調子に乗って5編も綴った長駄文に『余談』を綴るだけでも
『バカの暴挙・・・』
だが、更に、それに『余談』を足すとは、最早、
『ボケの世迷い・・・!』
としか喩えようは無かろうが、まあ、義理でお付き合い頂いて居る方も両手指で余るほどしか居らっしゃらないのだから、自己満を続けるとして・・・(汗)
前回の『余談』は、お隣Chinaさんの現政府(=中華人民共和国)が誕生した1949[昭和24]年までを概略辿ったが、このジジイが綴りたかった『余談』は、実は、この後に有る・・・!
云うまでも無く、我が日本国が、この大陸国やそれを加勢した連合国との大戦に敗れたのは『昭和20[1945]年8月・・・』
で、ココからは、アメリカさんを中心とした『連合国軍(=GHQ)』の監視下で、1952[昭和27]年4月までを『被占領国』として操られる訳だが、この敗戦の段階では、連合国側( =ポツダム宣言通告国)に名を連ねて居たのが、
『蒋介石総統率いる中華民国(=国民党軍)・・・』
だったことは、今更云うまでも無い・・・!
更には、このジジイの世代は、この中華民国(=台湾)総統の『蒋介石殿』が、
『大陸人的寛容さ・・・!』
を現し、敗戦国日本に対して、
『戦後賠償を求めない・・・!』
と宣してくれたことで、我が日本は、
『戦後復興で大きな恩恵を受けたのだ・・・!』
と云う風に小学校と中学校の歴史では教わり、55年体制での自民党一党独裁的日本国の政治でも、
『台湾は、親日国で恩恵国・・・!』
として語られて居たし、今でもそう想われて居る向きも多いと想うが、今回、この『周恩来の決断』と云う本を読み、それに付随した史料などを漁ると、この
『恩着せ史観・・・』
には、些か大きな誤解が埋め込まれて居るように感じたのだ・・・!
と云うのも・・・、そもそも、1951[昭和26]年9月に『サンフランシスコ講和条約(=日本の独立)』が締結され、戦勝国だった『中華民国』との間で、この
『戦後賠償の放棄(= 条文・日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する。)・・・!』
と云う条文の議定書への署名が行われたのは、条約が実質的に発効する『1952年4月28日(=講和会議から6カ月後)』の
『僅か7時間30分前・・・』(=締結は台北市)
だったらしいから、然程恩着せがましく云われる筋合いの話でも無いのでは・・・?!
謂わば、共産主義中国が建国され、続いて朝鮮半島での
『南北朝鮮戦争・・・』(=1950年6月~1953年7月)
に介入せざるを得なくなった
『反共国の盟主・アメリカ・・・』
に追従するする為に、『日本の再軍備化』を迫るアメリカに脅されて、
『賠償を諦めた・・・!』
と云うのが、殊の真相だったと云うべき筋書だったようで・・・?!
つまり・・・、その間、1946年からの『国共内戦』で中国共産党に追われて、いよいよ台湾島に逃げ込み、『中華民国政府』を移すしか無かった蒋介石は、連合国として日本に戦勝した1945年段階での『対日戦勝国』の立場として、当初は日本への『戦後賠償』を求める姿勢で有ったのだが、講和条約会議までの6年の間に、中国共産党軍が国共内戦を制し『共産国化』して
『中華人民共和国、建国(1949年)・・・』
を宣言し、アメリカや西側各国が最も嫌う『共産(=社会)主義』が太平洋西岸(=極東)まで拡大して来たことで、それを後押しした『ソビエト連邦(=スターリン)』との間で、いよいよ『東西冷戦状態』が顕現現実化する中で、日本列島と蒋介石が居座る台湾島を
『対、防共ライン(=共産主義防衛線)・・・』
にしなければ為らなくなった
『西側の盟主・アメリカ・・・』
が、次におっ始まった『南北朝鮮戦争』に、慌てて日本を一刻も早く復興させる為に、
『戦後賠償は求めない・・・!』
と云う穏便な態度を鮮明にした為に、自国(=台湾)も、その『防共ライン』に与しなければ『国家存続』が保てない立場の『蒋介石』は、アメリカに追従する形で
『対日賠償請求の放棄・・・』
を謳わざるを得なかったと云うのが、隠された真実のようだ・・・!
ただ・・・、その苦渋の選択を、然も恩着せがましく装う為に、自分の寛大さを誇示するかのように
『対日戦後賠償を請求せず・・・!』
と云う度量を見せるような見解を示すに至るのだが、よく考えてみれば、この時期の台湾は、中国本土と違って日本陸軍に侵攻され、戦闘が行われて被害を受けて居た訳でも無く、
『1895[明治28・光緒21]]年4月17日・・・』
に、日清戦争の結果を受けて清朝から日本に割譲された時から、一応、日本国の統治下に置かれ、軍事的には日本帝国陸軍が上陸し、海軍の艦船が国境防備のために派遣されては居たが、台湾人との間に交戦は行われて居らず、日本は、この島を『和国化』することに骨を折り、道路や鉄道、港湾などのインフラを整備し、医療施設や教育施設へも多大の投資をしたり、耕地の開拓や精糖業などの産業振興にも力を注いて居たのだから、云い方を返れば、
『戦後賠償の先払い・・・』
を受けて居たようなモノで、台湾国民は、表面的には植民地人のように扱われ、謂われ無き辛酸を味わわされ委縮しても居ただろうが、環境的には、本国大陸で日本軍に蹂躙されて居る国民とは雲泥の差の有る平穏な生活を送れて居たと云っても善かったのでは・・・?!
その証拠に、日本国統治下での台湾の子供たちの就学率は、統治の初期段階では20%にも満たなかったのが、終戦前の1944年の段階では『75%』を越えて居り、日台断交後にジジイが台湾を訪れた1980年頃でも、街中を歩くと、人懐っこい顔をした現地の人から、直かに
『あんたは日本人か・・・?!』
と日本語で親しく話し掛けてくる年配者も居たし、中には日本語の童謡を得意気に歌って聴かせてくれたご婦人も居たほどで、不思議な親近感を覚えたほどだったし、日本人への抵抗感(=眼差し)は、その5年ほど後に訪れた中国本土での中国人の眼に比べれば、格段に穏やかに感じたのを好印象として憶えて居る・・・!
旧日本帝国が、
『日清戦争の戦利品(=下関条約)・・・』
として台湾を割譲統治するのは『1885年』からだが、そこからの約60年間で、日本は、あの台湾島に対しては、日本列島に劣らぬ統治体制を築くべく投資を急ぎ、鉄道や道路、港湾整備を急ぎ、産業では『精糖事業』を興させたり、教育を整備し、中国本土を麻痺させた『アヘン対策』や公衆衛生事業など、あらゆる方面に気を配って『和人化』を図ろうとしたのだから、台湾の人々が、次第に日本人(=軍)への感情を軟化させたとしてもおかしくは無かっただろう・・・!
そんな一種平和な台湾島に、共産党との内戦で行き場を失った
『国民党(=蒋介石)軍・・・』
が雪崩を打って逃げ込んで来て、この島を
『中華民国・・・』
と名乗って独立国家状態にしたし、蒋介石は、清朝が消滅し、辛亥革命などで大混乱に陥った北京の皇帝の居城だった『紫禁城』に在った宝物類のほとんどを持ち出し、南京政府から武漢に移し、最後は台湾に運ばせたお陰で、台湾には、何故か
『故宮博物館・・・』
なんて立派な建物が建てられ、内部には、中国歴代皇帝時代の宝物が飾られて居るのを、ジジイは、
『何で、これらが台湾に在るのだ・・・?!』
と訝りながら見物したのを憶えて居るが、その段階では、
『蒋介石さんは、日本の恩人だ・・・!』
と教え込まれて居たから然程深くは考えなかったのだが、数年後、今度は大陸の中国を訪ね、北京で、あの広大な『紫禁城』を訪ねた時に、この事実を識って蒋介石の
『盗人猛々しい魂胆・・・』
に驚いたのも忘れない・・・(汗)
(台湾の故宮博物館・画像は、expedia.co.jpより拝借)
(国父・蒋介石の廟・画像は同上)
蒋介石の『賠償放棄宣言』については、在台湾メディアが昨年(=2024年)に発表してして居る
の記事に詳しい経緯がレポートされて居るから、ご興味が有られれば読んで視られれば・・・?!
これを読むと、日本が敗戦してから国共内戦、更には米ソの東西冷戦の顕在化が露わに為って行く中で、アメリカが、その南側の台湾島(=中華民国)までを繋げたこの日本列島を
『太平洋西岸の制海権・・・』
を保つための『防共ライン』として、軍事的に要塞化しようとして居た思惑が明確に読み取れる・・・!
だから・・・、佐藤首相から田中首相に代わった時、田中首相が一気に『日中国交回復』に奔ろうとした際、それまで、米国が裏で目論んで居た『防共ライン』の意を受けて居た『親台湾派(極)右派系政治家や活動家(=右翼)』が、
『台湾断交など罷りならん・・・!』
と怒きり立ち、一時は、
『田中・大平暗殺計画・・・!』
なんて噂が真しやかに流れた時期も有ったと後に誰かが語ったのを憶えて居るが、そうは云っても、安全保障条約関係に有るアメリカさんが先に訪中で仲良く為ってしまった(=ニクソン・ショック)のだから、この威勢も次第に立ち消えに為ってしまったらしい・・・?!
ただ云えるのは・・・、中国共産党が、日本軍の侵攻に抗うべく、折り快くお隣での『ロシア革命』に成功し、あの『ヒトラー・ドイツ』を倒した『共産主義』を受け入れるべく
『連ソ容共・・・』(=ソビエトと組み共産主義を受け入れる・・・)
と云う思想に奔りながらも、抗日の旗を掲げる『蒋介石・国民党軍』との間に
『中共合作戦術・・・』(=国民党軍と共産党の抗日連合闘争・・・)
を組み、日本に抗ったのは、
『故国を守る・・・!』
と云う
『同朋の大義・・・』
の為には、避けられない選択だったと云うべき気がする・・・?!
話が随分と回りくどく為ったが、ジジイが云いたかったのは、あの『日中国交再開声明』の中で、時の周恩来首相が、
『我が国は、日本国に対して、先の不正常(=戦争)状態の中で蒙った被害に対する賠償を求めない・・・!』
と謳ったのは、この『蒋介石』の賠償放棄宣言を受けて、それへの日本国内での『有難がり崇拝』の空気を読んで、
『蒋介石の独り芝居に劣っては為らない・・・!』
と云う中国共産党の自負がさせた判断で有った訳で、それを如何にも尤もらしく表現する方法として、未だ『恨み』を忘れて居ない中国国民に向かって、
≪ あの戦争では、一部の政治家や軍部の被害者でも有った日本国民に賠償を支払わせるのは、労農扶助のイデオロギーを掲げる共産主義思想に反する・・・!≫
と云う理論着けで片付けた辺りは、さすが『能吏の鏡』の智慧と云うべきかと想った次第で・・・!
我々日本人は、この一番身近な『近、現代史』を正しく弁えて措かないといけないのだが、現代教育では、何故かココを端折って教えるから、変な中国観が根強く育ってしまって居るのだ・・・!
と同時に・・・、これこそまったくの余談だが、今回出合った
『連ソ容共・・・』(=ソビエトと組み、共産主義を受け入れる・・・)
と云う言葉を識り、咄嗟に、あの『安倍晋三元首相・遭難死事件』以来、一気に有名に為った『旧・統一教会』が謳い掲げた
『勝共連合・・・』(=共産主義に打ち勝つ・・・)
と云う言葉が浮かんだことだ・・・!
この『勝共』の言葉の下に、統一教会を興した教祖『文鮮明氏』は日本の『保守政治家層』に喰い込み、この日本での布教活動を活発化させ資金源にしたのだが、その端緒は、安倍氏の祖父『岸信介氏』から始まって居り、以降、一代(=池田内閣)を挟み、弟の佐藤総理から福田派へと続く流れを築き、それが今にも続いて、ここ数年の
『政治とカネ騒動・・・』
に至って居るのは今や明らかな事実だが、その『勝共思想』の流れを隠し持つ宰相を戴き、それを持て囃す日本人の多いことに、このジジイなど少なからぬ危惧を抱かないでは居られないような・・・?!
って・・・、またまた余談だったな・・・(汗)
ジジイは、決して共産(=社会)主義崇拝論者では無いが、過去の歴史を正しく認識して措かなければ、また同じ過ちを繰り返すことに為りそうで仕方が無いのだがなあ・・・?!
『井戸の由来(=歴史)・・・』
を正しく識って措かなきゃ、不純物入りの水を飲むことに為りますぞ、高市殿・・・(笑)
などと・・・、余談の余談が一番長い余談に為ってしまったが、若しお付き合い頂いて居りましたら、本当に申し訳有りませんでした・・・(謝&拝)
人間はクドくは無いつもりだが、文章はクドいわなあ・・・(汗)
でも、何とかケツが拭けたか・・・?!


