~桃太郎の国、岡山・倉敷をたずねて⑧~
芸術をする秋。
芸術を味わう秋。
いずれにせよ人間のエモーショナル(情感的)な部分の開発開拓の分野である。
前回では東京・井の頭公園の彫刻、ブロンズ像の美的感覚について私見を述べさせていただきましたが、今回では絵画、主に倉敷・大原美術館の絵画について感想を述べさせていただきます。
まずはこの絵をご覧あれ。
これは、大原美術館で本物のエル・グレコ「受胎告知」を目の当たりにして入手当時の興奮を想像したく大原美術館ミュージアム・ショップで購入したレプリカだが、照明の当て方なのか訴えかけてくる迫力がどうも違うような気がする。
ただ平面的な印刷POST CARDよりは重みが伝わってくる。
と微妙な言い回しさえ感じさせてくれる名画でもある。
そうだな、も少し丁寧に説明すると、本物の絵は画家のパッション(激情)がキャンバスに向かって絵の具の一筆一筆のタッチを魂を込めてイメージ通りいやそれ以上に再現するオリジナル表現技術の研鑽と思想性、芸術性など年月を経ても血が通っていると感じさせる逸品である。
当然、保存メンテに心血注いでいるだろうし、それだけ人を動かす力が衰えないということかな、言葉で表現するとしたら。
歴史を切り取った入手当時の興奮を思わざるを得ない貴重な財産の価値を革めて考えさせられる一品でもある。
たとえていうなら、映画「無法松の一生」。当時の検閲で悔しい思いをした稲垣浩監督がリメイクし見事ベネチア国際映画祭金獅子賞を獲って吼えた「獲った獲りました!」と本社に興奮の打電したエピソードと同様胸を打つヒューマニズムの連繋だ。
いや受胎告知自体、あらゆる人間の尊厳にかかわる歴史的ドラマではないだろうか。
シェイクスピアのリチャードⅢ世が敵兵に「女の股から出てきた人間どもには負ける気がしない」という奇妙な台詞があったが、それじゃ君はどこから出てきたんだ?木の股か?とも思ったがたいていの人間は母の股から生まれるものだ。
ただ、ソウゾウ妊娠など非現実的、抽象的部分も多分に残しておいた方が物事円滑に流れることもあるようだ。
あと倉敷以外で心に残っている代表的絵画というと、山梨県立美術館ミレーの「落穂拾い」は領主の寛容が滲み出ているし、同ミレーの「種をまく人」では力強い夜明けがみなぎっている。
ルノワールでは「ピアノに寄る二人の少女」明るい色調が印象的。
ジュリアン・デュプレ「牧草の取り入れ」これまた爽やかな農村のエネルギーに満ちたダイナミックな一品。
そうそう、ポール・アルベール・ベナールの「ヴィーナス」も円熟な色遣いでこの季節、豊穣を感じさせてくれる。
その他絵画ではないが、渡岸寺の十一面観音立像(国宝)も余裕あるヒューマン性を感じさせてくれて好きな美術品だ。
それぞれ個性が昇華されて貴重な文化財だ。
そして、それらに付加価値を与えた”愛の時”ラブ・タイミングの存在も忘れてはならないだろう。
さて今日はこの辺にしておこう。みなさんの芸術論もうかがいたいし。
ではまた。
ごきげんよう。
