武雄神社と弓を引く武士のイラスト

 

武雄神社(たけおじんじゃ)

佐賀県武雄市武雄町大字武雄5327

 

武雄神社、鳥居、石柱、本殿、参道

 

御由緒
武雄神社は、『武雄神社本紀』によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途に当地・武雄へ兵船を停泊させたところ、その船が御船山へ姿を変えたという伝承を有する、由緒深い神社です。
この折、随行していた住吉大神および武内宿禰命が御船山南嶽、すなわち船の艫に鎮座されたことに始まるとされます。

 


その後、天平七年(735年)、初代宮司と伝わる伴行頼に神託が下り
「我は武内大臣である。艫には住吉大神が鎮まり、自らも艫嶽に祀られているのは畏れ多い。もし軸嶽に我を祀れば、この地に長く福徳が訪れるであろう。」
行頼は大宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰命を主祭神に、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武雄心命を配祀して北麓へ遷座、ここに武雄宮が創建されたと伝えられています。(武雄神社HP

 

鳥居へ続く石段を登る人々
 

ちなみに「武雄市」の地名の伝説は二つあります。(武雄市 18.pdf

 

1.「健緒組」(肥の君の祖)が肥後の国を平定したのち、景行天皇から「火の国」を治めよと命じられ、その際に立ち寄ったことから始まったという説。

2.もう一つは、神功皇后が三韓から凱旋されて、産後の養生のお供で武内宿弥が来られたとき、亡き父をお祭りするにふさわしいところと思い、御船山の頂上に、父武雄心命をお祭りし武雄神社がはじまった。その名をとって、「武雄」と呼ぶようになったという説。

 

 
人々が神社へ参拝する様子

 

神社HPに2の説の記載がありませんが、武内宿禰の生前に、武雄心命が祀られていたかもしれません。

 
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地名や神社名になる位なんだから、元々は屋主忍男武雄心命がメインで祀られていたって方が、私としてはしっくり来る。

 

でもいずれにしても、父母自身がこちらに来ていたという話は特にないようね。

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神社と参拝客

 

なかなか綺麗にしてある神社で、参拝者も多くいました。

 

手水舎と絵馬が飾られたお寺

 

 

神輿が保管されている社殿の扉

 

 

神社の的射場

 

 

神社の鳥居と灯籠

 

御朱印お願いして、境内をひとめぐりしても、まだ出来上がっていませんでした。

 

リンゴスナック入りカップ

 

りんご飴のキッチンカーが出ていたので購入して食べたら、ちょうど食べ終わったタイミングで御朱印が頂けました。

 

武雄神社と弓を引く武士のイラスト

 

武雄神社は流鏑馬も力を入れている様子(後日、流鏑馬について別途記事掲載予定。)

ただ今回は流鏑馬神事の時期だからというわけではなく、今年が午年ということで、馬の御朱印を頂きました♪

 



他にも素敵な御朱印が色々あって悩みました。



記念事業ってことで、ネットで申し込んで頂けるものもありますが、現地ではネットに載っていないものも。


私も、今回載せたもとと1種類頂いたのですが、それはまた次回ご紹介。


 

武雄温泉のシンボル的な、楼門を見に行きました。

 

武雄温泉楼門とシンボルツリー

 

武雄温泉 楼門(ろうもん)

佐賀県武雄市武雄町大字武雄7425

 
武雄温泉楼門と新館の案内板

 

国重要文化財 建造物

武雄温泉新館及び楼門 二棟

 

武雄温泉の新館と楼門は、武雄温泉組(現在の武雄温泉株式会社)が、辰野·葛西建築事務所に設計を、清水組(現在の清水建設)に施工を委託し、大正三年(一九一四)に着工 翌四年に竣工しました。辰野金吾は唐津出身で、明治から大正期にかけての我が国の建築界における第一人者として知られています。

 

この新館と楼門は、辰野の晩年の大作と言われる東京駅と同期の作品ですが、現存する中で数少ない木造建築であり 辰野の設計になる佐賀県内唯一の建築物です。また、正面に竜宮門をおく配置計画、 複数の浴室と休憩室を一体化した施設計画など、保養施設の歴史を知る上でも重要なことから、国の指定を受けました。

 

武雄温泉楼門と新館の建物

 

楼門と新館と呼ばれる建物は、宿泊者だけではなく、誰でも無料で自由に見ることが出来ます。

 

武雄温泉の五銭湯の看板

入って右の方に行くと、女性用の五銭湯があります。

 

武雄温泉の五銭湯と温泉マーク

 

 

武雄温泉の温泉マークと説明板
 

元々は楼門についていたという、温泉マークがあります。

 

武雄温泉の温泉マーク
 
 
男湯♨️
武雄温泉 五銭湯 湯気抜き塔

 

 

武雄温泉の五銭湯の浴槽とタイル張りの床

 

 

武雄温泉楼門の木造天井

 

五銭湯より高価格、十銭湯♨️

武雄温泉の浴室に敷き詰められたマジョリカタイル

 

 

武雄温泉の五銭湯とレトロなタイル

 

 

武雄温泉楼門の木造天井

 

 

武雄温泉のレトロなタイルと温泉マーク

 

 

 二階にも登れます。

武雄温泉楼門と周辺の建物

窓から楼門が見えました。

 

 

 武雄市内を歩いていると、地球儀を持つ像に遭遇。

 

鍋島茂義像、佐賀近代化の礎

 

鍋島 茂義(なべしま しげよし)1800 - 1862

佐賀藩武雄領主

 

江戸時代後期の佐賀藩武雄領主。

1822(文政5)年、若くして佐賀本藩の請役(筆頭家老)に抜擢され、鍋島直正の成長過程で多大な影響を与えた。

1827(文政10)年には直正の姉・寵姫(ちょうひめ)と結婚し義兄となった。

1830年代の早期から、本藩に先駆け西洋式砲術や軍備をはじめとする蘭学を積極的に導入、明治維新を主導した佐賀藩の近代化の礎を築いた。(偉人モニュメントマップより)

 

鍋島茂義像、岩手河公園、武雄市文化会館

 

筈町河畔公園

佐賀県武雄市武雄町96

 
鍋島茂義像 蘭学導入の功績

 

武雄市に、天球儀・地球儀、天体望遠鏡を取り入れたそうよ。

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だから地球儀を持っているのね。

 

鍋島茂義の記念モニュメント、佐賀の偉人

 

 

 



設置の経緯は以下。

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【まちなかに新たな名所 鍋島茂義公モニュメントを設置!】

本日(3/25)、武雄町昭和の都市公園「筈町河畔公園」内に第28代武雄領主・鍋島茂義公モニュメントを設置し、除幕式を執り行いました。

このモニュメントは、平成31年1月まで開催された肥前さが幕末維新博覧会の開催を記念し、同推進協議会より譲与されたもので、武雄の蘭学導入に尽力し、佐賀藩を幕末最強の雄藩に押し上げた「鍋島茂義公」を記念し設置したものです。

除幕式には市議会や行政関係者のみならず、茂義公のご子孫や、地元昭和区をはじめ多くの皆さまがご参加され、小松市長より「このモニュメントを通じて多くの方が武雄の歴史を知り、これからの武雄を担う若い人が、武雄の未来について想いを馳せる機会となることを期待しています。」と挨拶しました。

また、山下観光協会会長より、「2022年に九州新幹線開業を控えるなか、今回のモニュメント設置はこれからの武雄の観光にとって大変意義深いもの。これを契機に再び時代の変革期を迎えるなか、武雄観光の新時代を作っていく取り組みを加速してまいります」と決意を述べられたほか、脇山維新博事務局長からのご祝辞、御船が丘小学校の児童や武雄高等学校の生徒によるスピーチが行われました。

今回設置した茂義公のモニュメントは、多くの学生や市民の方、近年は観光客の往来も増加しているJR武雄温泉駅と武雄市図書館・歴史資料館を結ぶ通りにあります。国道34号からも見ることができ、背後にそびえる御船山と共に写真を撮ることができる、まちなかの新たな観光スポット・フォトスポットなることが期待されます。

武雄にお越しの際は、ぜひお立ち寄りいただき、茂義公と武雄が維新で果たした功績について感じてください。

○武雄市教育委員会HP「ふるさとの先人たち・鍋島茂義」はこちら→

https://www.city.takeo.lg.jp/.../jinbutu/text/sigeyosi.html

 

 

お仙塚の板碑形六地蔵

 

お仙塚

佐賀県武雄市朝日町

 

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お仙塚の板碑形六地蔵

 

すぐ近くだったので、せっかくなので見に行ってみました。

 

お仙塚の板碑形六地蔵の石肌
 

成鎭寺入口の国道端に立っている板碑形六地蔵がお仙塚といわれている。

 

草野御前の侍女・お仙を祀った塚で 上半部一体は草野御前を、下半部の 地蔵五体は従兵を表し、下半部中央の「妙心禅尼」はお仙の法名だと伝えられてる。

 

円筒形の六地蔵は多いが、板碑形六地蔵は県下でも珍しい。

 

お仙塚 佐賀県武雄市 板碑形六地蔵

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「板碑」とは、中世仏教で使われた供養塔のこと。

 

 
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ああ、この、おにぎりに屋根乗せたみたいなこの形を珍しいって言っているわけではなく、供養塔にお地蔵さんがかいてあるタイプは珍しいっていう意味ね。

 

個人的には、この形そのものが面白いなと思ったのでした。

 

ちなみに草野御前は戦国時代の人で、鏡城主であった草野鎮永(くさのしずなが)の妻女であったといわれる人よ。

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丸山古墳

佐賀県武雄市朝日町大字中野10609−2付近



淀姫神社の周辺を紹介する地図を見付けました。



丸山古墳


淀姫神社の東南方にあり、 自然地形を利用した小円墳で現在は上部まで畑として耕作されている。頂上には 数個の自然石が置いてある。


伝説では神功皇后の妹君、 淀姫の墓であると伝えている。

 

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神功皇后の妹、淀姫の墓だって!



周りをぐるっと回ってみましたが、正直何も分かりません!

でも、淀姫の墓かも知れないと思うと、ロマンを感じます🪦