さあ・・・、そうした中国側(=周恩来首相)の布石が実って、『1972[昭和47]年7月7日』に、約7年半の長きに渡って続いた『佐藤内閣』に代わって
『官邸の主(=首相)・・・』
の椅子に座った田中角栄氏は、盟友大平正芳氏を外務大臣に据えて、就任、僅か2カ月半後の『9月25日』には、意気揚々と、周恩来氏が
『いつでも開けて待って居るから・・・!』
と云ってくれた『北京空港』に下り立つ訳だが、その段階では、日中両政府とも、共に、
『準備は上々・・・、仕上げを御覧じろ・・・!』
と云う上機嫌状態での和やかな幕開けと為る訳だが、ここで、想わぬ展開が転がり込む・・・!
それは・・・、出発前から、中国国民に対して
『過去(=日中戦争中)の非礼を、一言詫びなければ・・・!』
と心に期し、また周囲にもそう語って居た田中首相の
『中国国民に多大のご迷惑をおかけした・・・!』
と発したお詫びの言葉を、日本側の通訳が、
『很遺憾的是・・・・給中国国民添了麻煩・・・』
と訳して伝えた瞬間、中国側の列席者たちからタダならぬざわめきが起きたと云う・・・!
田中首相としては、日本的語学感覚で
『多大なご迷惑をおかけしたことに、深い反省の念を表すもので有ります・・・!』
と伝えたし、またそう発したのだが、この中の
『添了麻煩(ティエンラマーファン)・・・』
とは、中国では、女性の着衣にウッカリ水を掛けてしまった時などに用いられる
『アラ・・・、ゴメンナサイ・・・!』
と云った程度の軽い意味で使われる謝罪の言葉で、
『深い反省とお詫びには為って居ない・・・!』
と受け止められてしまったと云うことだ・・・!
確かに・・・、田中首相の言葉をそのまま、繁体文字の中国語に訳せば、
≪ 對於由此造成的巨大不便,我們深表歉意・・・≫
と為り、『添了麻煩』などと云う漢字は出て来ないし、日本側の通訳の言葉を日本語に直せば、
≪ 残念なことに、このことで中国国民に多大な迷惑(=巨大不便)をかけてしまったことを、深くお詫びします(=深表歉意)・・・!≫
と訳されるから、漢字文化で育って来た我々日本国民でも、この並ぶ漢字の厳めしさの違いは理解出来るのでは無かろうか・・・?!
これには、ココまで細心の心配りで準備して、円満に国交回復の調印まで漕ぎ着けようと目論んで居た周恩来氏が
『一番怒った・・・!』
らしく、翌日からは、空気が一変・・・!
だが・・・、この取材本で明かされて居る証言に依れば、この日本側の通訳は、事前に総理挨拶を推敲した外務省の当時の中国課長(=橋本恕[ひろし]氏)の証言では、これは
『仕組まれた思惑・・・』
の上で訳された『ギリギリの通訳文』だったらしい・・・!
それは、ココで、首相の挨拶をそのまま通訳すれば、当時は、まだ『親台(湾)派』も多く居た自民党極右派系から、
『土下座外交だ・・・!』
と云われ兼ねない危惧を孕んで居たらしく、こうした『軽いお詫び』に訳したと云うことだったらしいが、ココで、田中首相が、一国の宰相として発したお詫びを、そのまま直訳して居れば、中国側も納得しただろうし、後々・・・、否、今日に至るまで、未だ折りに触れ中国側から口撃材料にされる
『先の戦争への謝罪の要求・・・!』
も、遠の昔に片付いて居ただろうにと、中国(=歴史&国土)大好きなジジイなど想うのだが・・・?!
こうした『裏話』を識れば識るほど、
『外交とは、難しいわなあ・・・!』
と想うが、この通訳ザワメキ以降、態度を硬化させた中国側の空気に、同道して居た大平外相も
『こりゃあ、(調印署名は)ダメかもな・・・?!』
と溢したそうだが、そんな周囲の心配を余所に、当の『今太閤宰相殿』は、
『ダメならダメで、仕方無いじゃないか・・・!
責任は、全部オレが負うから君らは心配せんで善い・・・!』
と宣い、一向気にして居なかったらしいから、さすが、あの高等小学校(=現・中学校)卒の叩き上げの人誑しの猛者総理は、
『肚が据わって居た・・・!』
と、これまた『角さんファン』のジジイは改めて惚れ直すが、この『肚の据わり』が、一度臍を曲げた周首相の機微に触れたか・・・、またその態度が次第に和らぎ、翌日からの交渉も何とか次第に進み、最後には、宿願だった
『日中国交回復・・・』
が成るのだが、そこまでには、まだまだ紆余曲折が待ち受けて居る・・・!
(画像は、ダイアモンドより拝借)
ウーン・・・、相当端折って居るつもりだが、まだ半分だな・・・(謝&拝)
