自己紹介 ② は、高校進学のころから20代の終わりまでです。
スピリチュアル・メンタルセラピスト中村しのぶの自己紹介シリーズ。
⇒ 『自己紹介① 生まれ~中学まで」はこちら
次第に思いが叶わない状況が目立つようになってきたのは、
高校受験の頃からです。
負けん気が強い私は、それなりにいい成績はとっていて、
目指す高校には余裕で受かるはずだったのですが、
中学3年になるとき、
父の転勤にともない転校することになり、
越境入学をしないといけないことに。
そしてその手続きがうまくいかず、
受けるつもりの学校を受験できなくなりました。
受験可能な狭い選択肢の中から高校を選ぶしかなく、
まったく行くつもりのなかった高校に入学。
でもやはり不本意で、
もともとの志望校へ、翌年の再受験を希望しますが、
親から『女の子がそこまでしなくていい』
と拒否され、そのまま卒業まで。
友達はたくさんできて楽しい時間は過ごしましたが、
なんとなく不完全燃焼のまま高校生活を送りました。

受ける大学も決めていたのに、
高校でルートから外れたために受験できる可能性が低くなり、
ほかの大学に行くという選択肢が私の中ではなかったため、
大学に行くことは断念。
大学に行かないからデザインの勉強をしたいと思いましたが、
封建的な考えの親から、東京の専門学校に行くことを猛反対され、
将来への希望がなくなり、
仕方なく就職することになります。
今から思えば、反対を押し切ることも、
ほかの選択肢もあったように思えますが、
当時の私にはどれもできなかったのです。
保険会社の内勤で仕事を始めてからは、
仕事の条件的に恵まれていたこともあり、
仕事は生活のためという感じできっちりこなしつつ、
プライベートの時間をとても楽しんでいました。
中学の時は軟式テニスでしたが、
二十歳を過ぎて硬式のテニスを始めたら、
いいテニス仲間に恵まれて、
テニス以外にも一緒にたくさんイベントや旅行を楽しみました。

ほかにもエアロビクスやウィンドサーフィンなど、
よく体も動かしていました。
ただ、何をやっても痩せはしなかったですけど(^^;)
また、同世代のアメリカ人の女の子と
とても仲良くなったのをきっかけに、
外国人のお友達がたくさんできて、
日常的に触れ合う機会も増え、世界が広がっていきました。
恋愛はからきしダメで、素敵だと思う男性には
『私なんか』という思いが強く働いていたようです。
片思いのままだったり、
一緒にいてもなんだか自分が不自然になり、うまくいきません。
そして、相手にすべて合わせようとするので、
だんだん自分がどうしたいのかわからなくなり長続きせず、
ご縁があるのは今で言うダメンズばかりでした。
やりたいことはどれも叶わず、
ただ、目の前の日常を楽しむだけ。
OLの生活としては上々だったかもしれませんが、
私の中には『やりたいことができていれば・・・』
という後悔が常にありました。
でも、親元を離れて一人暮らしをしていたこともあり、
私の人生の中では、
一番自由に過ごせていた時期ではありました。
さてダメンズにしかご縁のなかった
私はどうなったでしょう?