バザラスからのアジアン紀行 -2ページ目

開山堂(両大師)

ここは、上野の開山堂(両大師)。

 

今から一ヶ月度ほど前、

 

梅の花の綻ぶ季節に

行って来ました。

 

以下、HPより。

 

「開山堂(両大師)の歴史。

 

開山堂は、東叡山寛永寺の開山

である慈眼大師(じげんだいし)

天海(てんかい)大僧正と、天海

大僧正が尊崇していた慈恵大師

(じえだいし)良源(りょうげん)大

僧正をお祀りするお堂で、現在の

お堂は平成5(1993)年に再建され

たものです。
 

もともとの創建は正保元(1644)年

で、前年に亡くなられた天海大僧正

を祀る「開山堂(かいさんどう)」でし

たが、後に寛永寺本坊内にあった

慈恵堂(じえどう)から慈恵大師像を

移し、慈恵・慈眼のお二人のお大師

をお祀りしたことから一般に“両大師

(りょうだいし)”と呼ばれ、庶民に信仰

されています。

 

慈眼大師(じげんだいし)とは

 

慈眼大師天海大僧正(1536~1643)

は、東叡山寛永寺を開山された天台

宗の僧侶です。

 

ご出身は陸奥国大沼郡高田(現在の

福島県会津美里町)で、豪族の蘆名

一族の出身といわれています。

 

11歳で得度されて随風(ずいふう)と

名乗り、後に川越喜多院の名僧豪海

(ごうかい)の門下に入り天海と名を改

めました。
 

天海大僧正が世に広く知られるように

なったのは、織田信長による焼き討ち

で荒廃した比叡山延暦寺の復興を命

ぜられてからです。

 

天海大僧正は現在の根本中堂をはじ

め数々の堂宇を再建されました。
 

また天海大僧正は、寛永寺を創建

するにあたって德川家の祈祷寺とし

ましたが、その造営はすべて比叡山

延暦寺に倣って行いました。

 

また上野の山を江戸庶民の憩いの場

とするべく、吉野の桜を取り寄せて上野

の山を桜の名所とし、また不忍池には蓮

を植えて放生池としました。
 

一方天海大僧正は、木活字を用い

て経典を出版するという一大事業を

行い、その木活字は重要文化財に

指定されています。

 

こうした生前の数々の功績が讃えられ、

朝廷より「慈眼大師」の大師号が下賜さ

れました。

 

慈恵大師(じえだいし)とは、


慈恵大師良源大僧正(912~985)は、
天海大僧正が尊崇した僧侶です。

良源大僧正は正月3日に亡くなられ
たことから「元三(がんざん)大師」と
も呼ばれています。

 

良源大僧正の当時、比叡山は度重なる

火災で荒廃し、また山内の規律も乱れ

ていました。

 

そこで良源大僧正は堂宇の復興と教学

の振興に尽力され、僧風の刷新をはか

りました。

 

こうしたことから「比叡山中興の祖」と

称賛されています。
 

また大変に霊力に優れた僧侶であった

ことから、良源大僧正のお姿を護符に

した「角大師(つのだいし)」「豆大師

(まめだいし)」という魔除けの大師が

広く信仰されました。

 

さらに良源大僧正は「おみくじ」の創始者

としても知られています。

 

良源大僧正の幅広い活躍に対し、朝廷より

「慈恵大師」の大師号が下賜されました。

 

両大師のつながり。

 

伝説によると、德川家康公の墓所

を静岡県の久能山に造営した天海

大僧正の夢に良源大僧正が現れ、

戸隠山の神前にあるくじを引くこと

で吉凶を占うことができる、と告げた

そうです。

 

ここから天海大僧正が慈恵大師信仰

を広めるようになったと言われていま

す。
 

特に、德川家光公の世継出生祈願

を命じられた天海大僧正は、慈恵大

師のお姿を安置してご祈祷を行いま

した。

 

そこで誕生したのが、後に四代将軍と

なる家綱公だったのです。

 

こうして慈恵大師の霊力は、天海大

僧正のご祈祷を通じることで将軍以下

誰もが知ることになってゆきました。
 

ところで天海大僧正が亡くなった後、

両大師の画像が1ヶ月ずつ寛永寺の

子院をめぐることが幕末まで行われま

した。

 

この画像は10月1日に両大師に戻り、

10月2日の天海大僧正の命日には、

本坊から輪王寺宮が輿(こし)に乗り

一山住職とともに盛大なお練りを行う

大法要が営まれました。

 

ここには見物の江戸庶民が大変に

多く集まったとの記録があります。」

『モンゴルが世界史を覆す』杉山 正明 著(日経ビジネス人文庫)

「世界史」には、中心は無いはずだが、

我々日本人は、西欧中心史観の

「世界史」に馴染んでいる。

 

その箍(たが)を外して、偏りの無い

目で世界を見る事は、現代の日本人

にとっては至難の業である。

 

その至難の業としている固定観念

を打破すべく、数多くの著書を通じ

て偏りの無い歴史の見方を訴えて

来られた杉山正明氏。

 

特に、杉山氏の専門であるモンゴル

帝国(1206年 - 1635年)は、現代

文明(グローバル文明)に計り知れ

ない影響を与えて来たのだと、多言

語の歴史資料や精緻な時代考証を

基に論を展開されている。

 

モンゴル帝国の中枢と言えば、

中国の元王朝。

 

モンゴルに限らず、ユーラシア大陸の

騎馬民族に詳しい杉山氏によれば、

中国における純粋な漢族王朝は、

漢・宋・明の3つくらいしかない。

 

その他の歴史的中国王朝は、周辺

の遊牧騎馬民族国家との合従連衡

的国家だと言われています。

 

中国共産党員や保守的中国人が

聞けば、はらわたが煮えかえるよ

うな歴史考察ですが、

 

去年川崎で出会ったモンゴル人が、

「京大における杉山先生の講義は

 すごい人気で、大講堂に立ち受講

 者が出るほど。

 しかも中国人の姿が多く目についた」

 と言っておりました(笑)。

 

以下、Amazonの商品説明より。

 

*上2つの「モンゴル・ハーン」の画像は、

  本書とは関係ありません。

 

「残虐さが喧伝されてきたモンゴルは、

 実は「戦わない軍隊」だった。

 

東方見聞録を書いたというマルコ・

ポーロはその実在自体が疑しい。

 

モンゴル帝国は世界と日本に何

をもたらしたのか。

 

歴史常識を翻すエッセイ集。」

 

日本橋~神保町をほっさるく(ぶらぶら散歩する:宮崎弁)その2

江戸は末期の天保元年(1830年)、

11代将軍徳川家斉が国を治めて

いた頃に開業した「いせ源」。

 

ここは、神田須田町。

 

東京都選定の歴史的建造物に

指定されるような老舗(しにせ)

の商店が数多く営業しています。

 

この一角に入ると、一気に過去

にタイムスリップした感覚になり

ます。

 

鳥すき焼き「ぼたん」。

 

明治30年(1897年)創業。

 

冒頭の「いせ源」さんは、

都内唯一のあんこう料理

専門店です。

 

江戸・明治・大正・昭和初期

の風情を味わえます。

 

1880年(明治13年)創業の

「かんだやぶそば」。

 

2013年(平成25年)、火災が発生し、

一部焼失した為に、旧店舗を取り壊し

翌年リニューアルオープン。

 

とある企業のガラス壁。

外部からは見えないが、

 

ガラス窓に携帯のカメラレンズを

くっ付けると、出てきた!!

 

ここは、ネットで調べても

何の情報も出て来なかった。

 

個人宅なんでしょうね。

 

正式名称は「日本ハリストス正教会

教団東京復活大聖堂」。

 

明治24(1891)年にこの大聖堂を建築

したロシア正教会の大主教ニコライ・

カサートキン(Nikolai Kasatkin)の名

にちなんで、明治時代から「ニコライ堂」

と呼ばれている。

 

神保町のうなぎ屋さん

「今荘」。

 

1933(昭和 8)年竣工です。

 

日本橋~神保町をほっさるく(ぶらぶら散歩する:宮崎弁)その1

ここは、日本橋三越本店地下。

 

地下鉄駅コンコースに面した

小さなショーウィンドー。

 

日本の店玄関の

象徴は、暖簾。

 

「中国の仏教禅書「勅修百丈清規」

 (ちょくしゅひゃくじょうしんぎ)が

 鎌倉末期にわが国に渡来、禅寺

 では簾の事を涼簾、寒期には簾

 に布を張って暖簾と呼んでいました。

 

その中の暖簾(ノウレン)が変化して

(ノレン)の名称が生まれたと言われ

ます。」

 

オーダーのれんドットコムより。

 

日本橋室町三井タワー1階の

パブリックスペース。

 

フランス・ニース生まれのアーティスト、

グザヴィエ・ヴェイヤン氏によるもので、

東京オリンピックの開催を記念して制作

されたものだそうです。

 

5体の色は青、黄、黒、緑、赤で、

オリンピックの旗に準じているそ

うです。

 

メトロポリタン東京のど真ん中

でも、こんなクラシックな店が

残っております。

 

穴子料理店。

 

リアカー完備(笑)。

 

インバウンド・ツーリスト。

 

好きだよね。

 

ちゃんと国際運転免許

持ってんのか?(笑)。

 

つづく。

通勤路の花晴れ

じゃーん!

 

昨日の続きです。

 

春雨と曇りが続いている

昨今の隙間晴れ。

 

やっぱり晴れていると、

艶やかさが増します。

 

青空にも映えますね。

 

これらの花々を見るのは、

この通勤路で3度目の春を迎

えたから、3回目です。

 

今年は、花の数が少ないようです。

 

花にも裏作ってあるのかな。

 

それとも、単なる俺の

思い込みか。

 

この歳になると、思い込みが

激しくなるからな(笑)。

 

こちらは、まだ咲き始めの頃の

画像です。

 

来年も見られるかな?