かつて双極2型の人はいたのか?
昨日のエントリは思いつきで書いたものだが、臨床心理士の方を始め、けっこう反響もあったので、もう少し続きを書くことにした。最近のエントリの下書きはボツになることが多く、ボツ原稿が溜まりまくりである。昨日はそういうこともあり、過去ログに似たものもあると思ったが、深夜に素早く書いてアップしている。そのため少しまとまっていない。
日常生活で人々を観察していると、この人はいつも軽躁状態ではないか?と思われる人がいる。
普通、そういう人で仕事をしているような人は、せいぜい重く捉えても双極2型躁状態といえる。普通は双極2型の診断の範囲に至らない躁状態である。(いわゆる診断未満の人々 by Prudence)
僕が研修医の時、オーベンに躁状態の患者さんを診ていて、
あれほど楽しそうに仕事が出来たら良いですね。
と感想を言った。その時、オーベンは苦笑して、
躁状態では仕事はできないよ・・
と答えた。今考えても確かにその通りで、全くアホな感想を言ったものであった。その患者さんは1型躁転だからこそ、入院していたのである。
1型と2型は量的な相違が大きく、1型躁転は社会的な視点でもアウト・オブ・コントロールになっているため入院せざるを得ないのである。(参考)
それに比べ双極2型躁状態は入院するほどではないものなので、仕事をしていることもありうる。しかし細かいことを言えば、取引先の人にうっかり失礼なことを言ってしまったり、仕事が雑で不正確であったり、あるいは健忘のため重要な仕事をし忘れていたりすることも良く見られる。実は、これこそ疾患性なのである(つまり生物学的に100%正常とはいえない)。
だからあれこれ動き回っているわりに効率が悪い。同僚や上司に、少し休んでいた方が良いかも?くらいに助言されたりする。無遠慮なので周囲は迷惑していることも稀ではないのである。
問題はその双極2型躁状態の持続時間である。実はこのような研究、調査は既にされていているのかもしれないが、僕はあまり読んだ記憶がないので臨床経験から書いている。
一般社会で、いつもプチ躁状態にあるように見える人で、なおかつ仕事が早く極めて正確にできる人は存在する。しかも、その期間が何年も続くのである。こういうのは双極2型未満と言うべきで、社会的にも成功を収めている人がいる。基本的に芸術系で多作品の人はそういうタイプなのかもしれない。
こういう人は、エネルギーを常に小出しにしているからこそパワーが続くようにも見える(一般人から比べると大きなパワーだが)。
だから逆にいえば、1型躁転はスーパーパワーを出し続けているので、数ヶ月続くのがせいぜいなんだと思う。そのうちガソリンが切れ、放っておいてもうつ転する。その点でこの疾患は理にかなっている。明らかに奇妙な点はなく、合理的思考の範囲内なのである。
真の双極1型躁転で、例えば中世くらいに2年くらい続くような人が存在したのであろうか?などと思う。現代社会では1型躁転を無治療で放置されるようなことは稀なので検証できない。(周囲が困るのでなんらかの治療を受けることが多い)。
いつもプチ躁転状態の人で、しかも双極2型の診断未満の人たちは、よく観察していると、それにバイオリズムがあることを発見する。それはうつにはならず単に「普通の人」になる時期があることである。いつもプチ躁転状態を見ているので、少し「普通の人」になったところで見逃されやすい。この人はプチ躁転、普通の人、いずれも診断未満なので、生涯、精神科病院に来ることはない。だから社会的には正常といえる。ボリューム的に許容範囲内だからである。(参考)
しかし、この人こそ、古典的双極2型の人なんだと思う。(それでもなお診断未満なのだが)
なぜなら向精神薬など一切関与していないし、自然な状態でそれなりの躁うつが生じていること。また病前性格も古典的躁うつ病の人に似ているからである。このような人たちで、もう少し波長が大きい人は診断範囲内の双極2型と言えるが、なぜかかつては相対的に少なかったと思われる。臨床医から言えば、そのような中途半端な人たちは過去にあまり診ていなかったから。
これは社会的な面を考慮すれば、精神病院の敷居が今よりずっと高かったことも関係していそうである。あるいは、かつての社会状況がそういう人も十分許容できる、おおらかな社会だったことも無関係ではない。
そういう風に考えていくと、器質性背景を持ち、しかも薬剤性に双極2型躁転したケースでは、そのエネルギーがたいして大きくないため、かなり長期間続いてもおかしくはないとも言える。これは数学的、あるいは化学的な考え方である(その人のトータルのエネルギー量はたいして変わらないか、健康の人よりむしろ少ない)。
その器質性2型躁転の近未来には、うつ状態や希死念慮が存在している。
このように長期間のプチ躁状態があるのは、実際、診断未満の人たちで、生涯その状態の人も存在しているからである。生涯続くような人がいるなら、2~3年くらい続いてもなんらおかしくはない。(つまり、双極2型は飛行時間が長いケースもありうる。ただし、このような人々はラピッドサイクラーも生じやすく、むしろこのような複雑なタイプの方が多いと思われる)
一般に、診断未満の双極2型躁転の人は病識などない(←この言い方もおかしいが)。それは、その人そのものだからである。
診断範囲内の薬剤性双極2型の人が躁転した時、たぶん本人は全快したと思うだろう(←この言い方もやはりおかしいが・・)。
なぜなら、SSRIはうつ状態、強迫症状、社会不安障害、過食症状などがあったからこそ処方されているわけで、ハイテンションの時は問題にならない人が多いからである。(実は躁鬱混合状態を呈する人も存在し単純なものでもない)
そのような診断範囲内の薬剤性双極2型躁転の場合、家族すら良くなったと思うことがある。それはそれまで行けなかった学校に行き始めたり、習い事を始めたり、社交的になったように見えるからである。実はこの判断は非常に微妙で、本人が治ったと言い、家族も同意しているなら、社会的には寛解または治癒といって良いとも言える。だから、これを診断範囲内と呼べるかどうかは疑問である。(社会的視点では)
ここで、Prudenceさんが陥った迷宮に僕も落ち込んでしまうのであった。もう何が何やらワケわからん・・みたいな・・。
なぜこのような迷宮に入るかといえば、双極2型は生物学的真偽と社会的真偽がパラレルに存在しているからである。これは極めて精神科的な迷宮ともいえる。
実は社会的には問題にならないものの、診断未満の双極2型の人こそ、生物学的には双極2型なのである。
注意したいのは、器質的背景(広汎性発達障害、症状性なども含む)を持つ人たちは、何もしなくてもプチ躁転に至る人がいることである。これはそのような人が初診した時、丁寧に病歴を聞いていると、そのような状態が過去の一時期、しばらく続いていたという人がいるから。
この所見を、「若い頃からの双極2型」と診断するより、単に器質性背景のためにそういう所見があったと考える方がずっと合理的であるように思うがどうだろうか?(診断を乱発すべきではないと言う意味)
双極性障害は統合失調症と並んで古典的内因性疾患であり、急に発病率が増加したり、好発年齢帯が変わることには科学者として非常に違和感がある。(不快感と言っても良い。僕たちも科学者の端くれなので・・)
これをクリアするためには、人類に対し、ここ20年くらいで謎の大事件が起こり、双極性障害にかかわる遺伝子に働きかけ、圧倒的に発病しやすくなったと考えるくらいのSF的思考が必要であろう。
もちろん、そういう人にSSRIなどのセロトニンを増やす系の薬物はリスキーである。
そのリスキーさは単に2型躁転を招きやすくするだけではない。脳を変化させ、性格傾向などにも影響を与えるからである。SSRIはハード自体を変化させうる話(つまり変質させると言う意味)は過去ログにも出てくる。
日常生活で人々を観察していると、この人はいつも軽躁状態ではないか?と思われる人がいる。
普通、そういう人で仕事をしているような人は、せいぜい重く捉えても双極2型躁状態といえる。普通は双極2型の診断の範囲に至らない躁状態である。(いわゆる診断未満の人々 by Prudence)
僕が研修医の時、オーベンに躁状態の患者さんを診ていて、
あれほど楽しそうに仕事が出来たら良いですね。
と感想を言った。その時、オーベンは苦笑して、
躁状態では仕事はできないよ・・
と答えた。今考えても確かにその通りで、全くアホな感想を言ったものであった。その患者さんは1型躁転だからこそ、入院していたのである。
1型と2型は量的な相違が大きく、1型躁転は社会的な視点でもアウト・オブ・コントロールになっているため入院せざるを得ないのである。(参考)
それに比べ双極2型躁状態は入院するほどではないものなので、仕事をしていることもありうる。しかし細かいことを言えば、取引先の人にうっかり失礼なことを言ってしまったり、仕事が雑で不正確であったり、あるいは健忘のため重要な仕事をし忘れていたりすることも良く見られる。実は、これこそ疾患性なのである(つまり生物学的に100%正常とはいえない)。
だからあれこれ動き回っているわりに効率が悪い。同僚や上司に、少し休んでいた方が良いかも?くらいに助言されたりする。無遠慮なので周囲は迷惑していることも稀ではないのである。
問題はその双極2型躁状態の持続時間である。実はこのような研究、調査は既にされていているのかもしれないが、僕はあまり読んだ記憶がないので臨床経験から書いている。
一般社会で、いつもプチ躁状態にあるように見える人で、なおかつ仕事が早く極めて正確にできる人は存在する。しかも、その期間が何年も続くのである。こういうのは双極2型未満と言うべきで、社会的にも成功を収めている人がいる。基本的に芸術系で多作品の人はそういうタイプなのかもしれない。
こういう人は、エネルギーを常に小出しにしているからこそパワーが続くようにも見える(一般人から比べると大きなパワーだが)。
だから逆にいえば、1型躁転はスーパーパワーを出し続けているので、数ヶ月続くのがせいぜいなんだと思う。そのうちガソリンが切れ、放っておいてもうつ転する。その点でこの疾患は理にかなっている。明らかに奇妙な点はなく、合理的思考の範囲内なのである。
真の双極1型躁転で、例えば中世くらいに2年くらい続くような人が存在したのであろうか?などと思う。現代社会では1型躁転を無治療で放置されるようなことは稀なので検証できない。(周囲が困るのでなんらかの治療を受けることが多い)。
いつもプチ躁転状態の人で、しかも双極2型の診断未満の人たちは、よく観察していると、それにバイオリズムがあることを発見する。それはうつにはならず単に「普通の人」になる時期があることである。いつもプチ躁転状態を見ているので、少し「普通の人」になったところで見逃されやすい。この人はプチ躁転、普通の人、いずれも診断未満なので、生涯、精神科病院に来ることはない。だから社会的には正常といえる。ボリューム的に許容範囲内だからである。(参考)
しかし、この人こそ、古典的双極2型の人なんだと思う。(それでもなお診断未満なのだが)
なぜなら向精神薬など一切関与していないし、自然な状態でそれなりの躁うつが生じていること。また病前性格も古典的躁うつ病の人に似ているからである。このような人たちで、もう少し波長が大きい人は診断範囲内の双極2型と言えるが、なぜかかつては相対的に少なかったと思われる。臨床医から言えば、そのような中途半端な人たちは過去にあまり診ていなかったから。
これは社会的な面を考慮すれば、精神病院の敷居が今よりずっと高かったことも関係していそうである。あるいは、かつての社会状況がそういう人も十分許容できる、おおらかな社会だったことも無関係ではない。
そういう風に考えていくと、器質性背景を持ち、しかも薬剤性に双極2型躁転したケースでは、そのエネルギーがたいして大きくないため、かなり長期間続いてもおかしくはないとも言える。これは数学的、あるいは化学的な考え方である(その人のトータルのエネルギー量はたいして変わらないか、健康の人よりむしろ少ない)。
その器質性2型躁転の近未来には、うつ状態や希死念慮が存在している。
このように長期間のプチ躁状態があるのは、実際、診断未満の人たちで、生涯その状態の人も存在しているからである。生涯続くような人がいるなら、2~3年くらい続いてもなんらおかしくはない。(つまり、双極2型は飛行時間が長いケースもありうる。ただし、このような人々はラピッドサイクラーも生じやすく、むしろこのような複雑なタイプの方が多いと思われる)
一般に、診断未満の双極2型躁転の人は病識などない(←この言い方もおかしいが)。それは、その人そのものだからである。
診断範囲内の薬剤性双極2型の人が躁転した時、たぶん本人は全快したと思うだろう(←この言い方もやはりおかしいが・・)。
なぜなら、SSRIはうつ状態、強迫症状、社会不安障害、過食症状などがあったからこそ処方されているわけで、ハイテンションの時は問題にならない人が多いからである。(実は躁鬱混合状態を呈する人も存在し単純なものでもない)
そのような診断範囲内の薬剤性双極2型躁転の場合、家族すら良くなったと思うことがある。それはそれまで行けなかった学校に行き始めたり、習い事を始めたり、社交的になったように見えるからである。実はこの判断は非常に微妙で、本人が治ったと言い、家族も同意しているなら、社会的には寛解または治癒といって良いとも言える。だから、これを診断範囲内と呼べるかどうかは疑問である。(社会的視点では)
ここで、Prudenceさんが陥った迷宮に僕も落ち込んでしまうのであった。もう何が何やらワケわからん・・みたいな・・。
なぜこのような迷宮に入るかといえば、双極2型は生物学的真偽と社会的真偽がパラレルに存在しているからである。これは極めて精神科的な迷宮ともいえる。
実は社会的には問題にならないものの、診断未満の双極2型の人こそ、生物学的には双極2型なのである。
注意したいのは、器質的背景(広汎性発達障害、症状性なども含む)を持つ人たちは、何もしなくてもプチ躁転に至る人がいることである。これはそのような人が初診した時、丁寧に病歴を聞いていると、そのような状態が過去の一時期、しばらく続いていたという人がいるから。
この所見を、「若い頃からの双極2型」と診断するより、単に器質性背景のためにそういう所見があったと考える方がずっと合理的であるように思うがどうだろうか?(診断を乱発すべきではないと言う意味)
双極性障害は統合失調症と並んで古典的内因性疾患であり、急に発病率が増加したり、好発年齢帯が変わることには科学者として非常に違和感がある。(不快感と言っても良い。僕たちも科学者の端くれなので・・)
これをクリアするためには、人類に対し、ここ20年くらいで謎の大事件が起こり、双極性障害にかかわる遺伝子に働きかけ、圧倒的に発病しやすくなったと考えるくらいのSF的思考が必要であろう。
もちろん、そういう人にSSRIなどのセロトニンを増やす系の薬物はリスキーである。
そのリスキーさは単に2型躁転を招きやすくするだけではない。脳を変化させ、性格傾向などにも影響を与えるからである。SSRIはハード自体を変化させうる話(つまり変質させると言う意味)は過去ログにも出てくる。