・井戸を掘った人たち・・・(Ⅴ) | 日本哭檄節

日本哭檄節

サミュエル・ウルマンの『青春』の一節、
≪ 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。≫
こそ、人生の糧(よすが)か・・・!
既に古希寸前に達した今こそ、この言葉に励まされながら、さあ、もうひと踏ん張りしてみるか・・・(笑)

 然て・・・、この一編で、

『ジジイの井戸掘り・・・』

を閉じるつもりだが、では、何故この時期(=抗日戦勝利から約四半世紀)に、あの中国が、一気に米日と云う『資本主義』に門戸を開こうと意を固めたのかと云うと、そこには、且つての

『共産主義の師匠(=コミンテルン・同志)・・・』

で有ったお隣の『ソビエト連邦』の不可解が有る・・・!

 

『ソビエトの不可解』とは、アメリカのキッシンジャー大統領補佐官が訪中する2年前の1969年に起きた

『中ソ国境紛争・・・』

がそれで有り、既に1950年代から

『社会主義思想の食い違い・・・』

が顕現化しつつ有った中ソの間で、『本家』を自認するソビエト(=スターリン)が、成り(国土)もデカくて態度(=人口)もデカい弟子(=中国)にお灸を据えようとして起こした本格的な

『国境軍事介入・・・』

だが、これで完全に『親ソビエト』から離れた中国は、それまで『師』として頼るフリして来た

『ソビエトの先進科学技術・・・』

の入手が困難に為り、これに代わる『師』を見付けなければ『イデオロギー』だけでは10億の民を養えなく為った訳で、ココに、その10億の民を『市場』と考え虎視眈々と狙って居たアメリカとの利害が一致する訳だ・・・!

 

 そして・・・、そのアメリカの『経済覇権主義』のオコボレに与るべく、以前から、過去の無礼(=大陸進攻)は棚に上げて『日中国交回復』を望んで居た日本が、政権交代(=佐藤⇒田中』)の好機も手伝って、

『ソレ、今だー・・・!』

と云う乗りで一気に奔ったと云う流れだ・・・!

 

 だが・・・、この日中友好は、元より中国側(=周恩来)も望んで居たことだったから、田中首相のお詫びを、

『アラ、ゴメンナサイ・・・!』

程度の軽さに訳された謝罪挨拶も、一旦肚に納めて『小さなこと』と呑み下し、最終的な合意文書の署名にまで漕ぎ着けた訳だが、そんな中で、政治的実権を握る周恩来首相が布いた布石には、実に周到な計算が秘められて居た・・・!

 

 と云うのも・・・、抗日戦勝利から27年が経って居るとは云え、自分たちの国を土足で蹂躙された中国国民から云わせれば

『まだ27年・・・!』

な訳で、事実はどうか識らないが『2,000万人から3,000万人の同朋』を殺されたと云う中国人の中には、未だ多くの

『日本無法原諒(=日本許すまじ)・・・!』

と云う国民は多く、中には、

『我們應該獲得戰爭賠款(=戦後賠償金を取るべきだ)・・・!』

と云う声も、当然の権利のように宣われて居たのは、その立場を変えて中国の側の身で考えれば当然のこととも云える・・・?!

 

 国民の中にそうした声が在ることは、周恩来首相も当然弁えて居た訳だが、これを黙らせ、納得させるための論理と布石は、眼を見張ると云うかソラ怖ろしささえ感じるモノが有る・・・!

 

 この時、周首相は、これらの『反日国民』に対して、今や敵国なった『ソビエトの脅威』を理由に謳(だ)し、

『この脅威から国を守るには、アメリカや日本と仲良くしなければならない・・・!』

と云う論法を用いるのだ・・・!

 

 そして・・・、その論法の中で、

『日本に賠償金を要求するのは、結果、日本国民に支払わせることに為るが、あの戦争では、日本国民も一部の日本人(=軍部)の被害者なのだ・・・!

 そんな被害者(=弱者)に、賠償金を払わせることは出来ない・・・!』

と云う『共産主義の立脚点(=弱者救済)』で納得させ、これを遍(あまね)く布令させる為に、全国土に散らばらせて居る『共産党幹部(=役人)14万人』を上海に一堂に集めて、この論法を叩き込み、

『国民に、直ぐこう布令して廻れ・・・!』

と発破を掛けたと云うから、恐ろしい・・・!

 

 もだが・・・、この布令発破が、旬日の間にあの広大な国土の中の隅々にまで一斉に布令廻らされ、それに異を唱えさせないところが、

『一党独裁・社会主義国家の見事さ・・・!』

と云うか怖さだ・・・!

 

 更には、当時『文化大革命』の嵐の中で、訳が分からないままに地方の農場(=五・七幹部学校)での『徹底思想教育』に追い遣られて居た『中間的親日系エリート層40人』を選別して、命令一下北京に呼び戻し、大急ぎで

『対日外交体制・・・』

を調え、内10人は、直ぐに日本に送り込んで情報収集をさせて居る・・・!

 

 一方で、上海の外国語学院の中に、

『日本語学科・・・』

を設け、ココで日本語教育を受けた人たちが、後の

『日中合弁事業・・・』

での経済活動に携わるように為り、あの有名な

『宝山製鉄所建設(=新日鉄・技術協力)・・・』(=山崎豊子さんの『大地の子』に詳しい・・・!)

などでの通訳や日本総領事館の職員などとして、後々日本側とのスムーズな橋渡し役を担ってくれる訳で、それが、今日の日中経済の礎と為って居ることを、我々日本人は識って措かなければいけない・・・!

 

 この間、わずか2年弱ほどの間の出来事だが、特に記すべきは、田中首相の訪中で国交正常化を成そうとする寸前での

『日本との国交の必要性・・・!』

と、それを布令するための

『上海・14万人幹部洗脳集会・・・!』

が行われるのは、田中訪中団の特別機が北京空港に飛来するまでもう10日しか無かった

『1972年9月14日(=田中訪中は9月25日)・・・』

だったと云うのだから最早言葉も無いが、それは、得意を謳って早く周知しようとすれば、この国には、直ぐに徒党を組んだ反対騒動(=集会)が起きることが懸念されることを、周首相が側が熟知して居たからだろう・・・?!

 

 何せ、労働者を結集させることで革命を成功させたお国では、これくらいのタイムスケジュールが絶妙と考えて居たのだろう・・・?!

 

 こうして記せば、周恩来氏には絶大な権力が集中して居たように想われるかも識れないが、現実は決してそうでは無い・・・!

 

 先にも記したように、時は、あの

『文化大革命の真っ最中(=1966~76年)・・・』

で有り、後に悪名を馳せるあの『四人組』の影響力が絶大だった頃で、如何な周恩来氏も、この

『毛沢東崇拝者たち・・・』

の勢いには一重にも二重にも気を配らねば為らなかった時で有り、ココへの気配りをおさおさ怠り無くこの舞台を万全に設えた周恩来氏の周到さたるや、当に

『命懸け・・・!』

だった訳だが、この表現は、強ち外れては居ない・・・!

 

 と云うのも、この年(=1972年)の春、周恩来氏は、自分の身体が『ガン(=膀胱)』に冒されて居ることを告げられ、告げられた病名に『自分の死期』を悟る中でこの偉業を成すのだが、そこには、

『自分の眼の黒い内に、何とかコレ(=日中国交)だけは果たして措かなければ・・・!』

と云う強い決意が有ったことが窺える・・・?!

 

 それは、自分が若い時、一時遊学で踏んだ日本と云う国への親近感も有っただろうが、何よりも、10億の民を養う為には、どうしても

『産業の新興・・・』

が欠かせないと判って居り、それを成す為には、直ぐお隣の日本の

『眼を見張る経済復興・・・』

を手本にするのが一番だと云う計算も有ったのだろうと想う・・・!

 

『自分の眼の黒い内に・・・!』

と期した日中国交の回復わ成し、『釣魚台(=中国の迎賓館)』に迎えた田中首相から、上機嫌に

『日本も、近々迎賓館(=元・赤坂離宮)を造りますから、是非最初に訪れ下さい・・・!』

と誘われた再来日を果たすこと無く、『1976[昭和51]年1月18日』に、北京の中国解放軍の病院で

『77歳で永眠・・・』

し、その遺骨は、周氏の遺言通り、

『中国の空・・・』

の散骨されたと云う・・・!

 

(日本の迎賓館[赤高離宮]・画像は、mainichi.jpより拝借)

 

 その地位は、寝ずに執務に勤しんだ『能吏の鏡』に相応しく、最後まで

『中華人民共和国・初代総理・・』

のままだったそうだが、発見された病気(=ガン)の治療では、主席の『毛沢東氏』が、そのネタミ心から病院側に

『手を抜け・・・!』

と指示したとの噂も有ったようだから、訪日留学に失敗して帰国してからの人生を、最後までこの仁(=毛氏)に奉げ切った一生だったと云えそうな・・・?!

 

 って・・・、これは余計なことだったかな・・・(汗)

 

 まあ、歓待へのお返しに

『日本の迎賓館への最初のお客に・・・!』

と誘った田中首相も、その前に、アメリカが放った隠し刺客(=ロッキード事件)に背中から撃たれて失脚して居たが・・・!

 

 まあ・・・、そんな余計はご勘弁して頂くとして・・・、周恩来氏の

『命を懸けた井戸掘り仕掛け・・・』

のお陰で、我が日本はお隣さんの御贔屓に為り、眼を見張る高度経済成長に肖り、来日中国人観光客の数も、50年の間に

『年間700万人にも上るお得意さん国家・・・』

に為って居ることを想う時、周恩来さんには、その

『恩顧(=井戸)にお礼を申し上げないと・・・!』

と想う日本人が一人くらい居ても悪くは無かろう・・・(汗)

 

 我らが高市殿も、

『飲水思源・・・!』(=水を飲む際には、井戸を掘った人の苦労を思え)

と云う訓えくらいはご存知だと想うし、そう云う健気さが有れば、あんな無配慮は申され無かったのだろうが、あの御性格では無理か・・・?!

 

 てなことで・・・、かなり端折った話になったが・・・、と云いながら、全然短くは為らなかったが、これにて指畳みとさせて頂く・・・!

 

 お付き合い頂いて居りましたら、感謝申し上げます・・・(謝&拝)