・井戸を掘った人たち・・・(Ⅰ) | 日本哭檄節

日本哭檄節

サミュエル・ウルマンの『青春』の一節、
≪ 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。≫
こそ、人生の糧(よすが)か・・・!
既に古希寸前に達した今こそ、この言葉に励まされながら、さあ、もうひと踏ん張りしてみるか・・・(笑)

 一昨日来・・・、中国空軍機の我が自衛隊警戒戦闘機への『レーザー照射問題』が政府(=永田町)やメディアを賑わわせて居るが、先の国会予算委員会での高市首相の

『存立危機自体・シュミレーション発言・・・』

以来、俄かに険悪に為った感の有る『日中(=中日)関係』を、ジジイなりにもう一度初歩から学び直してみようと想い、こんな本を漁り買い込んだ・・・!

 

 

 この本は、あの「日中国交回復(=1972[昭和47]年)』から20年を経た段階で、まだ外交ベールに厚く包まれて真相が公開されて居なかった、我が国とお隣大国のこの

『歴史的大転換点・・・』

を、当時のNHKの取材班が、

『まだ、生き証人(=関係者)の口から真相を聴ける内に・・・!』

と試みた取材ドキュメンタリーの取材記録(=放送は1992年9月)だが、これを読むと、国交回復時、当時はまだ中学二年生だった丸坊主ジジイが、田舎TVで報じられる映像や地方新聞等の断片的報道から得た付け刃の記憶が蘇って来て、実に生々しさを禁じ得ない高揚感を覚えながら、一気に読み耽ってしまうほどに面白かった・・・(汗)

 

 否・・・、面白かったと云うのは不謹慎で、実際のこの外交劇の裏側での虚々実々の駆け引きは、両国が、この国交回復交渉にどれだけの心血を注いで居たかが窺え、そのご苦労に敬意を覚えるしか無いと云うべきか・・・?!

 

 今更、この外交素人ジジイが垂れる必要も無いが、この国交回復が成ったのは、あの昭和20[1945]年8月の『太平洋(=日中)戦争敗戦』から、丁度27年が経った時期なのは誰もがご存知のことだが、あのタイミングは、或る意味、それまでの戦後を、戦勝国アメリカに首根っこを押さえられて身動き取れなかった日本にとっては、

『晴天の霹靂・・・』

が齎した大チャンスでも有ったと云うことが詳細に綴られて居る・・・!

 

 と云うのは・・・、その前年の1971年の7月に、日本の同盟国アメリカの

『キッシンジャー大統領補佐官(=安全保障担当)・・・』

が、極めて極秘裏に中国に入り、首相・周恩来氏と3日間、17時間に及ぶ丁々発矢の会談を行い、ここで、翌72年の『適当な時期』での

『ニクソン・米大統領の訪中・・・』

が決まり発表され、翌年5月に、約束通りニクソン大統領が中国・北京の空港に降り立つ・・・!

 

 所謂、後に日本で

『ニクソン・ショック・・・!』

と云われる歴史が大きく動いた日だが、このニクソン訪中のNewsと時を同じくして、我が日本でも、

『対中国交回復への地均し・・・』

が一気に加速する・・・!

 

 当時の日米は、当然の如く台湾(=中華民国)との国交締結状態に有る訳で、『一つの中国』を信義とする中華人民共和国側からすれば、当に

『獅子身中の虫・・・』

だった訳だが、そんな中で、中国が『米大統領の密使』を受け入れた背景には、その数年前から険悪に陥って居た

『対ソビエト国境紛争(=珍宝島衝突[1969年])・・・』

が起こり、主席毛沢東は『対ソ開戦準備』を指示したほどだったようだが、一方では、この中国建国の父『毛沢東氏』が、一度追われた『中南海』への復権を目指して唱えた

『文化大革命(=1966年~)・・・』

の最中でも有り、国家経営を与る周恩来首相には、自国の立ち位置を保つための

『国際的杖(=Power balance )・・・!』

が必要だった訳だ・・・!

 

 そこで、密かに西側の雄のアメリカに近寄り、

『対ソビエトへの牽制・・・』

と云う妙手に打って出る訳だが、この妙手は、当時でも既に10億の民(=市場)を抱える経済大国アメリカにも

『垂涎の的・・・』

だったし、その風下で首を鎖で繋がて居れた日本にも、戦後復興に目鼻が着いたことも有り

『何とか国交回復を・・・!』

と願う親中派の積年の願いを適える絶好のタイミングと為った訳だ・・・!

 

 ただ・・・、この外交的大転換を図るには、お互いが、当時は『台湾』と云う存在をどう扱うかと云う大難題を解決しなければ為らない・・・!

 

 そこで、アメリカに示された周恩来が『垂涎の的(=中国)の面子』を保つべく、編み出した妙手が、

『一つの中国・・・』

と云う、今でも中国が切り札のように宣うキーワードだったと云う訳だ・・・!

 

 この本には、当時、ニクソン大統領との間に交わされた『共同コミュニケ』が掲載されて居るが、そこには次のように謳われて居ると云う・・・!

 

【著書中抜粋】

≪  国際関係における諸原則を考慮して、双方は次のことを声明した。

   ー中米両国の関係が正常化に向かうことは、すべての国々の利益に合致する。

  ー双方ともに、国際軍事衝突の危険が少なくなることを望んでいる。

  ーどちらの側もアジア・太平洋地域で覇権を求めるべきではない。いずれの側も、いかなるその他の国あるいは国家集団がこうした覇権を打ち立てようとすることに反対する。≫

 

と謳われ、その条項の中に、

≪ 台湾問題は、中米両国関係の正常化を妨げている鍵となる問題である。中華人民共和国政府は、中国の唯一の合法政府である。

台湾は中国の一つの省であり、早くから祖国に返還されている。

台湾の解放は中国の内政問題で有って、他国に干渉する権利はない。

アメリカは、すべての武装力と軍事施設は、台湾から撤去させなければならない。(中略)

アメリカは、台湾海峡両側のすべての中国人が、みな、中国はただ一つで有り、台湾は中国の一部であることを認識し、アメリカ政府としてはこの立場に異議を申し立てない。(以下略)≫

との『公式な申し合わせ(=声明)』が交わされて居るのだ・・・!

 

 このコミュニケ作成合意後、最終的に最高権力者の毛沢東氏と会談したキッシンジャー氏に、毛主席は、

≪ 台湾問題は、大事では無い。

 当面はやっていけます。百年もしたら、台湾の方からやって来るでしょう・・・!

 台湾問題は小さな問題・・・、世界は大きな問題です・・・!≫

と語ったと、後にキッシンジャー氏は自分の回顧録に残して居ると云うが、この文学詩人のカリスマ主席は、実に大陸的国家観を持って大局を観て居たと云えまいか・・・?!

 

(画像は、Wikipediaより拝借)

 

 毛主席一流のユーモアかも識れないが、

≪ 百年もしたら、台湾からやって来るでしょう・・・!≫

と云わしめてから、既に54年・・・!

 

 更に付け加えて措くと、このキッシンジャー氏との会見が1971年ってことは、1893年生まれの毛沢東氏は、既に78歳と云うお歳だった勘定だと想うが、その御仁が、

『百年もしたら・・・!』(=周恩来氏は、毛主席よりも更に5歳お若い・・・!)

と云う段階で、この大陸人たちの歴史的時間感覚は、我々とは明らかに違うような・・・(笑)

 

 何せ・・・、あのお国は、歴史を2、300年のサイクルで考えるお国だが、『国父・毛氏』が洞察した百年から既に半分が過ぎて居るのだから、今や、世界第二位にまで躍進した経済大国が、日中戦争勝利から80年を経て、ボチボチ

『戦後(=建国)中国の宿題の最期の仕上げ・・・!』

を期すべく動き始め、その最大の宿題で有る『台湾問題』がキナ臭く為りつつ有るのも、強ち判らなくは無い動きなのかもな・・・?! 

 

 などと云う余談は兎も角、この『ニクソンショック』から僅か4カ月の時(=同年9月)を経て、7年の長きに渡って政権を握り、『沖縄返還』を成し遂げて退陣した佐藤政権を引き継いだ

『田中角栄首相・・・』

が北京空港に降り立つ訳だが、ココに至る日中間の裏交渉が、これまた面白いと云うか胸躍る興奮を覚えるが、それは、先の愉しみにさせて貰う・・・(汗)

 

 ただ・・・、我々日本人がくれぐれも勘違いしていけないのは、一番大陸に近く、過去は2000年のお付き合いの有った日本では無く、

『頭越し外交・・・』

などとも云われた

『米中首脳会談・・・』

の方が先に行われた意味は、少なくとも、今も米中には厳然と意味を持って保たれて居ることを判って措かなければいけないと云うことだ・・・!

 

 高市殿たち、些か右傾きが強いお方たちは、この辺りをしっかり学んで言動して居られるのだろうかなあ・・・?!

 

 などと・・・、中途半端なところで終わって、スミマセン・・・(謝&拝)