2016年。
当時、東京に住んでいた僕は「自分には限界があるし、日本もあらゆるところで限界だし、救いの手はないし、人生詰んだ」と思っていた。

 

日本に流れている「情報」に限界を感じたとも言える。

 

例えば、出版物はある程度の規制がある。

大衆ウケすることしか出版はされない。

それ以上の特殊な情報は、スピリチュアル扱いされる傾向が日本にはある。

 

ある程度の行き過ぎた情報が日本でスピリチュアル扱いをされるのは、そこに日本の「科学的限界」があるということになる。

 

僕はそれらの全体を冷静に眺めていて「日本の情報の限界」だと思ったのだった。


しかし、そんな偉そうに言う僕も、結局は同じ穴のムジナであって、その状況を打破する力は全く無い。

 

だからこそ、もう打つ手がないので「何かないのだろうか」と思うことしかできなかった。

 

「日本にない情報を海外に探しに行かないと、この先の発展は無いのではないだろうか?でも海外に行こうと思っても何のあても資金もない」そんなことを考えていた。

 

当時もう36歳だった僕は、今まで努力してきたつもりが結局は行き詰まっている。いったい今まで何をしていたのだろうと思えた。

 

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