このブログは難しい事が書かれておらず、わかりやすいらしい
このブログは一般の人でも読みやすく、難しいことを書いていないことが良いらしい。
実は、難しく書いていないのではなく、あまり難しいことはわからないので書けないというのが正しい。
ただ、このブログのような平易な内容で患者さんに説明するようにしているので、もし僕の診察を受けている人がいたら、
ブログと同じようなことを言ってる・・
と感じるかもしれないとは思う。
告知はあまりしないけど、病状の説明と言うか、なぜそういう風な症状が出ているのか解説はするようにしている。
なぜなら、最近の人は腑に落ちたいと思う人も多いからである。
診断名を告知することがイコール「腑に落ちる」ことではない。精神科診療をしているとよくそう思う。
いつだったか、どうしても診断名を教えてほしいと粘る女性患者さんがいた。彼女はたぶん「広汎性発達障害の診断未満の人」と思ったが、そういう変なことをいう必要がないし、妙に誤解されることもありうる。
だから「広汎性発達障害」という言葉を出さずに解説し、なんとなく納得してもらった。この専門用語は「発達障害」という言葉が入っているのが決定的にダメだと思う。発達障害ではないのに・・
彼女は過去ログで出てくる人とはまた別の人で、妙にこだわりがあるので、薬に関しても紆余曲折があった。彼女は注文が多いが、薬を飲んでくれるのでまだやりやすい方だったと思う。
僕から薬を取り上げたら、宇宙戦艦ヤマトの波動砲とワープができないようなものだ。
ただ、薬を飲まないという人を、だったら知らない!とも言えない。それなりにするしかないのである。
彼女の薬はABCDと変化し、最終的にBの薬で落ち着いた。どの薬もたいした量ではなかった。彼女は薬に弱かったからである。
ここで、このような軽微な器質性、あるいは広汎性発達障害の診断未満の人の良くなり方について触れておきたい。
最初、薬が奏功し始めると頭がスッキリし始め、いろいろなものがよく理解できるようになる。例えば、借りてきたDVDの内容が頭によく入るようになるという人もいる。
その時、平行して、さまざまな過敏性が改善してくる。例えば、相手のちょっとした言葉が、自分に対し嫌がらせと言うか、あてこすりに聴こえていたのがそういう風に思えないようになる。
ただ、この流れは単調ではなく、行ったり来たり、ちょっと後戻りもある。たまにはスランプと言うか、精神的な疲労がどっと出ることもある。
こういう所見も実はマイナスではなく、プラスに捉えて良いものだ。医師はそういう所見が見えた時、励ますメッセージを送ることが多い。僕は少なくともそういう風にしている。
そうして、苦悩の場所が変化する。
それまでは単に対人関係の表面的なものだけに苦悩していたが、もう少し違った処で苦悩するようになるのである。例えば、そういう風にしたことで相手が嫌がらないかとか、困らないかとか、あるいは苦労させてしまったのではないかといった感じだ。
これは既に自閉的な苦悩ではなくなっている。彼らにとって最も難しい、相手の立場にたった想定で生じているし、前向きな要素がありネガティブとはいえないから。
人によれば、自分の残虐性に気付き苦しむこともある。その残虐性とは冷たく言い放つとか、全く相手の苦しみに気付かずとった行動などである。たぶん、こういう流れになる人は予後が良いと思われる。
やがてそういう苦悩を過ぎると、人に対する配慮ができるようになり、以前より真の意味で優しい人になる。
もちろん、時々、自己嫌悪やネガティブ思考も混じるが、以前よりずっと前向きに生きられるようになるのである。
こういう風に書いていくと、無治療の広汎性発達障害的な精神は、なんだか原始的というか、むき出しなところが大きいと思う。SSRIはクオリアというかピントをずらせる薬だけど、余計にむき出しにする面があるので時に事故が起こるのであろう。
ある日、彼女が子供を抱いて来院した時、過去を回想しながら、そんな風に思った。今日の後半のログは、その時に素早くメモしたものが大半である。
参考
広汎性発達障害とクオリア、SSRI
器質性うつ状態と広汎性発達障害
アスペルガーと正常の間の人々
実は、難しく書いていないのではなく、あまり難しいことはわからないので書けないというのが正しい。
ただ、このブログのような平易な内容で患者さんに説明するようにしているので、もし僕の診察を受けている人がいたら、
ブログと同じようなことを言ってる・・
と感じるかもしれないとは思う。
告知はあまりしないけど、病状の説明と言うか、なぜそういう風な症状が出ているのか解説はするようにしている。
なぜなら、最近の人は腑に落ちたいと思う人も多いからである。
診断名を告知することがイコール「腑に落ちる」ことではない。精神科診療をしているとよくそう思う。
いつだったか、どうしても診断名を教えてほしいと粘る女性患者さんがいた。彼女はたぶん「広汎性発達障害の診断未満の人」と思ったが、そういう変なことをいう必要がないし、妙に誤解されることもありうる。
だから「広汎性発達障害」という言葉を出さずに解説し、なんとなく納得してもらった。この専門用語は「発達障害」という言葉が入っているのが決定的にダメだと思う。発達障害ではないのに・・
彼女は過去ログで出てくる人とはまた別の人で、妙にこだわりがあるので、薬に関しても紆余曲折があった。彼女は注文が多いが、薬を飲んでくれるのでまだやりやすい方だったと思う。
僕から薬を取り上げたら、宇宙戦艦ヤマトの波動砲とワープができないようなものだ。
ただ、薬を飲まないという人を、だったら知らない!とも言えない。それなりにするしかないのである。
彼女の薬はABCDと変化し、最終的にBの薬で落ち着いた。どの薬もたいした量ではなかった。彼女は薬に弱かったからである。
ここで、このような軽微な器質性、あるいは広汎性発達障害の診断未満の人の良くなり方について触れておきたい。
最初、薬が奏功し始めると頭がスッキリし始め、いろいろなものがよく理解できるようになる。例えば、借りてきたDVDの内容が頭によく入るようになるという人もいる。
その時、平行して、さまざまな過敏性が改善してくる。例えば、相手のちょっとした言葉が、自分に対し嫌がらせと言うか、あてこすりに聴こえていたのがそういう風に思えないようになる。
ただ、この流れは単調ではなく、行ったり来たり、ちょっと後戻りもある。たまにはスランプと言うか、精神的な疲労がどっと出ることもある。
こういう所見も実はマイナスではなく、プラスに捉えて良いものだ。医師はそういう所見が見えた時、励ますメッセージを送ることが多い。僕は少なくともそういう風にしている。
そうして、苦悩の場所が変化する。
それまでは単に対人関係の表面的なものだけに苦悩していたが、もう少し違った処で苦悩するようになるのである。例えば、そういう風にしたことで相手が嫌がらないかとか、困らないかとか、あるいは苦労させてしまったのではないかといった感じだ。
これは既に自閉的な苦悩ではなくなっている。彼らにとって最も難しい、相手の立場にたった想定で生じているし、前向きな要素がありネガティブとはいえないから。
人によれば、自分の残虐性に気付き苦しむこともある。その残虐性とは冷たく言い放つとか、全く相手の苦しみに気付かずとった行動などである。たぶん、こういう流れになる人は予後が良いと思われる。
やがてそういう苦悩を過ぎると、人に対する配慮ができるようになり、以前より真の意味で優しい人になる。
もちろん、時々、自己嫌悪やネガティブ思考も混じるが、以前よりずっと前向きに生きられるようになるのである。
こういう風に書いていくと、無治療の広汎性発達障害的な精神は、なんだか原始的というか、むき出しなところが大きいと思う。SSRIはクオリアというかピントをずらせる薬だけど、余計にむき出しにする面があるので時に事故が起こるのであろう。
ある日、彼女が子供を抱いて来院した時、過去を回想しながら、そんな風に思った。今日の後半のログは、その時に素早くメモしたものが大半である。
参考
広汎性発達障害とクオリア、SSRI
器質性うつ状態と広汎性発達障害
アスペルガーと正常の間の人々