名古屋でイジメ問題を考察する武術研究家
空手道武禅館、館長の小池です。
こんにちは。
「イジメは被害者よりも、加害者が可哀想…」
とイジメ問題の専門家はよく口にします。
私自身も元イジメ被害者の立場であった為、感情を通して聞くと「何を言う!」と反発してしまいそうですが、冷静に分析するとなるほど納得です。
まずイジメに根本的な問題について考えてみましょう。
イジメ被害、加害ともに言えることですが、必ず共同体(コミュニティ)の中で起こるものです。
共同体というものは地域、経済、趣味などの風俗において深く結びついている人々の集まりのことを指す言葉です。
その結びつきはお互いの利害を共にすることによって成り立つもの。
その中のとある人物(仮にAとする)が他のメンバーとの差異が見られる場合、Aは共同体に異変をもたらす「害」と見なされ矯正、または排除しようとする本能を人は持ち合わせています。
そのAに対するある種の攻撃行動が常習化することにより、その共同体における儀礼的な共同体の中だけの独自文化と化してしまうところが人の集まりの怖さです。
過去、体育会的な集団における新入生や能力が著しく欠ける者への「しごき」というものも、共同体における独自文化であり、思考抽象度を上げていけば、その善悪に関する議論は差し置いてイジメ問題と根本的な性質は全く同質のものであると言えます。
少なくとも、自分自身が「イジメられているな」と感じるならば、他のメンバーと自分との差異を感情論を抜いて把握しておく必要があり、自分自身が「イジメているな」と感じるのであれば、その対象となる相手と共同体メンバーとの差異を分析しておく必要があります。
いずれにせよ、日本は代々に渡り、共同体主義の文化を成しており、あまりにも偏重してしまう共同体もあり、ある意味で全体主義的な風潮が残っています。
しかしながら、現代はあらゆる発想が飽和状態にあり、イノベーションが必要とされ、「個性」が必要であるとも言われています。
「共に力を合わせて大きな力を」という共同体主義的なスローガンだけでは生きていけないのが現代社会です。
これからの時代は少なくとも、「共同体メンバーと差異のある人物」が重宝されます。
「利となる差異」を見極める能力がなくては現代社会の荒波は乗り越えられません。
従って、共同体における個人的差異をあら捜しし、排除的攻撃行動(イジメ)にエスカレートさせてしまうようでは、成人を迎えたときに困ることは容易に想像できます。
「利となる差異」
「害となる差異」
この二つを冷静に分析する能力が現代人には必要となります。
少なくともイジメられているあなたは、現時点で排除的攻撃行動をする側の人間ではないので、イノベーションを生み出す側の人間かもしれません。
しかし、あなた自身がその差異を見極められる人物にならなければ、あなたをイジメている人間と同じ轍を踏むことにも成りかねません。
怒りを燃やすよりも、来る未来に備え、今は耐え、己を磨くことも必要かもしれませんね。
名古屋でイジメ問題を考察する武術研究家
空手道武禅館館長、小池