金曜の夜、居酒屋のカウンター席に並んで座っている。
仕事終わりのビールが来る前から、話題はあの人のことになっていた。
「ほんと、あの言い方ひどいよね」
「分かる、私もずっと思ってた」
「なんであんな人が職場にいるんだろ」
話しながら、少しだけすっきりする。でも店を出て、駅のホームに立った瞬間、なぜかどっと疲れている。電車に乗って窓の外を見ながら、今夜何を話していたのか、虚しくなってくる。
すっきりしたはずなのに、気分は晴れていない。
こういうとき、頭の中はだいたいこうなっています。
「言えてよかった。でも、何も変わらないな」
「また明日、あの人と顔を合わせるのか」
「なんでこっちがこんな思いをしなきゃいけないんだろう」
悪口を言ったあとの、あの独特の虚しさ。経験したことがある人には、分かるはずです。
その虚しさは、正しい感覚です。あなたの体が、ちゃんと気づいています。
あなたは悪くない。
嫌いな人ができるのは自然なことです。腹が立つのも、誰かに話したくなるのも、普通の反応です。
ただ、一つだけ伝えさせてください。
悪口は、あなたが思っている以上に、あなた自身を傷つけています。
先日、34歳の女性、かなさんからこんな相談が届きました。
「職場に本当に苦手な先輩がいます。会うたびに嫌味を言われて、仲の良い同僚に愚痴を言わずにいられません。でも言ったあと、なんとなく後味が悪いんです。それでもやめられなくて。どうすればいいですか」
話を聞くと、かなさんはその先輩のことを毎日考えていました。
職場では顔色を窺い、帰宅後は今日の嫌味を反芻し、同僚に愚痴を送る。週末も、SNSでその先輩のアカウントを確認してしまう。気づけば、休日まであの人のことを考えている。
私はこう聞きました。
「愚痴を言ったあと、現実は何か変わりましたか」
かなさんは少し黙ってから、答えました。
「変わらないです。むしろ翌日も同じ気持ちで出勤しています」
「そうです。悪口は現実を1ミリも変えません。ただ、変わるものが一つだけあります」
「何ですか」
「あなたへの、周囲の印象です」
かなさんは、はっとした様子でした。
「愚痴を聞かされた人は、いずれ自分も同じように話されると感じます。悪口を言う人の周りから、人は静かに離れていきます。嫌いな先輩を攻撃しようとして、あなた自身が嫌われていく。これが、悪口の一番怖いところです」
かなさんはしばらく黙っていました。
私は続けました。
「もう一つ、知っておいてほしいことがあります。その先輩がいなくなっても、かなさんの現実は変わりません」
「どういうことですか」
「嫌な人は、どこに行っても現れます。職場が変わっても、環境が変わっても、あなたの中の『嫌い』という回路が残っている限り、同じことが繰り返されます。問題は相手ではなく、その人にエネルギーを注ぎ続けていることです」
かなさんは翌週から、少しずつ変えていきました。
まず、愚痴を言いたくなったら一言だけ言って、話題を変えるようにした。「まあ、仕方ないか」と言ってビールを飲んで、別の話に切り替える。
次に、帰宅後にその先輩のSNSを見るのをやめた。見たくなったら、積んでいた本を一ページ読む。それだけにした。
職場では、必要な会話だけにした。愛想よくする必要はないが、冷たくもしない。ただ、関わる量を意識して減らした。
三週間後、かなさんから連絡が来ました。
「先輩のことを考える時間が、気づいたら減っていました。愚痴も言わなくなって、同僚との会話が前より楽しくなりました」
さらに一か月後、こう言いました。
「先輩が何か言っても、前ほど引っかからなくなりました。ああ、またか、くらいの感覚です。慣れるって、こういうことなんですね」
嫌いな人を意識し続けることは、自分の時間をその人に差し出しているのと同じです。
どれだけ嫌って、攻撃して、悪口を言い続けても、一番傷ついているのは自分です。怒りは外に向けているようで、内側を焼いています。悪口を言うたびに、脳はその人のことを思い出す回路を強化します。嫌いな人が、日常の中に根を張っていきます。
相手は、あなたが嫌っていることをたいして気にしていません。あなただけが消耗しています。
今日からできること
① 悪口を一言で切り上げて、話題を変える
愚痴が出そうになったら、一言だけ言って終わりにする。「まあ、仕方ないか」「ほんとだよね」。そのあと、すぐ別の話に切り替える。会話のあとに残る消耗が、確実に変わります。
② その人のことを考えた時間を、別のことに使う
頭にあの人が浮かんだら、今日のタスクを一つ片付ける。体を動かす。好きな音楽をかける。SNSのアカウントを見に行かない。嫌いな人を考える回路を、意識して使わないようにする。
③ 慣れることを、今日の目標にする
好きになる必要はありません。許す必要もない。ただ、雨が降っているくらいの感覚で受け流せるようになることを目指す。慣れるとは、無感覚になることではなく、いちいち反応しなくなることです。
嫌いな人がいなくなっても、あなたの現実は変わりません。どうせまた嫌な人は現れます。
変わるのは、その人たちへの反応を変えたときだけです。
嫌うより、慣れる。慣れられないなら、スルーする。
それだけで、あなたの毎日はずっと軽くなります。

