犠牲なんて考えないほうがいい | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

 

 

受験勉強をしていたために、できなかったことも多い。

受験勉強そのものを嫌なものだと思っていないので、「犠牲」という言葉がよくわからない。受験勉強も好きだからやっていただけであって、嫌いなのにやっていたわけではない。

 

子供の頃から、好きなことしかやっていない。好きなもののジャンルが変わっただけで、好きなものを封印して我慢してきたわけではない。

 

小学生の時には、漫画とテレビ好きの子供であった。これは間違いなく入れるが、学校トップレベル。このジャンルで自分以上の子供はいなかった。

 

中学に入ると、今度は勉強一色。漫画とテレビが嫌いになったわけではないが、他に好きなものを見つけて、そちらに集中するようになった。決して、漫画やテレビを犠牲にしてきたわけではない。

 

その都度、その都度、好きなことに没頭してきた。しかし、それによりできなかったことは多い。時間が有限である以上、何でもできるわけではない。何かをやるには、何かをやらないという選択をするしかない。

 

大谷翔平選手にしろ、野球にうちこんだ子供時代だったろう。それによりできなかったこともたくさんあったはずだ。しかし、野球に打ち込むのがもっとも好きだったから、それを続けて今があるのだろう。何かの犠牲の上に、今の立場を手に入れたわけではないのだろう。

 

もちろん、なんでもできる人間もいる。しかし、そのような人間は、なかなかトップにはなれない。すべてに60点以上とれる人間はいるが、100点をとれるジャンルはない。突出したところがないというのが、その人の欠点であり、悩みになる。

 

一番大切なのは、自分が充実した人生を送ることである。それが実現しているのであれば、何も悔やむ必要はない。たとえば、医師になっても、それに満足できない人もいる。その人にとっては、苦悩そのものだ。