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中秋の名月とは何かと問われれば、
それはただ天に懸かった円い月ではない。
暦の上で選ばれた、秋の真ん中の十五夜の月。
2026年は9月25日がその夜にあたり、
満月はその翌々日の9月27日午前1時49分に巡って来る。
名月は必ずしも満月ではない。そのわずかなずれに、
かえって月というものの、正確でありながら人の情に
似た曖昧さが宿っている。これは国立天文台でも
案内されている通りで、9月11日12時27分の新月を
含む日が旧暦8月1日となるため、25日が旧暦8月15日になる。
つまり名月とは、天文学の厳密さと、人が古くから愛してきた
季節の感覚とが、静かに重なった呼び名なのである。
海の上の満月は、ただ明るいのではなく、
遠い時間まで照らしてしまうところが美しいですね。
白銀の道しるべ
さて、私の見た満月のうち、最も忘れがたいものは
イタリアのチンクエ・テッレの村の海辺にあった。
薄暮のマナローラの港に、月がひとつ、音もなく昇って来た。
崖に折り重なる家々は、まだ昼のぬくもりを壁のどこかに
残しながら、しだいに青い夜気の中へ沈んでゆく。

やがて深夜になれば、
リオマッジョーレの
海の上にその月がかかり、
海面には白銀の道しるべが一筋、
遠くこちらへ向かって伸びていた。
波はただ静かに揺れ、
そのたびに銀は砕け、
また結ばれた。
三年前の五月、
ホテルの窓から
見たその光景は、
景色というより、
むしろ沈黙そのものが
形をとったようであった。

月は古来、
眺める者に言葉を与えるより、
むしろ言葉を失わせる。
けれども、その夜の海の
白銀は、失われた言葉のあとに、
なお残るものがあると教えていた。
人は美しいものを前にすると、
感動したと言うより先に、
ただしばらく黙る。
あの満月もまたそうであった。
私にとって月とは、
空にある天体である前に、
胸の奥にひそむ古い記憶を、
ひそかに照らし出す灯でもある。
最後までご覧頂きありがとう。
今日が良い日となり、
明日がさらに素晴らしい日となりますように
。
インスタフォロー宜しくお願いします↓↓↓
https://www.instagram.com/naoo_kumagai/
撮影 文 熊谷


中秋の名月とは何かと問われれば、
それはただ天に懸かった円い月ではない。
暦の上で選ばれた、秋の真ん中の十五夜の月。
2026年は9月25日がその夜にあたり、
満月はその翌々日の9月27日午前1時49分に巡って来る。
名月は必ずしも満月ではない。そのわずかなずれに、
かえって月というものの、正確でありながら人の情に
似た曖昧さが宿っている。これは国立天文台でも
案内されている通りで、9月11日12時27分の新月を
含む日が旧暦8月1日となるため、25日が旧暦8月15日になる。
つまり名月とは、天文学の厳密さと、人が古くから愛してきた
季節の感覚とが、静かに重なった呼び名なのである。
海の上の満月は、ただ明るいのではなく、
遠い時間まで照らしてしまうところが美しいですね。
白銀の道しるべ
さて、私の見た満月のうち、最も忘れがたいものは
イタリアのチンクエ・テッレの村の海辺にあった。
薄暮のマナローラの港に、月がひとつ、音もなく昇って来た。
崖に折り重なる家々は、まだ昼のぬくもりを壁のどこかに
残しながら、しだいに青い夜気の中へ沈んでゆく。

やがて深夜になれば、
リオマッジョーレの
海の上にその月がかかり、
海面には白銀の道しるべが一筋、
遠くこちらへ向かって伸びていた。
波はただ静かに揺れ、
そのたびに銀は砕け、
また結ばれた。
三年前の五月、
ホテルの窓から
見たその光景は、
景色というより、
むしろ沈黙そのものが
形をとったようであった。

月は古来、
眺める者に言葉を与えるより、
むしろ言葉を失わせる。
けれども、その夜の海の
白銀は、失われた言葉のあとに、
なお残るものがあると教えていた。
人は美しいものを前にすると、
感動したと言うより先に、
ただしばらく黙る。
あの満月もまたそうであった。
私にとって月とは、
空にある天体である前に、
胸の奥にひそむ古い記憶を、
ひそかに照らし出す灯でもある。
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