アメリカの大学での弁論大会予定のエッセイ和訳 | DV元旦那はFBI捜査官→ホームレスから→米国で医者になるシングルマザー由美どん

DV元旦那はFBI捜査官→ホームレスから→米国で医者になるシングルマザー由美どん

一流豪華客船、一流SPAで世界のトップ、王家のお姫様、セレブを癒し続けてきたトップセラピスト小川由美(由美どん)サンディエゴ在住。DV元旦那はFBI捜査官→米国ホームレスから→働きながらアメリカで医者になるシングルマザー由美どんの記録












2/25/2020 書き換えた

私の魔法の人生

9年前ソーシャルワーカーから白紙とペンを受け取りました。 彼女は「あなたの将来の目標を紙に書き留めてください。」と言いました。しかしこう返しました「私はホームレスで他に行く宛てがありません。お金がないです。私には5歳の息子がいて、息子と一緒に日本に戻ると、感情的で全てをコントロールしたい夫が空港で私と息子を永遠に引き離し、私はとても厳しい状況下に置かれると思います。なぜならば夫はFBI捜査官だからです。」


 ソーシャルワーカーは、「あなたは自分の将来のためにどの方向に行きたいかを書かなければならない」と言いました。しばらくして私は深呼吸をし「わかりました」と言い2つの目標を書きました。


 1.国際的な実業家。 つまり私は世界中を旅し、ドテラ のアロマセラピーを教え、ドテラアロマオイルを販売し、医学的マッサージを施し、人々を訓練します。


 2.自然療法医。2003年にマッサージセラピストになってから薬物を使わずにクライアントを本当に助けたいと思うようになりました。人を正しく触る(タッチする)力は人々の生活を変えると信じてます。私のクライアント達は私が魔法の手を持っていると言います。 私は医療診療所を所有したいです。これが自然療法医になりたい理由です。


しかしソーシャルワーカーは私の目標を見て失望し首を横に振りました。そして彼女は「あなたには大きすぎる夢だわ!それは不可能よ」と言い放ちました。2011年11月28日、その日から魔法のような生活を私達は始めました。


 思い返すと息子と私はサンディエゴのダウンタウンの街を歩いていました。 それは建物の巨大なジャングルでした。 コンクリートは冷たくて硬く、共感はなく、ガラスは表面的で輝いていた。 私達は野生動物のようでした。 特定の巣はありませんでした。 食べ物を求めて「建物のジャングル」を歩き回るだけです。 どうすれば自分の人生をより良くすることができるのだろう?と私は見上げました、私の上にそびえ立つ非常に沢山の建物に囲まれそれはまるで閉じ込められている刑務所のバーのようでした。目を閉じてもうホームレスではなく、世界で起こる危険から解放され、私達のより良い生活を夢見ていました。


 街を歩き回った後に私たちは1ドルのハンバーガーを食べ、ホームレスのシェルターよりも綺麗で高級なUSグラントホテルのロビーに行きました。 シャンデリアはまぶしく、輝く星でした。 素敵な服を着て誰かを待っているふりをしました。 ホームレスでも綺麗な格好してるので誰も私達を追い出しませんでした。午後10時のホームレスシェルターの門限前まで数時間この高級なUSグラントホテルのロビーで楽しみました。毎週木曜日の夜、ラウンジから美しいジャズが聞こえることに気付きました。 しかし、私はお金がありませんでした。息子と私はロビーに座ってジャズを楽しみ、いつか大学に行き、音楽や芸術を楽しむ事にお金を使いたいと夢見ました。


 知らぬ間に時間があっという間に過ぎ去り、最初の目標を達成しました。私の魔法とは5つの職場で一生懸命働き、ポジティブに応援してくれる人々に囲まれるように努めて、私はその方々に感謝と敬意を示しました。もう一つの魔法とは息子を守りたいという願いでした。この魔法は私を最強にしてくれました。


私は国際的な実業家になりました。 私は医学的マッサージ事業を立ち上げ、世界中を旅し、アロマセラピーを教えました。 今ようやく自然療法医になるという2番目の目標に向かっています。 また、音楽と芸術を楽しむ事にもお金を使いたかったのでプロのオペラ歌手からオペラのレッスンを受けイタリア語でマダム・バタフライ(蝶々夫人)を歌えるようになりました。まだ何もやってない時から既に人々は私に「それは不可能だ!」と言いました。彼らはこれを何度も私に続けて言いました。しかしそれらは可能であり、私はそれらの挑戦を可能にしました。


 2016年12月22日(ホームレスになってから5年後)にサンディエゴのダウンタウンで行われたシティバレエのバレエ鑑賞へ行きました。そして「くるみ割り人形」を楽しみました。バレエを観た後に今日は木曜日だとわかりました。そしてあの時の良いジャズの思い出が蘇りUSグラントホテルへ向かいました。ホテルのロビーを歩いているとラウンジからジャズの素晴らしい音楽があの日々のように聴こえて来ました。


私はラウンジの入り口の前に立ち緊張してました。一歩を踏み出すとジャズの女性歌手の真正面に1つ席が残っていました。 25ドル(2500円ほど)のサンドイッチと40ドル(4000円ほど)のウイスキーを注文しました。 しかし、これらはわずか25ドルと40ドルでしたが、私にとっては貴重でした。なぜならば私は過去5年間をひそかに祝いたかったんです。5年前私にはお金が無くてラウンジの中には入れませんでした。 今、私は高価なサンドイッチを食べ、ジャズ歌手の前で素晴らしいウイスキーを飲んでいます。 私は滝のように泣き始めました。 誰もがなぜ私がそんなに泣いているのだろうと思いました。 休憩時間にジャズ歌手が私に近づいてきて彼女は私がなぜそんなに泣いているのかと私に尋ねました。私は彼女に5年前にあのロビーであなた達の演奏を聴いてたのよと説明しました。 彼女も涙を流し、大きな抱擁を私にして下さいました。 彼女が私のために特別なジャズを歌いたいと言いました。それはニーナ・シモンの「feeling good(気分が良い)」でした。


https://youtu.be/D5Y11hwjMNs



「高く飛んでいる鳥は私の気持ちを知っている、空の太陽は私の気持ちを知っている、そよ風はあなたの気持ちを知っている」と言ったとき、私はホームレス時代の自分をフラッシュバックし、私は見上げると、私を見下ろすビルが沢山ありました。 でももう時は過ぎ私達はもうホームレスでは無くなってて、世界の残酷なルールから解放され、あんなに夢見たより良い生活は現実となりました。 


息子と私にとって起こった出来事は非常に困難でしたが、私達の辛い人生を誰のせいにするつもりはありません。 それは…最も重要な幸せを見つけだからです。ジャズ歌手が私に次の歌詞を歌ってくださった時に更に私と一緒に歌詞が重なりました「新しい夜明けであり、新しい日であり、私にとって新しい人生であり、気分が良い」と彼女は歌い上げました。


 私はホームレスだった日々から私の人生を再建するために最強のウェイクアップコール(人生の気付き)を受けました。 私はいつも人生の中で「(大学で)教育を受ける事は後でやるわ」と言い続けましたが、今では教育を受け始める必要があることがどんなに重要か気付きました。 私は今大学に行き、将来は医者になります。 なぜそんなに決心しているか?これは、私が過去の時間に戻る事が出来ません、新しい日、新しい始まりだと知ってるからです。私はまだ人生の道を切り開いています。 私は他の人と自分を比較しません。 私は他人の成功で自分を測りません。倒されたら、目標に到達するまで立ち直ってまた再試行します。 歌のタイトル「feeling good (気持ち良い)」 これが私の魔法です。



補足


この歌を知ってる方はわかると思うのですがとても有名な曲で、


https://abbiek.net/lyrics/feeling-good.html


こちらのウェブサイトの方の説明をお借りして説明するとこういう意味の曲なんです>>>

この曲の重たく、悲しい感じと、Feeling goodという明るいタイトルに違和感を感じた方は、私だけではないでしょう。

タイトルを直訳すると、「いい気分」という軽い言葉になってしまいますが、この曲を聴いたらわかる通り、そんなハッピーな雰囲気は少しもありません。

ここで言うFeeling goodとは、軽い気分の良さではなく、心の奥底から湧き出るような喜びを表現しています。そしてその喜びの背後には怒りや恨みの感情が横たわっています。

想像してみてください。例えば、無実の罪で捕らわれていた囚人が、やっと釈放され、今までの苦しみや悲しみを思い出しながら、自由な世界を勝ち取った喜びを噛みしめている時…

または、ひどい旦那との結婚生活に区切りをつけた女性が、今までの辛い体験を思い出しながら、晴れて自分の人生を歩み出すという時…

それは単純にうれしいという言葉で表現できる喜びではなく、怒りと喜びとが複雑に入り混じった感情です。

ニーナ・シモンのバージョンでは、彼女の生い立ちや当時の立場からすると、明らかに黒人差別への怒りが根底に流れる曲として表現されています。