記録として残します。
妹ががんばって連絡しただけあって、父はたくさんの方々に見送られた。
神社関係の方々、学校関係の方々、ご近所さんたち、遠い親戚や昔の教え子たちまで。
父に最後の挨拶をしたいと集まってくれた。
座る椅子が式場に入りきらないほど並んだ。
「先生だったのは何十年も前のことだし」と私は思ったけど、当時の若い同僚さんたちや教え子さんたちはその何十年も前の記憶をたよりに最後のお別れに来てくれた。
ほんとにありがたいこと。
終わってみれば。
ギュッと詰めたスケジュールだったけれど週末には日程は終了。
暑さも落ち着いて秋晴れのいいお天気。
週のなかばに亡くなり葬儀は週末なので遠方からの皆さんも集まりやすい。
妹のところは10月初めに東京で孫のお宮参りが控えていた。
父が長くないと思った9月なかばから「なんとか10月なかばまではもってほしい」と祈るような気持ちでいたのは私も妹も同じ。
でも。
「じいちゃんなんでこんな忙しいときに?」と初めは思ったけれど、父は私たちの都合も考えて最高の日を選んで逝ったとしか思えない。
うちに限って言えば。
ダンナも息子も週末なので遠方からでも来やすかった。
動きのとれない娘のために娘ダンナちゃんが来てお世話してくれた。
ついでにポメ子のめんどうも見てくれた。これも週末だからこそ。
なにかあったらポメ子をどうしようとずっと思っていたので、それが「娘の里帰り中」という形でなんとかなるなんて。
じいちゃん。ちゃんと私たちのためにいい日を選んでくれたんだね。
ほんとうにほんとうにありがとうね。
弔辞や来てくれた方々の話を聞くと。
父は多くの人に慕われ仕事でもりっぱな功績を残していた。
身内だけでこじんまり見送っていたらそんな父の姿を知ることもできないままだった。
じいちゃんごめん。
都会の合理化の考え方に慣れてしまって、いろんなことをバッサリ切ってしまうところだったよ。
じいちゃんの思いをくみとってちゃんと見送ってくれた妹に大感謝だよ。
おしゃべりで教えたがりでお世話好きで食いしん坊な父。
元気なときに父と話した。
「ばあちゃん(母)のお葬儀は4月の桜満開のときだったよね。新学期始まってひといきついてみんなが集まりやすいときだったよね。
さすがに気配り満点だよ。じいちゃんもいいときによろしくね」。
私がそう言うと「俺はみんなが忙しいとき逝ってやるから。それかビリビリと寒いときな」。
父はいたずら坊主のような顔をして笑った。
じいちゃん。
ほんとに今までありがとう。
近くにいられない親不孝な娘でほんとにごめん。
安らかにお眠りください。




