ザスタのクマさん

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あらゆるアート、デザイン、 特に写真が大好きなクマこと熊谷の作品集。

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10月になったので、ブログのヘッダーを変えました。(ハルシュタット湖畔)

先月は秋雨前線と台風を嫌い反災害、砂漠のピラミッドの画像にしましたが、
今月は晴れの日が多いと思い、雨の春シュタット湖畔の画像です。


表紙原画

雨のハルシュタット湖畔

山は、遠い黙示のやうに、濡れた空の底に沈んでゐる。
ダッハシュタインの暗い襞から降りて来た霧は、
湖の面へ静かにひらき、家々の尖つた屋根を、
まるで古い記憶の封蝋のやうに鈍く濡らしてゐた。

水はただの水ではない。空の憂ひを溶かし、
石の冷たさを含み、昔この土地の底に眠つてゐた
塩の夢までを、ほの白くたたへてゐるのである。





水面近くから、連絡船も入り、ベストショット




湖畔に並ぶ家々は、いづれも水際に寄り添ひ、
雨に打たれながら、声をひそめてゐる。

あれは町並ではない。むしろ、山と湖との間に
生えた、淡い灯の苔であらう。窓硝子の後ろにともる
気配は、若芽のひだのやうにやはらかく揺れ、
見えぬ潮の底から、ひそかに時を撫で返して来る。

水に映る影さへ、現し世のものといふよりは、
雨の指が書き損ねたもう一つの街の草稿に見える。




先程より上、斜俯瞰のアングルで、



この村には、風景よりも古い時間が澱んでゐる。
岩塩坑の深みに埋もれてゐた太古の気息、
墓地から掘り起こされた沈黙、塩といふ
白い鉱物に封じられた人の世の微かな熱。

そのすべてが、雨の日には湖の匂ひとなつて
街へ戻つて来る。世界遺産などといふ呼び名は、
かへつてこの小さな岸辺の幻想を説明しそこねる。

ここにあるのは、保存された景観ではなく、歳月その
ものがまだ湿つたまま息づいてゐる一幅の幻である。




反対側、湖畔から




観光のざわめきさへ、今日の雨の前では遠い。
群れ集ふ人の欲望も、異国の言葉も、みな水際で
ほどけ、灰色の空へ吸はれてゆく。

すると街はやうやく本来の静けさを
取り戻し、伝説の岸へ立ち返る。

雨は絶えず降つてゐる。しかもその雨は、
物を濡らすためでなく、世界の輪郭を少しづつ溶かし、

この湖畔を現実からそつと引きはがして、
夢の側へ移すために降つてゐるやうである。







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今日はくるみの日
くるみの生産量日本一である長野県東御市などのくるみ愛好家が制定。

日付は「く(9)るみ(3)はまるい(0)」(くるみは丸い)と読む語呂合わせから。
また、くるみの出回る時期でもある。くるみの食材としての素晴らしさ、
用途の広さなどをアピールすることが目的。




胡桃の日の薄明
胡桃は、ただの木の実ではない。
山の奥でひそやかに育ちながら、
なお人の血の記憶にふれる、
古い星のかけらである。

紀元前七千年ごろより人はこれを食べたという。
その事実だけでも、胡桃は歴史というより、
もはや神話の岸に寄せてくる波である。

殻は小さな舟のように閉ざされ、
その内側には脳髄にも似た襞が、
淡い黄褐色の夢をたたえて眠っている。






その実を噛めば、乾いた秋の光がほろりとほどけ、
油は舌の上を静かな河のように流れる。
わかめが水底でゆらゆらとほどけるように、

胡桃の滋味もまた、目に見えぬところで
体の深みへひろがってゆく。血はそこで、
濁れる沼ではなく、月を映す入江となる。
さらさらと、音もなく、夜の硝子を撫でる風のように。

ビタミンや食物繊維という、
昼の理に属する功徳だけではない。

さらにその奥には、オメガ三脂肪酸という、
いわば見えない青い火が宿っている。

動脈のかたくなるのをなだめ、
高すぎる脂を鎮め、生活の濁りが
血の川に沈殿するのを防いでくれるという。










人はパンを食み、塩を嘗め、果実を裂いて
今日まで生きてきたが、胡桃はその長い食卓の隅で、
ほとんど黙した賢者のように、命を支えてきたのであろう。

思えば一粒のくるみは、小宇宙である。
堅い殻は冬の扉、皺ある仁は秘められた森。

手のひらにのせれば、そこには太古の民の焚火の匂いがあり、
まだ文字を持たぬ夜の静けさがあり、そして来るべき
老いをやわらげようとする、慎ましい祈りがある。

ゆえに胡桃の日とは、単なる記念ではない。
人が太古から今日まで、見えぬ恵みによって生かされて
来たことを、ひそかに思い出す日の名である。

卓上のひと粒は小さい。けれどその小ささの
うちに、紀元前の闇も、山河の沈黙も、

なお尽きぬ生の浪漫も、深い琥珀色をして眠っている。









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招き猫の日(9月29日 記念日) 招き猫の愛好家の団体である日本招猫倶楽部が制定。
九月二十九日は、暦の上ではただの数字にすぎない。
けれども人は、ときに数字の並びへ祈りを縫いつける。日本招猫倶楽部が定めたこの日は、来る福という音のやわらかな語呂に支えられ、掌ではなく小さな前脚のしぐさへ、生活の望みを預ける日になった。

来る福の前脚

招き猫が福を呼ぶというより、福を待つ人のまなざしが、
あの挙げられた手を福の形に変えてしまうのだ。

実際の生きた猫が、ふと片脚を持ち上げる瞬間がある。
障子ごしの薄光のなかで、黒板にひらがなを一字だけ
書きかけてやめた教師の指先の様にも見える。

こちらは勝手にそこへ意味を読む。
右なら商売繁盛、左なら千客万来。

そう言い伝えられてきたという事実よりも、
そう言い当てずにはいられなかった町人の
切実さのほうが、私はむしろ意地らしく思われる。

銭も客も、つまりは明日を生きのびるための別名にすぎない。







間違っても汗ハイルヒットラーではありません・





では両手を挙げれば万事めでたいかといえば、
世間はそう単純ではない。欲を二本の腕木のように
高く張り出せば、縁起はたちまち諧謔へ裏返る。

両手を挙げた猫は、福を招くというより、
お手上げにも見えるのである。

この半ば滑稽な解釈のなかに、日本人の幸福観がひそむ。
満ち足りることより、ほどよく足りぬこと。

あふれる獲得より、慎ましい招来。
その曖昧で湿った分別が、
焼き物の笑みに薄く宿っている。

それゆえ、実際の生きた猫が、気まぐれに
前脚をあげた一瞬のほうが、焼き物の
百体よりも深い福を思わせる。

猫は人の願いなど知らぬ顔をしながら、
ふいに世界の襞を柔らかくの日の縁側に
その影を見れば、福とは遠くから来るのではなく。
もう、膝のあたりまで来ていると・・・










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アメリカ一本槍で渡っていけるほど、外交は甘くない。
そんな当たり前のことすら、この国では長く封印されてきた。

トランプ米大統領は習近平国家主席を大々的に国賓として迎えた場で
、第二次世界大戦では米中が同盟国として共に戦ったと語った。

史実では、米国が組んだ相手は蒋介石の中華民国で、共産中国ではない。
それでもなお、トランプ大統領が中国を同盟国系譜に置く。

その軽さこそ、むしろ本質だ。理念でも友情でもなく、
必要なら同盟国を裏切り、昨日の敵にも今日はすり寄る。
それが大国、人間としては恥ずべき、トランプ外交である。

(下手すれば一時代前なら日米開戦だ。・・・・)







米中は反目している。だが反目していることと、
利害が一致しないことは別問題だ。

自国の利益のためなら、日本を脇にどけるくらいは平然とやる。
そんな可能性すら見ようとせず、アメリカに付いていれば
安全保障も経済もどうにかなると信じ込んできたのが、
自民党と霞が関の怠慢だった。考えることをやめた政治に、
考えないまま票を入れ続けた国民。さらに空気で支えたメディア。

責任は一方向ではない。皆で少しずつ、
この国の外交を空洞化させてきたのである。





最近得意になったエアー手振り、



その果てに現れたのが、現実ではなく演出に酔う政治だ。
高市首相が空港で飛行機から大きく手を振る姿は、
映像だけ見れば堂々たる外遊の一幕に見える。

だが実際には、その先に歓迎の群衆はいなかった。
誰もいない暗がりに向かって手を振る光景は、
いまの日本政治そのものではないか。

国民の方を見ているふりをしながら、
実際にはカメラしか見ていない。

そういう空虚な身ぶりだけが、やけに達者になった。








恐喝された87兆円の対米投資それでも米空母の上で
ぴょんぴょん跳ねるている無能な総理大臣とは
大違いの習近平主席の存在感。

これでも内閣支持率高止まりなんだから呆れる。








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夕映えの旧都と、停車場の古びた皮の鞄達

エディンバラの旧い都は、薄暮の底に沈みながら、
なお青白い夢の骨格をのぞかせていた。

カールトン・ヒルの高みから旧市街を眺めると、
石づくりの町並みは、海から引きあげられた
古い貝殻の群れのように、ひそやかな光を
その内側にたたえている。

やがて城塞のあたり、競技場の上に、
ミリタリー・タトゥーの花火がひらいた。







あれは火の花というより、むしろ
夜の皮膚に咲いた一瞬の記憶である。

赤は誇りのように裂け、金は滅びそこねた
王朝の余燼のように、空の縁にこぼれた。

旧都は黙していた。黙して、ただその煌めきを、
亡びた時代のまなざしのように受けていた。


そして次は、南イングランドのブルーベル鉄道、
シェフィールド・パーク駅には、もっと静かな感傷が降りている。
ブルーベル鉄道は一九六〇年に保存鉄道として歩みはじめ、
英国の鉄道遺産保存の象徴の一つとなった。








そこでは時が死んだのではない。
時は標本にされ、呼吸だけを細くつづけている。

プラットフォームの片隅に寄りそう重量計と、
旅人の夢を腹いっぱいに呑みこんだボストンバッグの
群れは、その沈黙の証人である。

鞄たちは、もはや出発を命じられることもない。
けれども彼らは見捨てられたのではなく、
古びた舞台の端役として、駅という一幅の絵のなかへ、
しずかに住みついてしまったのである。

革のくたびれや金具の鈍い艶には、かつて人が遠くへ
向う熱が、乾いた海藻の匂いの様に残っている。

来ることのない旅を待つものたちだけが持つ、
あの、やさしくうら寂しい気品。

停車場の午後は、それらを包んで、
まるで忘却そのものが古風な制服を
着て立っている様であった。













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宇宙を思い浮かべて心を鎮める時間は、とても美しい贅沢ですね。
宇宙を見つめる時間が、そのまま心を澄ませる時間になることがありますよね。

創造の柱のほとりで
たまに目を閉じる。すると、瞼の裏の暗がりは、
ただの闇ではなく、ひどく細やかな銀砂を
撒いたような空へ変わってゆく。

銀河も星も、音もなく、気の遠くなるほどの
秩序を保ちながら、しかも人の心を誘うほどには
無造作に、そこに瞬いている。私はそれを
眺めるというより、むしろその静かな煌めきの中へ、
自分の意識を少しずつ浸してゆくのである。









仕事部屋のパソコンの脇には、
ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影した、
わし星雲の「創造の柱」が貼ってある。

あの像は近赤外線観測装置のNIRCamと
中間赤外線観測装置のMIRIによって捉えらえたもので、

星の生まれる領域を、これまでにない深さで
覗かせてくれるという。NASAはこの柱の像を
二〇二六年九月二十二日更新の資料でも公開しており、
塵の向こうの若い星々や、赤く揺らぐ縁を示している。


だが私には、科学の説明より、まずその形が切実である。
幾本もの巨大な柱は、天へ向かって屹立しているというより、
未知の世界へ向けておそるおそる手を
差し伸べているように見える。

指とも、触角とも、祈る者の腕とも見え、
その曖昧さがまたいい。人間の好奇心とは、
もともとこのように、何ものかの輪郭を知らぬまま、
なおそこへ触れようとする衝動ではなかったかと思われる。










そう考えると、目を閉じてこの柱を思い浮かべることは、
一種の瞑想に似ている。心を空にするためではない。

むしろ、心のうちに無限を招き入れるための、
静かな儀式なのである。私たちの生活は小さく、
机も部屋も、日々の仕事もまた驚くほど限られている。

けれどそのかたわらに、あの星の柱が一枚
貼られているだけで、人は自分の内部に、
なお広大な夜を持ちうる。

夢とはたぶん、眠りの中にあるのではない。
目覚めたまま、なお遠いものへ手を伸ばそうとする、
その姿のうちにこそ、ひそかに宿っているのである。












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中秋の名月とは何かと問われれば、
それはただ天に懸かった円い月ではない。
暦の上で選ばれた、秋の真ん中の十五夜の月。

2026年は9月25日がその夜にあたり、
満月はその翌々日の9月27日午前1時49分に巡って来る。

名月は必ずしも満月ではない。そのわずかなずれに、
かえって月というものの、正確でありながら人の情に
似た曖昧さが宿っている。これは国立天文台でも
案内されている通りで、9月11日12時27分の新月を
含む日が旧暦8月1日となるため、25日が旧暦8月15日になる。

つまり名月とは、天文学の厳密さと、人が古くから愛してきた
季節の感覚とが、静かに重なった呼び名なのである。



海の上の満月は、ただ明るいのではなく、
遠い時間まで照らしてしまうところが美しいですね。

白銀の道しるべ

さて、私の見た満月のうち、最も忘れがたいものは
イタリアのチンクエ・テッレの村の海辺にあった。

薄暮のマナローラの港に、月がひとつ、音もなく昇って来た。
崖に折り重なる家々は、まだ昼のぬくもりを壁のどこかに
残しながら、しだいに青い夜気の中へ沈んでゆく。







やがて深夜になれば、
リオマッジョーレの
海の上にその月がかかり、

海面には白銀の道しるべが一筋、
遠くこちらへ向かって伸びていた。

波はただ静かに揺れ、
そのたびに銀は砕け、
また結ばれた。

三年前の五月、
ホテルの窓から
見たその光景は、
景色というより、

むしろ沈黙そのものが
形をとったようであった。







月は古来、
眺める者に言葉を与えるより、
むしろ言葉を失わせる。

けれども、その夜の海の
白銀は、失われた言葉のあとに、
なお残るものがあると教えていた。

人は美しいものを前にすると、
感動したと言うより先に、
ただしばらく黙る。
あの満月もまたそうであった。

私にとって月とは、
空にある天体である前に、
胸の奥にひそむ古い記憶を、
ひそかに照らし出す灯でもある。








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早苗が見つめ続ける細野モナオ。
高市氏が手を振る。呼ばれた細野氏が一瞬ためらい、
木原氏に背を押されるように隣へ入る。

わずか数秒の動きなのに、永田町の人事が持つ
気まずさと作為が、妙に濃く映っていた。

映像に音はない。だが細野氏の口元は、ほとんど
「僕ですか」と言っているように見える。

自分の意思で前へ出たというより、
そういう形に整えられた人の顔だった。







隣に収まってからも、細野氏は何度も頭を下げる。
恐縮なのか、警戒なのか、それとも自分がここで
どう振る舞えば正解なのか測りかねているのか。

少なくとも、入閣を晴れやかに受ける人物の
身ぶりではない。硬い。とにかく硬い。

見る側に残るのは期待感ではなく、居心地の悪さである。




静岡新聞より



さらに異様だったのは、高市氏の視線だ。
細野氏の方を長く見上げ、顔を追い、
振り向いてもなお目で追う。

ついには腕を取って欲しいのか、肘まで数回、当てる
場面もある。親しみを演出したかったのかもしれない。

だが結果として映ったのは、自然な連携ではなく、
距離感の調整に失敗した不格好な絵だった。

気遣いにしては長すぎ、無関心にしては濃すぎる。
その半端さが、場のぎこちなさをかえって強調していた。




娘の運動会も無視で不倫にいそしむモナ男



細野氏には、山本モナ氏との不倫報道で
大きく信頼を損ねた過去もある。

2006年には写真週刊誌報道を受け、
山本氏はTBS系報道番組を短期間で降板し、

細野氏も民主党の役職を辞任したと報じらる。
そうした経緯を知る有権者にとって、

復興や被災地に関わる重い役割と結び付けて
見れば、反発が出るのは不思議ではない。



食料自給率も知らない、森下氏が農水政務官



政治は本来、結果で評価されるべきだ。
だが結果がまだ見えない段階では、

人はまず所作を見る。今回の短い場面から漂ったのは、
信頼でも余裕でもなく、演出の過剰さだった。

Xでも「見過ぎ」などの反応が出たと報じられており、
違和感は決して一部だけのものではなかったようだ。

カメラの前でこれだけ不自然なら、
舞台裏ではどうなのか。そんな余計な想像まで
呼び込む時点で、この政権の絵作りはかなり苦しい。












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秋の風物詩といえば?


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秋分の日の前日に天気を予想して書いたブログなので、
実際の天気は残念ながら雨でした。

秋分の日

秋分の日とは、昼と夜が等しくなる日だという。
光と影、この世とあの世、記憶と現在。
その釣り合いが、今日だけはかりそめに保たれる。

台風二十五号の過ぎたあとの都心には、
洗われたような静けさがあった。

空はまだ薄く濡れていて、雲の切れ間には、
磨いた刃のような淡い光がさしていた。

秋分の日の朝である。私は青山霊園へ墓参りに出かけた。
車の音は遠く、街はたしかに東京でありながら、
その日ばかりはどこか現世の縁が薄かった。






濡れた石畳を踏むたびに、靴の裏からひやりとした
感触が伝わってきた。墓石はみな雨を含んで鈍く光り、
黒いものはなお黒く、白いものは水の気をまとって青く見えた。

そのあいだに、曼珠沙華だけが燃えるように咲いていた。
あの花はいつ見ても、土の下の沈黙がふいに紅へ姿を変えた
ようで、めでたいとも、さびしいとも、一言では言いあらわせぬ。

風が吹くと、珍しく白い細い花弁は蜘蛛の脚のようにふるえ、
まるで見えない誰かが、そこに立って息をしている様でもある。






私は花を供え、水をかけ、掌を合わせた。すると、
雨上がりの空気のなかで、自分の記憶までが
少し湿ってくるのを覚えた。

亡くなった人を思うというのは、
顔を思い出すことばかりではない。
声にならなかった言葉や、渡しそびれた心まで、
静かに胸へ戻ってくることであるらしい。

線香の香りは淡く流れ、都心の高い建物の影さえ、
この場所では遠い時代の書割のように見えた。









ふと見れば、水たまりの空に雲が流れ、
その底を紅の曼珠沙華がのぞきこんでいた。

天が下にあり、地が上にあるような、
あべこべの一瞬である。生きている者と死んだ者
の境も、もしかするとそのようなものかもしれぬ。

ただ雨のあとにだけ、かりそめにひらく鏡のような
境である。私はそんなことを思い、

もう一度だけ深く頭を下げた。

見上げれば、都心の空はもう夕べの支度を始めていた。
西の方から射してくる光は、墓標の角を金に染め、
やがて赤へ、さらに濃い紅へと移ってゆく。






その日の終わり、彼岸花は逆光の中で影となり、
細い茎も、裂けるような花弁も、みな黒い剪影となって、
燃える夕日の前に浮かび上がった。

あれは花の姿ではない。
去った者を思う心が、しばし
この世に見える形を借りたものだ。

昼と夜の境、此岸と彼岸の境、
生者と死者の境。そのいずれもが、

秋の夕映えの中では、ただ美しく曖昧である。
だから人はこの日、赤い花のそばに立ち、
黙って遠いものを懐かしむのであろう。



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車の免許持ってる?


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カーフリーデーそのものの趣旨や街路の歩行空間化は近年も世界各地で続いています。
思えば随分、世界の街を見てきたものだ。


文明というものは、ただ速く遠くへ
進む為だけにあるのではない。

そんなことを、私はふと思った。
人はいつから、急ぐことを尊び、
立ち止まる事を忘れてしまったのだろう。

道を行くことは、本来もっと静かで、
もっと身近な営みだったはずである。



AI


車の途絶えた街には、いつもより広い空があった。
人々は列をなして歩き、ときに足をゆるめ、
ときに立ちどまって梢を見上げる。

遠くで誰かが咳をし、どこかで笑い声がこぼれる。
そのささやかな響きの内に、季節は確かに息づいている。

秋は木の葉の色だけで来るのではない。人の声のぬくみや、
沈黙の深さのなかにも、ひそかに姿を見せるのである。




銀座にて



便利なものは、たしかに我々を運ぶ。速く、
正確に、迷いなく目的地へ連れて行く。
その力を誰も否むことはできない。

けれども、沈黙はまた別の仕方で我々を導き、
人をその場にとどめ、目の前のものを見よと命じる。
立ちどまってはじめて見えるものが、この世にはある。




NYにて



街路樹の影の淡さ。石畳のやわらかな磨滅。
名も知らぬ人のまなざしにふと宿る寂しさ。

そうしたものは、速く走る窓の内側
からは決して拾えぬ、時の落穂である。

見過ごされ、踏まれ、それでもなお
道ばたに残っている、小さな真実である。




巴里にて




ただ進むだけでは、いつか心のほうが置き去りになる。
歩くことは、遅いがゆえに豊かである。

ひとつの影を見つめ、ひとつの声に耳を澄まし、
ひとりの他人の気配に胸をかすかに動かされる。

そのような瞬間にこそ、生の本当は潜んでいるのかも。





ベルリンにて





歩き、黙り、ふと足を止める。
その遅いひとときのなかで、

世界ははじめて、
我々にその素顔を見せる。

町の古さも、人のぬくもりも、
自分の胸のかすかな揺れも、
その時ようやく姿をあらわす。

今日の静かな道路は、
ただ車のない道ではない。

忘れかけていた生の真実が、
ひそかに歩いている道なのである。。





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撮影 文 熊谷


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