徐(おもむろ)な話ながら・・・、ほとんどの人がご存知だとは存ずるが、『大人(たいじん)』とは中国では
『徳の有る人や位の高い立派な人・・・』
を尊称する云い方として使われるが、例の『高市答弁(=想定・存立危機事態)』で、俄かに険悪に陥った日中関係の燥ぎ(=騒動)合戦の報道を聴く度に、ジジイは、一人の『中華大人』を想い出す・・・!
その大人の名は、中国が共産主義絶対主義体制で建国されて以降、あの
『建国の父・毛沢東主席・・・』
の横で、死ぬまで『No.Ⅱ』として、この独裁者をコントロールしながら、今日の中国大国化への路の礎を布いた
『周恩来・・・』
と云う『中南海(=中国共産党の総本山)』で隠然たる地位に君臨した政治家だ・・・!
(画像は、Wikipediaより拝借)
聴き憶えの有る方もまだお居でだと想うが、日本人にとっての一番の印象は、昭和47[1972]年9月の
『日中国交回復・・・』
が成った時の、大役を終え満面の笑顔を浮かべた田中角栄首相と、対照的に怜悧な官僚然とした顔で応対した周首相の
『握手の瞬間の画・・・』
だろうが、一方で、この怜悧な共産主義政治家が、あの猛威を奮った『文化大革命』での、相次ぐ有力(=同志)政治家粛清追放の迫害を躱し、『毛沢東主席』の傍らに約50年近くも侍り、
『中国共産党のNo.Ⅱ・・・』
として身を終える中での『政治的遊泳術』をご存知の方は、案外少ないのでは無かろうか・・・?!
(画像は、ダイアモンドより拝借)
今日でも、毛沢東氏と云えば天安門広場の紫禁城の城壁に肖像画が掲げられる『絶対指導者』だが、この『国父』は、大陸内陸部の貧民から身を起こした『詩人』で、政治的手腕には長けて居なかった・・・!
だが、この詩人が『マルクス・レーニン主義』に洗脳され、後の『中国共産党』の旗手と成って革命軍を率い、遂には『中華人民共和国』を建国する訳だが、その陰には、常に怜悧な洞察と状況判断をし、それを進言したこの政治家の存在が有ったればこその偉業達成だったのだ・・・!
だから・・・、毛沢東は、一度失脚した後、再び、『毛語録』を掲げて『紅衛兵』を率い
『文化大革命・・・』
で復権した後も、この官僚的敏腕政治家を傍から離さなかった訳だが、この大人は、今で云う高校卒業年齢(=1917[大正6]~19年)の頃、この日本に遊学して居る・・・。
敢えて『遊学』と記したのは、日本の大学に学ぶべく来日したは善かったが、日本語が未熟だった為に目指す大学への留学に失敗し、最終的には『明治大学に学んだ』と云うことには為っては居るが、その確証が示されて居ないからだが、この時期、日本での苦悩苦学生活の中で、大人が
『日本文化を学び、日本人を学んだ・・・』
のは事実で、これが、後々、
『日中戦争での恨み・・・』
を乗り越え、戦後27年を経ての
『国交回復・・・』
を成し得る影の力と為って居るのは、この遊学期間がその土壌に為って居るのは、間違い無い事実だからだ・・・!
日中国交回復を望む声は、田中内閣の前の『佐藤内閣』時代から起こって居たのだが、中国政府は、この『佐藤内閣(=佐藤栄作氏)』を信用して居なかったから、伝手(つて)を頼った日本側からの親書でさえ、敢えて斥けて居た・・・!
何故なら、それは、佐藤氏が、戦前の軍部内閣が犯した日中侵略戦争時代に『商工大臣』を務めた『岸信介氏』の実弟だったからで、周恩来氏は、国交回復前の時代、細やかだが民間レベルでの経済交流に努力した『岡崎嘉平太氏(=日中覚書貿易事務所代表)』に、初対面の時、
≪ 日清戦争以来、日本は我が国を侵略し、人民を傷つけ苦しめてきました。
我々には、その深い恨みがあるのです・・・≫
と告げながらも、漸く硬かった氷が緩みだした空気を意味して、
≪ 恨みがあるといえども、中国と日本には2000年にわたる『友好の歴史』があります。
戦争による不幸な歴史は、わずか数十年に過ぎないのです。
我々は恨みを忘れようと努力しています。
これからは中日が力を合わせて、アジアを良くしていこうではありませんか・・・!≫
と告げ、ココから民間経済交流が始まり、後に、田中首相の訪中への路が開かれ、あの調印式での
≪ 日本人民も、軍国主義者(たち)の犠牲になった被害者だ。
小異を残して大同につき、合意に達することは可能である・・・!≫
と為り、最後に、
≪ わが国は賠償を求めない。
賠償を請求すれば、同じ被害者(=犠牲者)である日本人民に払わせることになる・・・!≫
と云う『名見解』を述べて日本の訪中団を泣かせたのだが、この辺りの経緯を、極右を標榜して憚らない我が高市首相殿はご存知なのだろうか・・・?!
中国に、昔から
『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない・・・!』(=飲水資源)
と云う古言が有ることは今日では有名な言葉だが、この言葉を周恩来氏から、日本人で初めて贈られたのは、田中角栄元首相では無く、その前の井戸を掘った『岡崎嘉平太氏』だったとWikipediaに在るが、そこから半世紀を超えた今、数々の課題(=小異)を呑み込んで、日中関係でのこの両国の門戸を開く
『半世紀の井戸(=大同)・・・』
を掘ってくれたのは、誰有ろう『周恩来氏』で有ったことを、我々は今後も忘れてはいけないとジジイは想って居る・・・!
現下の日中関係には、当時、『日台優先』を掲げる国内右翼団体に命を狙われながらも、
『戦後の日中関係の井戸を掘った岡崎嘉平太氏・・・』
のような人物も見当たらなければ、彼の地に措いて、
『小異を捨てて大同に導く英断を下した周大人・・・』
のような人物も居ないのが、誠、残念で為らない・・・!
今回の『高市発言』を、日本政府は、
『従来の見解と何ら変わるモノでは無い・・・!』
と嘯(うそぶ)いて居るが、これは、1972年に国交回復を果たすに当たって、周首相(=中国政府)が拘った
『台湾は、一つの中国の一部である・・・!』
と云う『大同』を日本が認めたことが根底に在るので有って、それを、日本も暗黙の内に認めながら静観して来たからこそ成り立って来た成果だったことを、この半世紀の中で、日本と日本人は忘れて居ないか・・・?!
唯一の同盟国アメリカの思惑は、太平洋の制海権を保持するために、単に日本列島からフィリピンに連なる
『第一次列島防衛ライン・・・』
の要として台湾島を組み込んで居るに過ぎないことを、日本は頭に入れた中で、今後の日中関係の舵取りを組み立てなければ、将来、本当に孤立するぞ・・・!
それが・・・、この気狂(ちが)いじみた高市支持者殿たちには判って居るのだろうか・・・?!
身を捨てて、100年後の日中関係を築こうとする
『第二の岡崎嘉平太氏・・・』
の様な人物と、知日派で大局観を持った『周恩来氏』のような大人の出でんことを願うばかりだが、今や、『唯一の同盟国(=America)』に首根っこをガッシリ掴まれた島国と、世界第二位の経済大国にまで伸し上がって、怖いモノなど無く為ったお国では無理かなあ・・・?!
などと・・・、識った風な能書きを読んで頂いて居りましたら、感謝申し上げます・・・(謝&拝)

