※※昔の別ブログを整理しています※※
不要記事は削除しつつ、残したい記事は
こちらのアメブロに再編して転記します。
【原版2004.10.4の記事の再編】
よく、いろいろな方に聞かれる質問があります。
「カイロプラクティックって何ですか??」
これに関しては、ネット上で詳しく説明している方が多いので検索してみてください。
当院のHPでもカイロと整体の違いについては書いてありますので、参考どうぞ。
その次に多いのは、
「先生はなんでカイロを勉強しようと思ったのですか?」これが多いです。
要するに私が、この道に進んだきっかけです。
それは、そもそも私の母親は腰痛持ちで
昔からよく、いろいろな治療院へ
行っていました。
そのため、柔整、鍼灸、あんま指圧などを知っていおりました。
しかし、カイロプラクティックは、大学へ入るまで全く知りませんでした。
ではなぜ??
私がカイロの道へ進むことになったのでしょうか?
少し話がそれますが、私がまだ中学生の頃
近所によく遊びに行く※床屋さんがありました。
※イエロードアの床屋さん
長野県茅野市泉野の泉野小学校の近くにあります。
そこの店主が非常に変わった人だったんですね。
私はこの店主に大きな影響を受けました。
この店主、本業は床屋ですが「何でも屋」でもあります。
骨董が趣味で、骨董屋もやっています。
そして、なぜか人を治す力があります。
店主曰く、中国へ行き、
ある師の許に東洋医学を勉強した
経験があるそうです。
ここは床屋なのに、
肩、腕、首、腰が痛いからちょっと
診てくれないかという人が多々訪れます。
(*注:誤解のないよう 営利目的ではなくボランティアです)
そこで、中学校の帰り道によく遊びに立ち寄っていました。
その時に、施術の光景をよく見ていたり、
経絡や東洋思想などについて
教えていただいたことがあります。
それに興味をもちはじめ、東洋思想、
東洋医学のすばらしさに目覚めたのです。
高校卒業後は、鍼灸の学校へ
進学すると決めました。
どうせ行くなら鍼灸大学で勉強したかった
ので受験しましたが、当時はなかなか
※狭き門であり、受験に失敗した私は、
鍼灸の専門学校を受験しました。
(※この頃は規制緩和が厳しく鍼灸学校は
特定の視覚聴覚障碍者か二代目鍼灸師を
目指すご子息などが優先されていた時代でした)
しかし、ここでも一般の受験は厳しかったのです。
たまたま、受験した学校の会場の外で
『運命のチラシ』を手にしてしまったのです。
田舎者の私が普段チラシなど手に取らないのに
何故かこの時は、無意識にチラシを受け取ったのでした。
そう、そのチラシこそが
当時RMIT大学日本校のチラシだったのです!!
帰りの特急あずさの中で、
そのパンフレットに目を通すと
そこには『カイロプラクティック』と
書かれていました。
実は、このときまでカイロプラクティック
という言葉すら知らなかったのです。
早速、本屋で調べてみると
アメリカ発祥の医療でアメリカでは
Dr.としての資格が認められており
正式な学問であることがわかりました。
チラシで頂いたRMIT大学は
オーストラリアの州立大学です。
正規のアカデミック学位が取得できるカリキュラムだったのです。
入学前の当時は6年制(現4年制、私が卒業したときは5年制)で、医学部と同じ年月なので、受験するか迷いましたが親に相談すると受験してみて受かったら考えなさいと言われ、とりあえず受験することにしたのです。
数週間後に合格通知が届きました!!
しかし、どうしようかと悩みました。
お金と時間がかかるし、学業も非常に大変そうだけどなんだかワクワクするカイロプラクティックを勉強したいと親に相談したところ、「お前が本当にやりたいと思うなら協力しましょう」と快く、この道へ進むことを承諾してくれました。
だから、両親には今でも本当に心の底から感謝をしています。
もし、この道に進むことを許してくれなかったら・・・。
今頃、こんなにすばらしいカイロプラクティックを知ることなく人生が終わっていたかもしれません。
つい最近も、両親のお陰でカイロプラクターになれたことを感謝の気持ちで伝えました。
本来であれば、親孝行で恩返ししなくてはなりませんが、遠方ということもあり、中々恩返しができません。
その分、世間の困っている人たちの役に立つことで恩返しができればと思っています。
こうして私の最高のカイロ人生が始まったのです。