っています。逆なのです。 《註1》
日本人の女性は、姓を変えて完全に男性の家系に属することになります。戸籍において男性の家系から差別されないのです。差別されないどころか、日本人女性は結婚すると「(家計の)財布を握る」という習慣ができているのです。これによって、日本人女性は男性に支配されるどころか、心理的に優位な立場に立てるのです。欧米では社交の場のたしなみとしてレディーファーストなどと言いますが、欧米の女性は家計の財布を握ってはいません。中国や韓国の女性達と全く同じように、本質において男性から生涯にわたって差別され、心理的に劣位な状態におかれ続けるのです。《註2》
だから、欧米や中国の女性は、父系の血族から排除された場合の危機回避策として、自分ひとりで生きて行く強さが必要になるのです。
従順で穏やかな大和撫子は安心できる環境を前提としてこそ育つのです。
危険な環境を前提として育つのなら薔薇のように棘が必要になるでしょう。
■「父系の血縁主義」は寒冷地域の伝統 ■
ただし、中国文化圏にありながら台湾や東南アジアの場合、家計のサイフを握っている女性の比率は比較的高いかもしれません。これは、気候に関わっているのでしょう。
中国史上の政権の殆どは華北を本拠地とした民族によって維持されてきました。寒冷で食物が豊富でない華北地域ではやはり略奪経済が基礎になってしまいます。つまり腕力がものをいう男社会になります。故に、「父系の血縁主義」が選択されたのでしょう。
台湾や東南アジアは、亜熱帯気候で食物は豊富です。略奪という野蛮な腕力は必要ありませんでした。「父系の血縁主義」が成立する風土的・(略奪)経済的背景が希薄なのです。また、台湾や東南アジアの諸島に住む漁労文化の地域では、男たちが海に出て帰ってこない事態が高い確率で起こりうるため、女性が家計の維持管理者となっていた文化の下地が以前からあったのです。
日本人は二つの異なったものを対立させてより高い次元に昇華させようとする弁証法のような考え方をしません。男と女は生物学的にも脳科学的にも決して同じではありません。男優女劣と言っているのではありません。「違うもの同士を“対立”させる」のではなく、「違うもの同士を“結ぶ”ことでひとつになる」と考えるのです。男女の性差をわきまえて、それぞれに違った役割をこなしながら夫婦二人で一つになることで社会に属し貢献するという考え方が基調にあるのです。《註3・4》
「対立」の反対語は「融合」になりますが、日本文化は、「融合」という言葉を使わず「結び」とか「和」という言葉を使います。「対立」を基調とした文化では、まず前提として同等・同権であることを目指しますが、「融合(結び・和)」を基調とした文化において同等・同権は不問です。箸の長さやお茶碗の大きさが違うのも、「対立」ではなく「結び」を基調とした文化だからといえます。
江戸時代にも、現代の人生ゲームのような双六がありました。男用、女用と別々に作られていたそうですが、女性の最高の上がり(ゴール)は「専業主婦になること」として作られていたそうです。《註5》 社会全体が豊かでなかった江戸時代において、「専業主婦」はまさに最高の人生だったのです。
現在の日本では女性の社会進出が進んでいますが、それは男性の給料だけでは生活がきびいしいという現実が先にあるのです。男女同権思想は格差社会の進展と裏表の関係で日本社会に根づくよう計画的に推進されているのです。《註6》 バブル崩壊以前である22年前までのように、男性の給料だけでやってゆけるのであれば、社会に出たがる日本人女性は今でも決して多くありません。寿退社を望んでいる日本人女性は少なくないのです。
《註1》 『小室直樹の中国原論』小室直樹(徳間書店)《中編》
【宗族】
《註2》 『日本人て、なんですか?』呉善花・竹田恒泰(李白社)《中編》
【日本は心理的には女性優位な社会である】
《註3》 『神道〈徳〉に目覚める』葉室賴昭(春秋社)《後編》
【夫婦は別々に男女平等か?】
《註4》 『枠を超える発想』石井憲正(致知出版)
【日本文化はムスビの文化】
《註5》 『女のいない世の中なんて』薮田貫(フォーラム・A)
【「人生双六」にみる江戸時代の女性】
《註6》 『聖書の暗号は知っていた』伊達巌(徳間書店)《前編》
【ウーマン・リブ運動の企み】
《参照》 『異文化に心を溶かせて』穴口恵子(悠飛社)《後編》
【アクエリアン・エイジ】
《参照》 『ガイアの法則[Ⅱ]』千賀一生(ヒカルランド)《中編》
【男女(陰陽)という性差に関する人間観】
~ 《後編の最後まで》
世界各国の言葉はそれぞれに固有の文化的背景を持っています。ですから完全な翻訳は決して出来ないといわれています。たった一つの単語においても概念がピッタリ重なることはありません。繊細な日本人は大雑把なことが嫌いです。ですから外来語の文化的背景や概念を捻じ曲げないためにあえてカタカナ表記として外国語を尊重しているといえるのです。
一方、日本語の尊重という点で表現するなら、以下のようになるでしょう。
日本人が「外来語」を日本語にせず「カタカナ表記」で使うのは、中国人が「父系の血縁社会」を維持するために「男女別姓」を維持しているのと同じ構図で考えればいいのです。つまり、外国語という外国文化の血統を、日本語と言う日本文化の血統に交ぜないことで、日本語の純粋性を保っているのです。
日本語の中枢は「大和言葉」であり、それは「訓読み」の日本語を意味します。古代日本が中国語文化を輸入した時も、漢語の読みは「訓読み」とは別扱いの「音読み」として言語的血統を弁別していたのです。《註7》
現代においても同様に、欧米の単語を「カタカナ語」として言語的血統を分けて区別し、純粋な日本語である大和言葉を守っているのです。また、日本人は明治維新以後、西欧の文献を多量に翻訳し、多くの単語を漢字に置き換えましたが、それらの単語はやはり音読みの漢字に当てられているのです。
近年、日本人の翻訳によって漢字に置き換えられた西欧起源の外来語が、そのまま中国語として使われていますね。日本人の中には、漢字はすべて中国から来たと思いこんでいる人が少なくないので、書き添えておきました。《註8》
■日本古来の文化芸術“ 短歌 ”の世界に見られる日本語の特性■
【現代中国語における日本語】
愛国心についても基本は上記と同じですが、最も大きな原因は、戦後、愛国心を否定的に捉えた教育といえるでしょう。教育がそんなでしたから、自分自身で身を以て異文化接触を経験しないことには、愛国心など芽生えないのです。
しかし、世界は20世紀から21世紀へ移行する過程において、「対立」基調から「融和」基調へと変化して行きます。「まさか・・・」って思うかもしれませんが、そうなのです。2020年までに地球上から戦争は完全になくなってゆくでしょう。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞のように。《註9》
「融和」基調に準じて、いずれ国境も宗教も溶けてゆくことを前提に考えるなら、日本人の愛国心の希薄さは、むしろ世界の最先端を行っているのかもしれませんね。
そもそも、「対立」ではなく「融和・結び・和」を基調とするのが日本文化なのですから、日本と言う文化的風土にあっては、愛国心というものは本質的に生じにくいのです。《註10》
《註9》 『今あなたに知ってもらいたいこと』オノ・ヨーコ(幻冬舎)
【イマジン】
《註10》 『ギャラクティックファミリーと地球のめざめ』ジャーメイン&サーシャ(リサ・ロイヤル)《後編》
【日本人:地球を統合する使命】
以上です