如月の今月11日は火曜日が旗日で「建国記念の日」とある。
はて?
何をする日かな?
ここでは思想的に偏らず、グローカル(グローバル+ローカル)、つまり考え方は国際的に、そして行動は地域的にと、順々に進めて参りたいと思います。
米国の7月4日独立記念日は有名だが、中国では10月1日、毛沢東が天安門で建国宣言した国慶節であったり、フランスの7月14日はパリ祭、そしてドイツでは10月3日、ドイツが統一された日とある。
またロシアも6月12日ソ連から独立宣言した日とあるが、これはよく分からない。ソ連とロシアは違うのか?
そして、吾が国日本は、神様と人間天皇の境目つまり初代天皇であられる神武天皇が、日本書紀や古事記の記録などから歴代天皇一覧表の1番目に(660~585B.C)「神武」と記載されている。
今年が西暦2020年だから紀元前660年足すと2680年ということになる。つまり今年は皇紀2680年である。
ということは、天照大神や日本神話に登場する神々の子孫なのか?
すると、AD57年 倭奴国王、後漢に朝貢し、光武帝より印綬を受けた。とあるのは?
またAD239年 倭の女王卑弥呼、魏の明帝に朝貢し、「親魏倭王」の称号と金印紫綬を受ける。とある。
そして、313年このころ大和朝廷の統一化すすむ。
さらに604年、聖徳太子が憲法17条発布。
とあるように、建国(?)後も一枚岩でなく紆余曲折、呻吟労苦の跡が偲ばれる。
もっとも当時は必ずしも中央集権国家が確立されていたわけでなく、戦国(織豊)時代のような下剋上を孕む群雄割拠の天下と各地域の国で成り立つ重層的複合国家であったと視れる。
そういう日本古来の神話も独自な風土性があってユニークだ。
先ずこの国の生い立ちから調べてみたいと思う。
神様の祝詞の冒頭に、「高天原に神留り坐す 皇親神漏岐(すめらがむつ かむろぎ) 神漏美(かむろみ)の-------)とありますが、調べてみたら、この高天原は日本全国にあり、まさに八百万(やおよろず)の神々なのです。
その800万もの神様をそれぞれお訪ねする訳にも参りませんので、先ずは代表的な天の岩戸など神話の里、高千穂の国である九州は日向地方へとんでみましょうか。
それでは神話の世界へいざ出発!
この神様の系図(古事記)によりますと、天界から降臨された神祖はイザナキとイザナミで、その子孫(?)が天照大神やスサノオノミコトやコノハナサクヤヒメになっております。
ここ日向宮崎は、アツアツのカップルが新婚旅行などで訪れる恋のメッカ(聖地)とも言われ、国産み神話から天孫降臨、そして海幸彦・山幸彦~神武天皇まで古事記のハイライトともいえる神々のふるさとと言ってもいいでしょう。
海幸彦、山幸彦を産んだコノハナサクヤヒメ(木花佐久夜姫)だが、その出産は大変なものだった。
一夜の契りを疑うニニギノミコト(迩迩芸命)に対して、産む間際になって産屋に火を放ち「この炎の中で無事に産むことで証を建てましょう」ということになったお話も伝えられております。
この時の産屋は戸をすべてふさいでしまったことから無戸室(うつむろ)と呼ばれ、その跡レジェンド、レガシーが宮崎市木花(きばな)の木花神社の近くにある。
また境内には出産の際に産湯をつかったとされる桜川という泉が湧いている。
木花は山幸彦が訪ねた海神(わたつみ)の宮があったという青島の近くにある。
昔むかし、といってもこれは太古のむかし。そう神武天皇のご先祖、神様のころのお話。いわゆる神話です。
神祖イザナキノミコトやイザナミノミコトの子孫に天照大神やスサノオノミコトがおり、その天照大神の子がニニギノミコトで、それがコノハナサクヤヒメの夫でもあります。
またワタツミノオオミカミの子孫に豊玉姫がおり、のちに山幸彦と結ばれる。
「海幸彦と山幸彦」のお話は有名で、日本でもそれぞれ海の幸、山の幸と領分が決まっていた。
そんなある日、山幸彦が兄の海幸彦に「たまには交代してみたい」と頼み、道具も交換してもらい、山幸彦は一日漁師になって得意満面でした。
ところが、成れない未熟ゆえか、兄の海幸彦が宝としていた大事な道具の釣り針を魚に取られて失ってしまう。
兄は怒りどうしても許してくれない。
しまいには自分の剣をつぶして針をつくって持って行ったが、どうしてもあの釣り針でなければ駄目だと言う。
しょんぼり途方に暮れて海を見つめていたところ、向こうからひとりの老人がやってきた。
これが潮筒大神で、訳を話すと「それなら綿津見大神(海の神)の宮へ行きなさい」と教えてくれた。
言われるままに訪ねた宮の綿津見大神に山幸彦は、正直に経緯を打ち明けた。その実直さが大神に気に入られ、魚どもに釣り針を持ってくるよう布令を出し、それが届くと山幸彦は素直に涙を流さんばかりに喜び感謝した。
それがまた綿津見大神(海神)の娘、豊玉姫にも好感をもたれ、つつましく惹かれあい、惚れあって、やがて当然のように結ばれ、三年の間楽しく倖せに暮らしました。
めでたしめでたし。
これは日本書紀や風土記に見られる浦島太郎伝説のようでもあり、一方、三年間蜜月であったがその後は?という疑問もあるが、海の者と山の者の相性と云うこともあろう。
世の中なにが幸いするか分からないものだ。 「万事塞翁が馬」とはこのこと。
ところで、東京の練馬区に「豊玉」とかの地名が見られるが、豊玉姫となにか所縁があるのか……。
その地域には「照姫伝説」もあるが、いかんせん日向とは離れすぎて、関連付けるのも難しいと思える。
ちなみに、日本で最初の新婚旅行は坂本龍馬とおりょうさんとされているが、実はその前に、島津藩の家老・小松帯刀とその妻女だったという説も有力である。
神話は日本だけのレガシー(遺産)ではない。
今年はオリンピックイヤーだが、そのオリンポスの神々、ゼウスやポセイドン、ヘラクレス、アポロン、ヘラなどのギリシャ神話や、世界最古の神話文書として紀元前3千年前、楔形文字により石版に刻まれていたメソポタミア神話にはギルガメシュが登場するし、ガンジス文明からは、シヴァやサラスヴァティー、それに象の頭のガネーシャ、武神インドラなど、そのほかに北欧神話やケルト神話、エジプト神話などがある。
が、予算(出張旅費)が限られているので、ここでは外国神エピソードだけを紹介しておこう。
インド神話に登場するシヴァ神だが、かれは瞑想の修行が好きで、来る日も来る日も妻のパールヴァティーをかまってやれなかった。妻のパールヴァティーは愚痴を聞いてもらえずイライラが昂じて、ある日欲求不満になった。
そうなるとますますシヴァも抱こうともしなくなり、更に深い瞑想の世界に逃げ込んでしまう。
そして、妻パールヴァティは当時の精神科医ともいえる恋結びの神に、恋のキューピッドの矢を夫に射てほしい。と訴える。
恋の医者は仕方なく処方箋を出して修行中の夫に向けて矢を射させた。
するとあろうことか瞑想が破られたシヴァが烈火の如く怒り、憤怒心頭に達し、瞑想の邪魔をしたその恋の結びの神をアツアツの紅蓮の炎で焼き尽くしてしまった。
時が経ち、やがてそれは嫉妬からきたエネルギーだと悟ったシヴァは、妻の嫉妬も理解し、恋に目覚め妻を放置してた自らを悔い改め、可愛い妻だと見直すようになり、妻とより激しく燃え上がった。
……が、今度は焼き尽くしはしなかった。
予算の関係で国内の神話取材だけに留めます。
さて、それでは次の取材先、縁結びの神様として知られる出雲大社へととんで、建国のいわれを探ってみますか。
それでは、風土記にある出雲大社の行き方、まず松江から。
”運は一瞬、縁は一生”
確かに深みのある言葉。島根の松江城を眺めて、一畑電車に乗って良縁に恵まれますように……。
宍道湖をぐる~と周って1時間強で出雲大社に着く。……地域ローカル線ならではの味わいがある。
出雲大社は縁結びの神様であり、毎年10月神無月には全国から神様がこの出雲大社に集まってくることでも知られている。
ピンクのご縁列車に乗って……。
それはどうか分かりませんが、皇族の親王様もここに嫁がれました。
そうです。神と神、人と人を結ぶ神がいなければ、その結晶は生まれず、国は滅びてしまいます。
建国の父とは、そういう御魂が宿っていなければなりません。
出雲大社の祭神は大国主命で、神話「因幡の白兎」で知られているように、白兎が身から出た錆とは言え、フカ(鮫)に皮をはぎ取られ痛さに泣き苦しんでいると、心やさしい大国主命が通りがかって手当をしてくれ助かりました。
弱者救済の神様として、また大国はダイコクとも読める事から七福神の大黒天、大黒様として富や福の神としても崇められております。
そのほかの地方の八百万の神様を訪ねてみましょう。
こちら水戸の常盤神社に八百万の神々の事が載っています。出雲大社でなく高天原に集まりて天岩戸の前で神楽を舞ったと。
あまりこの世が乱れたので、天照大神が天の岩戸に隠れてしまった。そこでこれはいかんと、八百万の神々が集会を開いて、
「このままじゃ穀物も育たん。どうすべぇ。」
「・・・・・・」
「岩戸の前で、神に奉納する神楽を舞って、邪気を浄めてはいかがかの?」
「そりゃあ ええ」
と言うことで、あまのうずめのみこと(天鈿女命)が、奉納神楽を厳かに舞うた。
集中すると徐々に神懸かり的に、やがて神に憑かれたようにピーンと張り詰めた空気が漂ってきた。
みんな息を呑んで見守っている。
緊張感の中 だれともなく 「こりゃうめぇ神楽舞だべな……」 と洩らした。
すると緊張がほどけたのかそれに連られてどっと笑いが起こり、踊るごとに周囲からやんやの喝采を受け場が和み、天照大神が何事かとそっと岩戸を細目に開けた時、強力無双の手力男の命が岩戸に手をかけ、それっとばかり岩戸を押し開け、また日が照り元の天下泰平の世になった。
それでは、その舞姫・天鈿女命(あまのうずめのみこと)が奉納神楽を神懸かり的に舞うた。踊るごとに周囲からやんやの喝采を受け場が和み……」実際に神楽舞を観に津和野にとんでみましょう。
ここは、津和野の千本鳥居でお馴染み天空の神社「太鼓谷稲成神社」ですが、ここの氏子方の前で巫女さんがお神楽を厳かに舞っています。天や神に近いところで舞うのも観るのも一味空気が違うでしょうね。一段と高尚な気持ちになれます。
東京では「神田明神」の豊栄の巫女舞が有名です。
こうして観てきますと八百万(やおよろず)の神々というが、地方地方の神様のまことに味わい深い風土に根差した習慣、文化こそ神々の国にっぽん!はまことに平和だなと思えます。
建国記念日はこれらを踏まえて返す返すも、神様方の御心労や多くの犠牲の上に築かれた賜物に感謝して、国旗を掲揚させて戴きます。
神前結婚式も日本古来の神道に則った慶事であり、神々との誓いのような身が引き締まる思いに二人だけでなく皆の愛が深まる事でしょう。相合傘ならぬおおがさも一役買っているようです。
さて、これまで主な神々を訪ねて参りました。
つぎは、ローカルそのもの地元の氏神様のことをとりあげます。
これは、「東京史跡ガイド⑳練馬区史跡散歩(江幡潤)」を参考に実地を踏まえて紹介していきます。
これぞグローカリズム匂いのする風土史です。
東映撮影所のある大泉学園は練馬区にあります。
そしてここの氏神様は北野神社です。北野武とは何ら関係ありませんが、学問の神様・菅原道真公が祭神で主に神社庁、伊勢神宮の系統のようです。
また村社と言う事から稲蒼魂命(うがのみたまのみこと)という女神で五穀豊穣の神。夫は大歳神。父は建速須佐之男命(すさのおのみこと)、母は神大市比売。
ここは古文書に「明暦三酉年(1657年)其元地内ゑ建立為致候由……」とあることなどから江戸時代の初期からこの神社はあったと考えられる。
さらにこの近辺は穀物の女神を祀る氏子村民ゆえ、近郊農業の盛んな土地柄でありました。
全国区となった練馬大根もその一つでありました。
この辺の百姓たちは朝早うから、そんな獲れたての野菜類を手車に積み、京橋、浜町、本所一ツ目などの青物市へ午前7時の朝市に間に合うように運んで行った。帰りには町奉行支配下の小石川、茗荷谷、牛込付近の町屋や武家の下肥を汲んで清戸道を通って戻っていった。
チャプンチャプンという音や黄色い色、強烈な臭いもさせながら……。
当時そこいらの百姓衆はろくなもんくうてねえから、肥やしだって碌なもんじゃあねえ。
えっ、なにくうとったかって?
主食は麦じゃ。これにゴマ汁などをかけて食うもんで、ええ匂いがでん。
ええ匂いが出るんは、「きんばん」ちゅう上等品じゃな。こりゃ幕府、大名の屋敷から汲ましてもらう、うめえもんくうとるもんの糞じゃ。
女子衆のもええな。ありゃ甘えもんくうとるからかのう。ほわ~んと香りがついとるけえ、作物がよう育つ。
もっとも、ウィスキーやワインなんかとおんなじで、ある程度の期間寝かしとかんといけん。
肥やしは生き物じゃけん、甕(かめ)のような貯水樽に入れて、天日にさらし、雨の日は不純物が混ざらんように、甕にフタして、大切に腐熟するのを何年物のウィスキーのように大事に発酵を待ったもんじゃった。
やがて熟すと、ブツブツ……と産声のように音がして粟立ってくる。
地味という言葉があるが、地の味を舌で診るんとおんなじように、腐熟度は舌先の味によって確認したもんじゃ。
金で買うた金肥じゃけえ、一滴たりとも大事にせんとな……。 ペロッ。 ![]()
そうそう、こういうこともあったべな。
その頃、小暮村から狐狸の類が出没してな。
なんや怪しげな提灯提げて飲み屋だかやっとって……
ありゃ、そういうのに化かされたんじゃろうなぁ
おらの大事な肥溜めが、温泉か風呂のように化かされたお侍さんが、フンドシ1丁で入っとったげな。
気持ちよさげに鼻歌唄っとった。
なんぼ発酵しとるゆうても、酒と肥やし、味噌もくそも一緒になるほど化かされるなんて……。
ありゃ、なんでこげな話になったんじゃろ?
たぶん風野真知雄さんの耳袋秘帖外伝「狐桜」の影響かもしれんな。
ま、 これが 「グローカルな建国の日に寄せて」 じゃ。
それじゃ、美味いメシ食うてくれ。ええ肥やしが出るようにな(笑) (吟)




























