イランから日本へ 東京国立博物館 その4
ここは、上野にある東京国立博物館の
北側庭園です。
「イランの細密画―『シャー・ナーメ』
の世界―」展が目的だったが、
他の展示品も観賞して来ました。
本格的な日本庭園で、
由緒ある茶室が5棟あります。
日本人は、風雅を愛していました。
そして和歌を吟じる事に
情熱を傾けました。
何より古人の足跡に崇敬の
念を抱いていました。
それらの点で、イランと日本は
とっても良く似ています。
イラン人は、古(いにしえ)の詩を
こよなく愛します。
イランの詩は、日本の和歌と
同じように吟詠するものです
から「歌」と同じです。
和歌も、五七五七七の
みそひともじを吟詠する
から「歌」と言ったのです。
ペルシャン・ラヴ。
武断政治を行うアメリカ&
イスラエルの側に立つのか、
侵略され、国や軍の首脳陣
を殺され、多数の子供達や
一般市民を空爆で殺められた
イラン側に立つのか?
俺は、言うまでもなくイラン側だ。
イランから日本へ 東京国立博物館 その3
去る2月28日、
「イランの細密画―『シャー・ナーメ』
の世界―」展が上野の東京国立博
物館で開催されていたので来館した。
北側庭園です。
この庭には5棟の茶室があります。
以下、HPより。
九条館
昭和9年(1934)九条道秀氏より
寄贈され、東京赤坂の九条公爵
邸から移築されました。
床張付等には狩野派による著色
山水図が描かれており、これらは、
もと京都御所内の九条邸にあった
ものです。
欄間には花梨の一枚板に藤花菱が
透彫されています。
応挙館
名古屋市郊外の明眼院の書院
として寛保2年(1742)に建てられ、
後に東京品川の益田孝氏(鈍翁)
邸内に移築、昭和8年(1933)当館
に寄贈されました。
室内に描かれている墨画(現在は作品
保護のため複製)は、円山応挙が明眼
院に眼病で滞留した折に揮毫したもの
と伝えられています。
以下の茶室解説は省略します。
入館者の7割くらいは
外国人でした。
現在、東京国立博物館の入館料は、
日本人、外国人を問わず大人1,000円
です。
どこの国立博物館・美術館も、
維持運営費に苦労してます。
そこで、文化庁は2031年までに、国立の
美術館・博物館において外国人観光客
の入館料を高く設定する「二重価格」の
導入を決定。
また、国立博物館・美術館に対し、4年後
の時点で、展示の費用に対する入場料
などの自己収入が4割未満になった場合
などに、「再編」の対象とすることを伝えた
そうです。
「再編」とは、ずばり閉館もありえ
るということです。
文化財をマネタイズする
貧困な発想と言わざるを
得ませんな。
つづく。
イランから日本へ 東京国立博物館 その2
去る2月28日、
上野の東京国立博物館に
行って来た。
「イランの細密画―『シャー・ナーメ』
の世界―」展が目的だったが、
他の展示品も観賞して来た。
伯耆の安綱。
俺は、中里 介山の『大菩薩峠』
を読んで、この銘刀の事を知った。
伯耆の安綱が出てくる場面は、
残忍で陰惨な情景がこれでも
かと表現されていた。
人間の極限的業が展開される
凄まじい小説だった。
作者である中里 介山は、
『大菩薩峠』を、大乗仏教の
世界を描いた小説と表明
されている。
日本最長の長編小説で、
多彩な登場人物と、広範囲な
ジャンルに亘って、奥深く
描かれている名作だが、
最後まで読まれた読者は
ごく僅かだ。
明治になって、切り捨てられた
歴史を持つ仏教だが、
仏教が追求して来た人間に対する
核心的哲理が現代では見直され
つつある。
つづく。
イランから日本へ 東京国立博物館 その1
去る2月28日、
「イランの細密画―『シャー・ナーメ』
の世界―」展が上野の東京国立博
物館で開催されていたので来館した。
目的の展示物を観終わって、
別室に移動。
季節柄、江戸時代の雛の節句に
因んだ人形などが展示してあった。
素朴な人形たち。
紫宸殿(雛用御殿) (江戸1850年頃)。
すごく精巧なミニチュアです。
別室に移動です。
若い頃に憧れていた
伊能忠敬。
今から200年も前に日本中を歩き回って
日本地図を作製した。
歩測(第1次のみ)や間縄・鉄鎖で距離を、
彎窠羅針(方位盤)で方位を測り、
梵天(竹竿)を目印にして、夜間は
天体観測(象限儀)で緯度の誤差を
修正する超精密な実測を行ったそう
だ。
つづく。


































































