「かかへきれない気持ち」って、どんな気持ちだろう~山村暮鳥「りんご」の巻 | カフェときどき読書

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  「りんご」
山村暮鳥

両手をどんなに
大きく 大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持ち

林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる

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「この詩を国語の授業でやるんだけど」
と中1の長女に話しかけられたのは、1週間くらい前のこと。

この詩を通して、作者はどんな気持ちを表現しようとしているのか。

「ただりんごが転がっているんだ~くらいにしか思わなかったんだけど」
という長女はさておき、
みなさんはどんな情景を想像されるでしょうか。


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自分の第一印象では、
不安や絶望で苦しくて、
文字通り抱えきれなくていっぱいいっぱいになっていて
そんなときに、日あたりにあるリンゴ…日の光を受けて輝くリンゴを見て
闇の中に差した一筋の光…希望を思う、
そんな印象でした。
まさに仕事でいっぱいいっぱいになっていた自分のよう。


で、ネットをいろいろ検索してみると
「かかへきれないこの気持ち」を想像するための
さまざまなアプローチがあって
学校の先生もいろいろ考えながら授業計画を立てているんだなあ、と感心。


前半4行、後半2行で分けられる詩の場面。
「かかえきれないこの気持ち」
うれしくてたまらない、ポジティブな風にももちろん受け取ることができる。

日あたりに転がっているリンゴはどういうイメージか。
わたしは明るい印象を持ったけれど
1個だけで寂しそう、とか、そういうとらえ方ももちろんできる。

さまざまな解釈の可能性を考えていくと
おもしろくて、早く体を休めたいのに気づけば30分以上。

学生の頃なんて、詩に大した興味はなかったのに
(あ、でも友達が銀色夏生の本を持っていたから借りて読んだな)
40近くなった今になって、ひとつひとつの言葉が響いてくるなあ。
石垣りんの「表札」とか
新川和江の「わたしを束ねないで」とか
茨木のり子の「自分の感受性くらい」とか。
今の自分に強く問いかけてくる。

そういえば山村暮鳥は
「いちめんのなのはな」の詩も書いていて
以前NHK-Eテレの「にほんごであそぼ」で取り上げられていたから
あの人か!と自分の中でつながってうれしくなったのでした。


*

で、長女に授業の様子を聞いてみると
生徒たちの詩の解釈の違いについては特に触れなかったそうなのだけど
「りんご」の詩は恋の詩、なんだそう。

恋…!

「かかへきれないこの気持ち」は文字通り、
相手へ募らせる恋心であって
りんごをぼんやり見ながら、恋に悩む自分を思う、
そんな感じのことをおっしゃっていたそう。

なるほど、そうすると、りんご=ハート=自分の心というわけか。
言われたら確かに納得するけど
そうか…恋なんてもう遠い過去の話だから、考えに及ばなかったなあ…

でもそうすると、わたしの解釈って、
たとえばテストに出たらマルにならないの?
先生に尋ねてみたい衝動にかられているのでありました。