能褒野神社

 

能褒野神社(のぼのじんじゃ)

〒519-0213 三重県亀山市田村町1409

 

能褒野神社

 

御祭神 記(紀)

倭建命(日本武尊)

建貝児王(武卵王)(元縣主神社御祭神)

弟橘比売命(弟橘媛)(元小天宮御祭神)

他三十柱

 

能褒野神社

 

沿革

明治十二年

宮内省、同地の丁字塚古墳(一名、王塚)を日本書紀が記す日本武尊能褒野陵(「延喜式』諸陵寮能褒野墓と決定。

 

 

明治十六年

神宮祭主久邇宮朝彦親王より能褒野神社と社號が選定され、これを聞食された有栖川宮、山階宮、小松宮、伏見宮、北白川宮、閑院宮、梨本宮、華頂宮より金幣を賜る。

 

サムネイル

明治時代、能褒野王塚古墳がヤマトタケルのお墓だと決定した後に、この神社は出来たのね。

 

 

明治十七年

能野神社創立の許可を得て社殿並びに境内の新設に着手。 

 

能褒野神社

 

明治二十八年

神社創立事業が完了し、神宮祭主賀陽宮邦憲親王より御霊代並びに金幣を賜り、御鎮座祭を斎行。

 

能褒野神社

 

明治三十八年

天皇陛下、日露の役戦の親告のため神宮行幸の折、勅使を御陵へ遣わされ、勅使は当社へも参拝。能褒野神社創立に関する詳細を陛下に複奏するとの御言葉を賜る。

 

能褒野神社

 

明治四十一年

延喜式内社の縣主神社、那久志里神社、志婆加支神社をはじめ、村内の四十余社を合祀。

 

能褒野神社

 

明治四十四年

神宮司廳より賜った皇大神宮撤下御用材を用いて本殿を築く。

 

 

 

大正十四年

縣社に昇格。十月の縣社昇格奉告祭斎行の折、秩父宮、高松宮、伏見宮、開院宮、東伏見宮、山階宮、賀陽宮、久通宮、梨本宮、朝香宮、東久通宮、北白川宮、竹田宮より御鏡餅料を賜る。

 

 

大正十五年

能褒野保会、亀山駅前に大鳥居を建立。久通宮歩

親王より能褒野神社の御社競害が寄せられ、この割扁額として大鳥居に掲げ奉る。

 

 

昭和二十二年

宗教法人能褒野神社に改組され今日に至る。

 

 

能褒野神社

 

 

のぼのの森公園

 

 

 

≪ヤマトタケル白鳥伝説≫

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